映画作品に限らず、音楽でも絵画でもダンスでも、作品を作るまでは製作者のモノですけれど、鑑賞して何を感じるか?は個人の自由だと思います。
コマーシャルの際に小さく、わざわざ注意しないと気付かない程度の大きさで書かれている、あの文章を、今回のブログでは最初に使っておきます。
あくまで個人の感想です。
アテンション・プリーズ!
今回の映画の感想はあまり人にお見せできる文章ではないと思います。なぜなら世の中の大絶賛作品を(巷で評判が良く、日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞しています!私には驚愕の事実!!)批判的に感じたからです。負の感情が入った文章を読む事は恐らくほとんどの方に不快感を与える一方、世間的な優秀作品を批判的に言及するので、興味のない方はこれ以上読まない事をオススメ致します。でも、鑑賞で何を感じたのか?を言葉にしたいし、出来れば覚えておけないのでアクセスできる外部記憶に残し、文章を読んでくれる奇特な人の中に、更にわずかでも同じような感覚をお持ちの方と繋がれる可能性を担保するために。
最初に結論です。
この映画作品は、非常に時代遅れでダサい、センスが無い、また繕おうともしていない上に、工夫もしていないです。もしくは同じテーマを扱った最近の作品を観ていないのかも。
そして、この作品を評価する人がいても、もちろん個人の感想なんで何も問題ないのですが、あまりに大絶賛ばかりで、驚きます・・・そして、どういう権威を持っているのかは不明ですけれど、日本アカデミー賞の最優秀作品賞ですよ・・・この作品を評価している、という事は、そういう傾向のある人が、大部分を占めている、という事で、まぁ世の中はそう言うモノなのかも知れませんけれど、暗い気分になります。全然上手くない脚本、演出、演技、なんです・・・どこを評価したのか?と言えば、多分、主演の1人がとある元アイドルグループの人だから、という印象を持ちました。という事は海外では報道されている芸能事務所権力者の性的問題の事件について、今後もうちの国での報道されるか問題は、大きな展開はなさそうだな、と思うのです。何しろニュースや新聞雑誌を受け取る世の中の大多数の人が高評価なので、そういうニュースを求めてない、という事だと思うので。需要の無いニュースを取り上げる可能性は少ないでしょうからね。
性的マイノリティを扱った作品なのに、この映画を、ただ演者が好きだから、という事で評価している(あまりに強く感じられる・・・というか他にこの作品を評価出来る部分が 無い )とすると、その事で結果的に芸能事務所内でのヒエラルキーやパワーハラスメント含むセクシャルハラスメントの可能性がある報道が為されない事に直結している事に、あまりに無理解なんじゃないか、と思った次第です。
本当にみなさんはこの映画を観て判断したんだろうか・・・というくらいの衝撃です、この大絶賛は・・・
とにかく、演出、演者への指導が古臭くて、センスを感じられません。
一応良かった部分を挙げておくと、空撮、イイです。そして主演の服部樹咲のバレエ技術は悪くないです。
これ以外に良い部分が私には見つからなかったです。
ココからネタバレありの感想です。
ストーリィは非常に単純、否、稚拙です。
自身の性自認とギャップを抱える男性(草彅剛)が、親族でネグレクトされている女子高生イチカ(服部樹咲)を新宿で預かる。
↓
ネグレクトを受けていたのでほとんど喋らず常に反抗的なイチカはバレエだけは好きでバレエに通い出すが、お金が工面できずに同級生から被写体になるアルバイトを勧められお金を得て、草薙には黙ってバレエを続ける。
↓
急に素直になったイチカが少し踊る場面を観た事で、草薙は急に 母性 に目覚めて、全生活をイチカのバレエの為全部ベットするくらい変化。
↓
しかしイチカのコンクールのさなか実母が登場し、イチカを連れ帰る。
↓
草薙は性転換手術を経てイチカを連れ戻そうとするも、地元の家族、イチカの実母含めて病気扱いを受ける。
↓
新宿に戻った草薙だが手術の為に体調崩すところをイチカが見舞いに来て、イチカは海外のバレエ団に所属する事を告げる。
↓
1年後くらい、海外のコンクールで飛躍しようとするイチカ。
終わり。
箇条書きにすると分かりますけれど、凄くありきたりの、なんだか20年前くらいの少女漫画みたいです。いやそれは20年前の少女漫画に失礼と言うモノですね。何故なら、少女漫画であったら、もう少し、イチカと草薙の関係が深まる 何か を描いていると思うのです。この関係性が全く描かれていないので、困った事があると草薙がイチカを抱きしめて、解決してしまいます・・・ちょっといくら何でもそれはなくないか、と思う次第です。
つまり、関係性が生まれる瞬間、何かしらの信頼関係が生まれたからこそ、その関係性が生じるわけで、そういった経緯がまるで描かれないのに、急にそれまでの生活を捨てる動機が全然理解出来ないですし、そういう細部を詰めて考えようとしていないんだと思います。だから、何となく「わかるよね?」という事でやっていると思います。その「わかるよね?」に強度を持たせるのに、アイドルを使う、という周到さも感じるのです。もし、この映画が好きな方は草薙のキャストを普通のトランスジェンダーの俳優に変えたら、多分受け付けなかったんじゃないでしょうかね?
というか、本来トランスジェンダーの主演者を呼んでくるべきなんで、やはり製作に携わっている関係者にはそういう感覚はないし、観ている観客側も、トランスジェンダーを可哀想な人と思ってる感覚が、大変心地よくないです。恐らくですけれど、トランスジェンダーの演者はこの作品を評価はしないんじゃないかな。
「わかるよね?」を私は『忖度』と感じます。もしくは、『メンバー』と置き換えても、通じる人には通じると思います。
なんで急にバレエの知識も無い(とは言えショーでは、バレエシューズを履かずに、でも4羽の白鳥を踊るんですよね・・・そしてプリエという単語の意味を分からない、と言ってるんです、こういう整合性が合わない部分は非常に触りますね・・・)草薙が、少しだけ踊ったイチカのバレエの才能を認めるのか?不思議です。
このショーも凄く嫌な感じに映るのが、確かに場末で、男性が女性のパートを踊っていますし、非常に狭い舞台とは言え、観客が野次を入れたからって演者である舞台で踊っている人が、演技を止めて観客に文句を言う、というアリエナイ演出をします・・・恐らく舞台に立った人なら分かるでしょうけれど、何があっても最後までやり抜く、文句がある人には舞台で納得させる、というようなプレイヤーなら当然持っている矜持すらないんです・・・ええ、そういう場所や舞台じゃない、ショーパブなんだから、というのは簡単ですけれど、そういう人たちこそ、矜持は絶対に持っていると思います、だってそこまでして、やりたいんですよ、バレエを・・・あるいはバレエを踊っている自分を観て欲しいんですよ・・・恐らくは監督がショーに偏見を持っているんだと思います、エンタメ作品なんだから、といった甘えもあると思います、こういう細部を詰めたエンタメ作品は数は少ないけれど確実に存在するし、志が高い監督は蔑ろにはしないでしょうね。
さらに流行りなんだろうとは思いますけれど、バレエ仲間で金持ち(なのに通うバレエスクールの規模・・・ならこの先生でなくてはいけない何かをちゃんと演出すると思いますけれど皆無・・・杜撰)の親しくなったと思ったら急にイジワルになったと思ったら、という何だか良く分からない女子とイチカのキスシーンを入れてきます・・・多分監督か、脚本を書いている人の頭 以下自粛。
さらに、バレエコンクール(でも場所は八王子・・・多分小規模のコンクールでしょうね)の最中に急に動けなくなるイチカ・・・これも恐らくとしか言いようがないんこけれど、考えられるのが、友人の飛び降り(この友人の飛び降りも意味が全然分かりません・・・非常に監督・演出の都合に振り回されていて、納得感がまるでないんですよね・・・)を知った、という事なんでしょうけど、では、誰から聞いたのでしょうか?イチカ携帯持ってない可能性が高い上に、友人からの最後の電話はバレエの先生の携帯で話しています・・・だとすると、なんで急に・・・それにもし、先生が知ってても、まずコンクール中は知らせないんじゃないかな・・・あと、コンクールで2回も名前呼ばれるってあるんでしょうか?舞台に、それも自分の舞台に集中出来ないダンサーは、大成しないでしょうし、そもそも向いてないんじゃ・・・といういろいろを百歩譲って、いきなり実母が舞台に登壇、抱きしめて納得させようとするんです。えっと、コンクール中なんで、普通に止められますよね・・・エモーショナルにしたいのであれば、もう少し気を使いましょうよ。今時こんな演出ありますかね?中学生の演劇 以下自粛
さらに性自認に問題を抱えている草薙の、タバコを吸う仕草、髪の毛の触り方、歩き方含め立ち振る舞いが、とにかく古い・・・というか、まさに昭和世代の人の大雑把さ・・・今時、というか私もそのような人と話す機会はありませんけれど、いくらなんでも、な世界です。恐らく、同じテーマを扱った作品を観ていないのではないか?と思われます・・・というか恐らく監督か演出家のイメージが古いんですよね・・・
この草薙の実母も酷く古くて、いまさらこの状況で病気とか言い出すんですよ・・・私は恥ずかしくなってきました・・・観ている私が恥ずかしいです。そして、恐らく、実母の役者さんは、おろおろしなさい、という演出の指導を受けた人の、渾身のおろおろする演技、を見せつけられます。いたたまれなくなってきました。
演技の問題は、正直、私は草薙さんの演技を初めて観るので、全然ワカラナイです。ですが、この古い、手垢のついた、新鮮味が皆無の、監督や演出家の意図に沿ったというだけなのかも知れません。でも、そう言われて、疑問を持たなかったんでしょうかね・・・持ったら、少しは監督なり権限のある人で進言しなかったのでしょうか・・・何しろ、家を汚したら追い出す、と言っていたほど険悪な親戚の娘が自分の仕事場であるショーに突然出てきてバレエを踊っただけで、全生活をフルベットして、このたかだか親戚の娘のバレエ人生にすべてを賭けるって、なんで?ってなるのが当然だと思うのです。そういう役、への解釈とかしない人な可能性はある人という認識になりました。
なんだか悲しくなってきました・・・
しかし、こんな事に拘っていて、許せん!とかなってても仕方ないので、次回は良作の話しにしたいです。
愛の反対語は憎悪ではなく、無関心。拘泥しているという事は対象に何らかの感情があるという事ですね。反省。