サラ・ポーリー監督 プランB ユニバーサル 吉祥寺プラザ
サラ・ポーリー監督は「テイク・ディス・ワルツ」が凄すぎて、本当に真理を鋭く突きつけるのが上手くて、大好きな監督です。その最新作に、これまた美しさ、と言う意味で凄いルーニー・マーラが出演している、という事で観に行きました。
めちゃくちゃにヘヴィーな話しです、重たい話し、性犯罪を扱っています、が出来れば目を背けずに、好き嫌いではなく、多くの人が観た方が良い作品。丁寧な作りですし、希望を描いています。
ですが、そういうのがダメな方にこそ、オススメしたくなる作品ですけれど、そういう人、価値観が固まってしまった人には向かないかも。
もし、保守的な考えの持ち主がいて、この映画を観ても、この状況を変えなくても良い、と思うなら、それは保守主義じゃなくて、封建主義なんじゃないかな?と思う次第です。何を守っていくのが良いのかを考えさせない、というのは保守主義ではない気がしますけれど、定義として少しだけ変えていくのが保守なんですけれど、何を、どれだけ、変えて良いのか?を議論で決めないといけないし、鶴見俊輔の言う1番病という奴で、この辺は難しいです。ですが、この映画をみて、この現状を善し、とするのは人間としてなかなかな人だと思います。
それと、宗教という業について、考えが巡りました。
実際の出来事に着想を得た作品(とハリウッド作品ではよく使われるフレーズで、何を、何処まで、信じて良いのやら、というのが個人的な感覚ですけれど・・・)。
2010年代の架空の国で暮らすキリスト教徒の集団、原理主義的な一派と思われ、現代文明のテクノロジーから離れて暮らすコミュニティの中で、事件が起こり、その為に村の男は1人を除いて隣町に、容疑者の釈放を願って全員で出かけています。男達が帰ってくるまでの2日の間だけ、村の女性たちはある選択をしなければならないのですが・・・というのが冒頭です。
モノクロ?と思われるほどに暗い画面です、モノクロ、もしくは徹底的に色を抑えた画面です。しかしコントラストはよりくっきりで、しかも照明は、恐らくほぼ全編に渡って自然光を取り入れていると思われます。なので、画面に集中を求める作品です、能動的になれる人に向けて作られていると思います。構造上からも。
現実にあった事件を基に映画として脚色されていますが、本当に酷い話しなので、その怒りについては同意しかありません。閉鎖された空間で、ある宗教一派の中での事件でなければ、現代の話しとはまるで思えなかったです。いわゆるアーミッシュ(原則快楽を禁じている、自給自足の生活をする人々)の中に属するメノナイトのアフリカでの事件を基にしているそうです。
閉鎖集団の中、戒律も厳しく、電気すら用いないですし、車もない生活。学ぶことすら出来ず、女性に人権はほぼ無い暮らしの中で、さらに、家畜用の鎮静剤を用いて、性犯罪を繰り返していた上に、悪魔や狂言だとして事件として日の目を浴びず、ただ、我慢し許容する、という中で、目撃者が現れ、隣り町で起訴。しかし保釈金を出せば出所させられるので、隣り町にこの集団に所属する男性の1名を除いてすべてが出払い、帰宅するまでの2日の間だけ、女性たちだけで納屋の中で話し合う過程を追った作品。もう出だしだけでかなりのヘヴィさです・・・
しかも読み書きを習わない、学習もさせない、という徹底ぶりで、その為に女性たちの話し合いに1名だけ、この宗教団体の出戻りである男オーガスト(ベン・ウィショー)が読み書きができる書記として参加しています。
基本的に選択肢は3つ、赦す、残って戦う、去る、です。そして赦すは少数派、残って戦うか、去るで投票は同数、3家族の話し合いによって、意見をまとめる事になります、この時点で既に1日経過しています・・・
残って戦う、去る、という選択肢の中で議論が続く状況を見続けるわけです。
ある種の、希望みたいなもの、有ると思います。そして男性、という違う性別への怒りも最もだと思いますし、この状況はほぼ全ての人が改善する事に同意すると思います。
ですが、それは、この閉鎖社会には生きていない外部の我々であって、内部の人の声は届きにくいし、当然知らない出来事です。ですけれど、恐らく、どの文化圏でも、それなりの数、過去にはあっただろうな、と思われます。そこも恐ろしい。
しかも、この集団は宗教の規律の中にあるのです、信者が救われるために存在する、あの、宗教の中にある。
宗派が違っても、同じ構造を持つ宗教組織の例外なくすべての関係者の意見が聞いてみたくなりました。
せめて、成人、あるいは分別、自我が育つまでは、学びの機会、人権の存在、平和な生活した上で、その後宗教組織への参加を、それ以外の選択肢を見せて、同意させるべき。
宗教というのはいったいなんなのか?という事について考えさせられました・・・
信仰がある人、あるいは無い人に、オススメ致します。
ちなみに、リチャード・ドーキンスの著作の1つのタイトルは『神は妄想である』です。私は少し言い過ぎかもしれないけれど、神が人間を作ったのではなく、人間が不条理な世界を生きる為に作ったのが神という概念なので、そろそろこういうのは卒業してもイイと思います。
アテンション・プリーズ!
ココからネタバレありの感想です、本作を未見の方はご注意下さいませ。
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酷い事件の被害者が出続けている状況、それでも改善が許されない、というのは、他者、というか女性を人間として扱わない、その事に躊躇なく判断出来る人だと思います。それ以外でこの状況を許せる思考が思い浮かばなかったです・・・
何のための宗教なのか?理解に苦しみますし、これはどの宗教でも、ヒエラルキーが発生する以上(だって、この宗派、多分プロテスタントですよ・・・教会からの、権力からの離脱を求めた宗教改革の結果出来た宗派ですよ・・・)この問題、権力を悪用する可能性、しかも組織の中から、という問題に答えなければならないと思います。
そういう輩を、完全に排除する事は出来ない、というのであれば、それに対する対策を明確にする必要があるし、義務だと思います。俗世では、当然法律があり、ある程度学ぶ機会の均等性があり、自由もある。
宗教はこれに応えられないのであれば、救済を謳うべきではないし、そろそろ人類も宗教的な欺瞞、神学という欺瞞から脱しても良いと思います。
神の代理人を名乗る輩、神の権力を背に、搾取を行った人間のいかに多い事か、とも思いますが、多分無理でしょうし、それならば、宗教法人を止めさせれば良いと思うのですが、人にはダメになる権利、愚行権も確かに存在します・・・だからせめて、自我の、価値判断が出来る年齢に成長するまでは、宗教的な儀式への参加を認めないで欲しいですね・・・出来れば宗教組織側から。これは宗教組織の問題で、改善しないのであれば、それは宗教ではない可能性が極めて高い、と言えると思います。いわゆる、カルト認定です。それは個人の問題ではなく、宗教教義の問題だとすれば、改善策にもう少し真面目に取り組むのではないか?と思います。ある意味、歴史的に権力を持った人間がダメになる例は掃いて捨てるほどありますから。
というような事をいろいろ考えています。映画の中身の重厚さ、荘厳さ、話し合いの流れ、確かに納得なんですけれど、ルーニー・マーラ扮するオーナが聡明過ぎるきらいは感じました・・・いくらなんでも女神的な存在過ぎる。学ぶ機会が失われても、聡明さは別だと、私も思いたい、思いたいけれど、ここまでの存在は、少し異質過ぎましたし、飲み込みにくさがありました・・・でも美しい。
それと、故意で行っている性暴力、家庭内暴力、その他について、恐らく加害者である男性も、学びが無い状態なんです・・・簡単に批判出来ない、と思いました。こういう2020年代日本の平和な社会から見ると、異質過ぎる、閉鎖空間の環境を整えてきておいて、その中に被害者を生む状況を許容している組織が神の名を語っているのが恐ろしいです。自分が是対的な正義の側、神の名を語る事でどれだけ暴力的になれるのか?を示す良い事例でもある。
そして、1名しか出てこない男性は明らかに責任を感じているように見えますし、オーナに愛情を覚えてもいます。このオーガストを演じているベン・ウィショーさんが大変良かったです。多分認識今までしていなかった俳優さんです。
しかし、それ以外の男性が出てこないし、もちろん加害者ですし、それも常習犯の可能性があるのですが、この人物がどのような人物であるか?が語られない、描かれない以上、教育も行われていない状態で、学びの機会さえ奪う、宗教組織で、容疑者の釈放の為にほぼすべての男性が出向いてしまう、というコミュニティに生きている人間が、どのような思考を持っているのかワカラナイです。
もちろん、どのような状況であれ、動物に使う鎮静剤を用いて昏睡時に性的暴力、しかも常習犯、宗教集団内では庇われているわけで、もうどう考えても男性が悪い。でも、その男性ですら、学習の機会は奪われていると思いますし、女性側が赦し、を行う事でサヴァイブしてきたのと同じように、声を上げようとしても出来なかった存在もいるのではないか?とも思いました。声を上げなければ同意したに等しいとは思いますけれど、そういう集団の中でまともな思考が働くのか疑問です・・・
なので、もちろん男が悪いし、処罰されるべきだし、女性の選択、それも話し合いによる選択の価値は尊い。
しかし、もっと大きな悪は、宗教組織なのでは?という疑念がさらに深まったと思います。 私は無神論という宗教を信仰していますし、論理的であるという名の神も信仰していますし、客観性という神も信仰出来る、自分の判断を手放したくはないですね。神を大上段に掲げて、その加護を求めるのも自然だとは思いますけれど。もちろんいろいろな立場の人間がいていいし、それぞれを尊重したいけれど。