ダニエル・シャイナート監督 A24 U-NEXT
ラジオの映画紹介でいつも面白いモノをオススメして頂ける村山章さんがオススメしていたので観ました。すっごく不思議な作品です。
イイ年齢であろうおそらく30代の現代アメリカに住む3人組の男たちが、ガレージでバンドの練習をしています。よなよなバンド練習だけでなく、同性同士のバカ騒ぎもしているようなのですが・・・というのが冒頭です。
サスペンスでは無い映画だと思います。何故?どうして?という見方も出来なくはないです。でもそれだとこの映画は多分つまらない作品に見えると思います。
もっと能動的に、これどういう事?というよりも、なんでこんな映画を作ったのか?という部分に思考を巡らせると、凄く理解出来る映画だと思います。
とは言え、みんな自分の見たいように、しか映画を観ないと思います。でも、他の人がどう見たのかな?なんでそう考えたのかな?どの部分から違うのかな?とかを人と話すのは大変面白いです。出来れば自分と考え方が全然違うけれど、でも、お互いが信頼関係が成り立っていて、映画の好みが信頼できる友人がいると、本当に世界が広がりますよね。多分それでも、私は同性の人の方が圧倒的に話が早いので、面白い人が多いと思いますし、それは男性でも女性でも同じで、同性同士の方が気を使わなくて良い部分が多いからだと思います。よりはっきり相手への気遣いがある種強要される2023年現在の方がより感じられると思います。だから女子会なるモノに名前がついたんだと思います。もちろん男子会なんてないけれど、太古の昔から同性同士の話しの場はあったでしょう。でも、異性、もしくは異性愛傾向がある(なんだかどんどん表記が難しくなるなぁ、昔はただ単にストレートって表現すれば良かったけど、今は性的自認と言う意味でシスジェンダーで性的嗜好と言う意味でヘテロセクシュアルという言い方が必要になってきています)人との話し合いではある種の気遣いは必要ですし、それがある種の困難や細やかな配慮に自分の能力をある程度割かれるとしても、基本的には良い世界になっている途中なんだと思えるので良いですし、相手がそれで気分よくなるのであれば必要だと思いますし、そう言う意味では男性は常に下駄を履かせてもらっているので、より気を付けなくてはいけないと思います。私もそう努力はしつつ、それでも、気の置けない同性同士の会話は非常に心地よいモノです。ジェーン・スーさんも何処かで書いてたけれど、目減りしない資産価値は女性同士の友情だけ、という趣旨の言葉だったと記憶していますけれど、それ男性でも同じだと思うし、だから映画カサブランカでも、フィリップ・マーロウが活躍するハードボイルドの世界でも、支持されると思うし人気もありますよね。もちろんジェーン・スーさんだってOver The Sunという同性同士の場を作ってると思います、正直私はそこに触るのは少し聞いてやめたけど。
閑話休題
じゃこの映画の何を面白い、興味深いと思ったか?と言えば、人間関係と、そして男性性の未熟さ、に尽きると思います。バカです、それも底抜けにバカです。でも、そういう生き物で、そして、そういう風に育てられてるとも言える。そしてある程度長い歴史として2000年くらい続いている可能性のある文化でもあると思います。さらに言えばおそらく女性が20歳近辺で大人(もちろん流行イイ人はもっと早く、その傾向もあるでしょうし、遅い人は遅いのですが)、常識が通じるようになる、あるいはならざるを得ない。なりたくなくても生存する為にならざるを得なかったのだとすると思われるのに対して、男性は総じて40歳くらいで大人という常識を学ぶと思います。そして一定数、老人になっても大人にならない人もいるのが、男性です。そういう世界に生きている。
もちろん女性も全く違う意味で、物凄いバカに見える瞬間があると思います、もちろん言葉にもしないし、また世界の半分を敵に回したけど・・・
でも、だからこそ、少しづつだけれど変わっていくだろうし、それはそれでいいのだけれど、映画は2020年代の現在を描いていて、しかも、こういう事はしないけれど、ほとんどの男性は自覚があるであろうけれど、不意に訪れた悪ふざけの結果、の言い訳を考えると、この映画の主人公の事を私は全く笑えなかったです。
映画のような事は実人生では起こさない自信があるし、それが普通。だが、このような深刻ではない程度であっても、男性なら等しく、皆、驚くばかりに、無能で浅薄で悪あがきをする。そういう場面を女性ならきっと目にしているはず。そこできっと我に返ると思います、なんでこんな人間と暮らして(あるいは同じ職場を、同じ空間で、その他なんでも)きたんだろうか?と。
映画の中にも散々描かれてきましたけれど(ハング・オーバーシリーズはまさにその典型ですよね?)、そのバカさ加減の中ではトップクラスの映画ですし、その後を淡々と描いているのも秀逸。
そして、誰しもがコーエン兄弟の「ファーゴ」を思い描くと思いますけれど、目指した方向や成り立ちが違う映画だと思います。
あまり見た事が無い種類の映画、そういう点で評価できる。
ネタバレにはならないから、一応批判的な部分も記しておきますけれど、そうは言っても、この映画の中では警察署長が言う、憐み、の言葉を考えると、映画のアイディアの基になったとされる事件については、監督は否定しておくべきだったと思います。英語版wikiには記載されてるし、そこはあくまで想像で行った、と言っておくべきだった。調べる人は調べちゃうでしょうし、そうするとある種の被害が出てしまう、それが故人であっても親族がいる可能性がある。そして映画の中の警察署長の言葉の重みがあった事が、薄っぺらな軽薄さに変わってしまうから。もったいなかった。
しかし、ヒドイタイトルだよなぁ・・・それだけでネタバレと言っても良い気がする。