2023年7月28日 (金) 09:31
アレクサンダー・ナナウ監督 トランスフォーマー U-NEXT
これも本当は劇場に観に行きたかったのですが、なかなか時間が合わなくて・・・
冒頭の字幕を書き写します、これが映画の最初に字幕で語られます。
「2015年10月30日 ブカレストのライブハウス ”コレクティブ”で火災が発生
若者27人が死亡 180名が負傷した
出口が1つしかない店が放置されていたことに怒り、
市民は腐敗した政権を糾弾するデモを行った
全国に広がる激しい抗議行動を受け
社会民主党政権は退陣
怒りを鎮めるべく指名された無党派の実務家が
次の選挙までの1年間政権を担った
火災後の4カ月間で更に負傷者37名が
入院先の病院で死亡した」
というのが冒頭の字幕です・・・なかなかヘヴィーな案件だと思われます。普通、ライブハウスの責任を政権批判まではなかなかいかない気がしますので。でも、重大な火災事故の後に指導体制がどうであったのか?は重要ですけれど。
さらに、火災後4カ月の間に37名の被害者が病院で死亡しているのは、なかなかな数字だと思います・・・まず、この点が最も気になりました、どういう事なのか・・・
マスメディアの役割はかなり重要ですし、政権には批判的であって欲しいし、それは監視、抑止の為に必要ですし、政権運営側も、その批判にその都度答えなければなりません。議事録も残して欲しいし、改竄があったら、それは信用度が著しく下がると思いますね。そもそも国家権力が強すぎるから、透明性や抑止する憲法が必要な訳で、より良い方法を本当に熟考したのか?が問われて良いと思いますし、それは政治家への批判じゃなくて手続き上必要な事です。でも、感情論では難しいんですよね・・・
さらに、ドキュメンタリー作品は公平に見えて、かなり結果をコントロールできる手段だと思います。だからこの映画だけで、政治腐敗があったのか?は言及しにくいし、しない方が良いと思います。
それでも、かなりヘヴィーな案件で、凄く考えさせられます・・・
個人的に気になったのは、1年間だけ保健相に任命されたヴラド・ヴォイクレスクさんです。ジャーナリストを扱った映画作品ですが、この大臣の意思決定の場面まで、かなり近い所まで映像に収めていて、ある種、この人が最も努力しているし、改革をしようとしている ように見えました。交渉も話術も悪くないです。
逆に、抵抗勢力の、既得権を持っている側の、論点をずらしたり、民族や国家感情を揺さぶってくるのは、常套手段で、大変効き目があるモノなのだろうな、と思いました。これが簡単に効いてしまうのは、正直民度の問題な気がしますけれど、不当に外国を優先させるのか?という声の大きい人への反論は難しいだろうな、と感じました。
いつもなら、このままぐるぐる思考が回ってしまうのですが、自分的には新しい疑問があって、そもそも民度が高い国って過去に存在したのだろうか?多分かなり限定的で、それこそ古代ギリシャでさえ難しいと思います、奴隷制があって働かなくて良くても、民主的でも、です。そして、人間という動物が理知的になれるのか?疑問に思われます。民俗的かどうか?は別にしても、先の大戦すら、何がどう良くなかったのか?を自らの加害性を考慮して国民国家的なコンセンサスさえ取れていないのではないか?と思うのです。良い所もあった、アジアを解放した、とか、終戦とか進駐軍とか転進とか、欺瞞に満ちていると感じますし・・・
閑話休題
正直、小品の表示を疑う、という事はあまりない事だと思います、特に手指消毒に関するものだと、確かに薄められていても分からないかも知れません、恐ろしい・・・
で、サブタイトルの国家の嘘、が何処までなのか?が全然解明されないのがちょっと怖いです、切り方も恐ろしい・・・・
今、ルーマニアはどうなっているのでしょうか。
ルクセンブルクも近いと言えば近いですし、大変気になります。
ドキュメンタリー映画が好きな方にオススメ致します。
2023年7月21日 (金) 09:16
CODY CLARKE監督 KILL THE LION FILMS
あの、NO SHARK のCODY CLARKE監督が続編を製作!しかも、日本語字幕をつけてYouTubeに無料公開してくれています。これも日本からのクラウドファンディング含む出資者がいたからで、前作「NO SHARK」に日本人にアソシエートプロデューサーが入っていたおかげだと思います。このアソシエートプロデューサーが、知人だった、というのが前作の1番驚いたところでした・・・でも、この人物のおかげだと言い切っても良いと思います。映画という文化が好きな人とは話していても楽しいです、知人で良かった。
今作はNO SHARKの続編、しかもかなり直接的な続編。なのでNO SHARKのネタバレに繋がりかねません。その部分はご理解ください。
ま、NO SHARK観て気に入らなかった人にはオススメ出来ない作品である事はお伝えします。
サメに食べられたい、という願望の女の子の事件を目撃していた女性が、その事件があったビーチで寝そべっていると、そこに若い男女2人組が現れ、不思議な会話をし始めて・・・というのが冒頭です。
凄く、摩訶不思議な世界。前作はモノローグ一辺倒で、それなりのスタイルだったのですが、今作はモノローグもあるけれど、それは主人公であるブルックのみです。それ以外の会話は普通に話されます。
で、分かってやってるとは思いますけれど、そしてそれをジョーク、それもブラックジョーク的に扱っている事があるんですけれど、それを哲学的、と捉えるのか?もしくは量子物理学的に捉えるのか?は好みが分かれるところだと思うし、何と言いますか、個人的に量子物理学が完全に範囲を特定できていないにも関わらず、スピリチュアルな人々の勝手な解釈補強に使われている事が、凄く気に障ります・・・
例えば、全て私の個人的な浅~い理解の範囲の話しなんですけれど、ニュートン力学は地球上の力学を説明できていたし、ある種正しかったが、宇宙の物理学には、相対性理論が必要で、より細かな差異が必要だからこそ、宇宙の物理学としては相対性理論を用いた物理が使われているのだと思います。もちろん同じように量子力学が必要な分野があるのも理解出来ますけれど、それは基本的に原子とか分子のような世界の物理法則の話しで、スピリチュアルな事象の解釈補強に使うのはどうなんだろうと疑問に思います。まだの私の浅い知識と無能な頭の為でしょうけれど。ただの戯言です。
なのでブルックの思考はあまり乗れなかったけれど、優しい、間違いを認める、という部分は好きです。
でも、このよく分からない不条理な世界で、さらなる不条理をブラックなジョークにするのは確かに面白かったですし、NO SHARKとは、INVISIBLE SHARKだった、という事だと思います。
でも、ラストの解釈は必要だったのかなぁ・・・それに彼氏の話し、凄く理解出来る。イイ人。でもこのやり方じゃ、女性には「全く響かないどころか不満で怒りすら覚えさせるんだろうな、と思うと、私は、分かっていて嘘でもいいから好きな相手に合わせろ、相手を尊重しろ、という事が出来なくて、だからこそ、こちらも正直に思った事を言葉にして、理解を求めている訳であって、そういう相手を自分の都合の良いようになってくれ、してくれ、というのは我が儘で身勝手な行為なんではないか?と思う次第なのでまぁダメ人間ですよね。まぁこちらも相手にこうであって欲しいをやるけれど、その対応は相手の自由なので、それはもちろん臨んだ形のにならないでしょうけれど。
そういう機微が現れていた部分も好みでした。
でも新しさ、と言う意味ではNO SHARKの衝撃には敵わないでしょうね。
2023年7月18日 (火) 09:37
キム・ギヨン監督 YouTube
あのポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」に大きな影響を与えた、という韓国映画が観たくて探していたのですが、日本語字幕付きでYouTubeにある事を友人から聞いたので、やっと観れました。でもこれ、合法なのか違法なのか?私には分からなかったです・・・
ある工場に勤める女性たちはコーラスを習っています。コーラスを教える先生に生徒がラブレター(今となっては死語でしょうね・・・)を渡すのですが・・・というのが冒頭です。
確かに、これは「パラサイト」の基になった作品と言えると思います。1960年の映画ですけれど、非常に面白い作りになっています。
中でも、心情と同じように画面奥の背景がぐにゃり、と曲がる感じがあって、まるで漫画表現のように効果的で、一体当時の技術でこれが可能なのか?それとも、ただ単にフィルムの劣化で起こった事なのか?分かりませんが、物凄い効果を生んでいます。私が思い出したのは、漫画で言うと小山ゆう先生の「がんばれ元気」のショック表現の ぐにゃり です。
現在(2023年)の感覚ですと、大変大仰な、過大な、音楽表現による盛り上がりは、ちょっとやり過ぎと感じます。感じますけれど、これ、確かに当時の感覚で言えば、これくらいの表現で良い事なんでしょう。
つまり、家父長制の強い、儒教の強い影響下に置かれている、価値観の定まった、無論当時の道徳的に、世間的に正しいとされる世界や家庭を生きているとすると、恐ろしいまでの負荷が女性にはあったと思います。
階段という道具、というか生活環境の中にある普通の何気ない段差が、取りも直さす、そのまま階級差を表していて、しかもかなりの断絶があります。
カメラワークもなかなか凝っていますし、今観ても十分面白い作品です。
また、本当に当時を生きている人、大変だったんでしょうね・・・選択肢が無いというのは大変に辛い。しかし、今は逆に選択肢が多すぎて、難しい。でも、どう考えても、選択肢が無い世界の方が全然辛いと思います。選択肢が多すぎても確かに難しいけれど、ある種の選び取ったという責任感が生まれます。それが無いよりはまだいい。
とにかく、1番は下女役のイ・ウンシムさんです。顔は整っていますし、クールな感じさえ漂わせる、かなりしたたかなんですけれど、それでも当時の価値観からは逃れるのが難しいというか当たり前なんですよね。
今だといろいろもっとスリムに出来ると思いますし、同じ題材を、増村保造監督がたくさん撮っていますけれど、私は増村監督作品の、個人の生き方を尊重したくなります。
それと、何度も確認する事になるんだけれど、本当に、男と女って全然考え方、感じ方、その対処について、本当にそもそもが違い過ぎる・・・基本的に、男女とかではなく、人間としてって考え方が当然だと思うんだけれど、あまりに違い過ぎて、なんかコミュニケ―ションを取るための作法や手間がかかり過ぎる。確かに、その為の対価のほぼすべてを今まで女性側が払ってきたからこそ、なのだが、理解はしているし、怒って当然だし、コストがかかるのが当たり前なのだ、という事を十分理解してもなお、当然履いていた下駄がいかに楽であったから、その時の感覚でスピード感あるコミュニケーションを取りたい、という欲求は無くならないし、経験した事を無かった事に出来ない。特に初めて話したり会ったりする場合は本当に大変だと思うから、若い人々が、男性はぼっちだったり、女性は女子会とかをする気持ち分からないでもない。だって大変な手間をかけるよりも同性で、同じ趣味や価値観を等しくしている人と話す方が楽しいし、楽しいまでのコスパがイイ。正直言うと、40過ぎた男性や女性が恋愛感情を持つ、とかちょっとキモチワルイし、まただからと言って、性欲だけが目的なのも、動物として仕方ない部分があるんだろうけれど人間としてダメだし惨め。なので、少子化は進むし退化が始まるんじゃないかと思ったりする。テクノロジーが発達すれば栗本薫著『レダ』みたいな生殖もあり得るだろうけれど。
映画「パラサイト 半地下の家族」を観て好きな映画になった人に、オススメ致します。
ラストのある展開、いらない、と言えばいらないんですけれど、画面の外を描く感覚があって、なかなか面白いとも言えますね。
2023年7月14日 (金) 09:02
サー・ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著 由良君美・富山太佳夫訳 新思索社
初めて読む方です。もちろん戦場のメリークリスマスを観なかったら、手に取らなかったと思います。本当に読んで良かったです。
ここ数年、当たり前のことですけれど、親しくさせていただいた方が亡くなる、という事が多くなってきました。最近ですと、辰野先生も、森先生も、そして患者さんも。
親しければ親しいほど、頭の中で、いつもこれで最期にお会いする事になったとしても、と思いつつ行動しているつもりなのですけれど、それでも、もうお会いする事が出来ない、という事実は大変重く感じられます。
そして身辺整理は今すぐにでも行わないと、出来ない可能性がある、という事を強く意識させられる出来事があると、ままならない、不条理に満ちた世界を生きている事を自覚して、出来る事をやっておかないと、と思いました。
どんなに準備しても足りない事や出来ない事もあるのでしょうけれど。
この本の感想も、その人と話したかった。
映画化作品を観た後から読んでいますけれど、当たり前ですが、映画化される事を望んで、想定している訳では無いと思いますし、著者のサー・ローレンス・ヴァン・デル・ポストさんの体験を考えると、まさに凄まじい体験だったんだと思います。しかも、サーを得ています。
そして、第2次世界大戦に従軍していますし、俘虜の立場を経験していますし、日本と縁深く、多少なりとも日本語も話せたようです。そういう方の体験があったからこそ、書かれた作品です。
全体は3部構成になっています。映画化されたのは1部と2部の部分です。ですから、当然ですけれど、全然違う話しになっています。大島渚監督の編集だと思いますし、当たり前ですけれど、書籍と映画はまるで違った文化です、この原作の映画化と言う意味で大島渚監督は物凄く上手い改変をされている、と思いました。
まずとにかく文章が詩的なんです。それも、私は全く詩に詳しくないのですが、とてもイギリスっぽさを感じさせる、ワーズワースとかウィリアム・ブレイクとかの文章を感じさせますし、とにかく教養、と言う意味で全く歯が立たないくらいに、この文章の背後に、なんらかの暗喩や意味が隠されていそうです。そこはかとなく、その隠されているように感じさせるのです。しかし、教養がなくとも、この文章が、ヒロガリがあり、美しい、という事は分かります。つまり教養が無くても美しいと思わせる事が出来るのが、凄いです、訳者の方の努力もあると思いますが。
恐らく、完全に私の妄想ですけれど、ただの詩的というだけでなく、もしかすると韻を踏んでいたりしている文章なのでは無いか?と推察しました。だからこそ、この翻訳に当たられた由良君美さんと富山太佳夫さんの仕事は大変難しかったであろうと思います。英語で美しい文章と日本語で美しい文章は、意味ではそうは違わないかも知れませんけれど、音の響きや韻と言う意味では違ってしまいかねません。でも、訳された文章しか読めないのは、残念ですけれど、非常に美しい文章だったと思います、だからこそ、読み込むのに時間がかかりました。
第1部 影さす牢格子 クリスマス前夜
この本の語り手が、旧友であるローレンス(この本の著者名は、L・ヴァン・デル・ポストと表記されていて、読者が、L=ローレンスだとワカラナイ様にしてあるのも上手い!)と久しぶりに戦後に会って、同じく俘虜時代の事を思い出し、語り合うという作りになっています。つまり、作者とローレンスが別人になっていますけれど、どちらも同じように、ローレンス・ヴァン・デル・ポストと察せられる感覚があります。まるで1人の人間の別人格が脳内で話しているかのようでもあり、しかし実際に創作ではあるので、作者の分身であるのは当然としても、ローレンスと別に語り手がいる事に最初は驚きました。
そして、2人で、ハラ軍曹の話しをするのですが、そのハラを表す表記の中に「ハラという男は、おのれを虚しく出来る」(P43)というのがあって、とても上手いと思いました。
1部では、恐らく、俘虜体験と、そして西洋と東洋、さらにキリスト教的な赦し、と日本神道的な全体主義との対比が主題です。かなり巨大な文化的隔たりについての話しなのですが、おおよそ、ローレンスや語り手の体験談は、著者の体験談でしょうし、本当に恐ろしいです。
生きて虜囚の辱を受けず、的な文脈で語られる戦陣訓含む日本神道的な世界を、たった80年ほど前はそれこそ真剣に行っていたわけで、西洋からすると、とても神秘的に見えた部分もあったと思いますけれど、その集団の俘虜になる、という事がどれほど恐ろしい事か?を考えてみれば当然ですが、まさに暴力的な世界だったと思います。そこで生きる為にキリスト教的赦し、を対比させるのが凄いです・・・
ハラの恐ろしさ、そして語られる獄中でのハラとの最後の話し、ハラの日本的な死のあり方含めた、対比はとても重みがありつつ、素晴らしいと感じました。しかしそれでも、ハンナ・アーレントの言う悪の凡庸さ、について考えさせられる事にもなるわけですけれど。
第2部 種子と蒔く者 クリスマスの朝
ここでは、ジャック・セリエという男についての2人の語り合いです。セリエもまた、著者ローレンスを思わせるのですが。映画でデビッド・ボウイが演じた人物です。
ここで、確かに映画でも語られているセリエの過去があるのですが、物凄く簡略化、というか省略されていたのだ、と感じました。実際に、セリエの手記のようなものが語り手に託された事で、ローレンスと語り手がセリエについて話し合います。特にセリエの手記が見事です。著者は明らかに、語り手、そしてローレンスとはっきり区別して、セリエを描いています。
語り手、ローレンスよりもはっきりと苦悩する、それもキリスト教的な裏切り、醜い感情の話しであり、その上で、より文学的で詩的な文章なんです。この手記だけで短編小説として十分成立する話しですし、キリスト教的世界観というものを感じられます。そしてこのセリエと対比される人物が、映画で坂本教授が演じたヨノイです。このヨノイとの奇妙な繋がり、と言いますか皮肉な関係性は映画とはまたちょっとテイストが違うと思います。まぁかなり大島渚監督が脚色していますし、ある一方方向にミスリードしている、とも読後は思えました。ただ、セリエ、という人物の魅力、それも本質的な美についての感覚は、かなり惹かれるモノがあったのも事実ですし、人としての魅力と言って良いと思います。
タイトルにある、種子、そして誰が蒔いたのか、この本を読んで私にもそれを蒔かれた感覚があります。この話しを本当は、話し合いたかった方は既にいないのが悲しいです。
第3部 影と人形 クリスマスの夜
これはこの1,2部の後の、ローレンスの話しです。これも非常に読み応えのある詩的な文章で描かれた、凄くロマンティックな話しです。ですが、リアルでもあります。私はローレンスの生き方に共感しました。そういうひと時があれば、その後の人生が僅かな輝きしか持ちえなかったとしても、満足して死んでいける気がします。
戦時という非常事態、理不尽な世界の中でもかなり過酷で、極限状態であっても、いや、だからこそ、人の持つ何かが問われるのだと思います。
でも、だから戦争という非常事態が起きて欲しくない。その努力は支払うべきなんでしょうけれど、あまりにその経験者が少なく、拝金主義が過ぎると、キリスト教さえ沼に入る事になったうちの国が、どうにか出来そうにない気がします。
本当に読んで良かったです。
2023年7月7日 (金) 09:14
是枝裕和監督 東宝 GAGA 吉祥寺オデヲン
やっと観る事が出来ました。
最近は予告編も観ないようにして、期待値は出来るだけ上げないようにしています。基本情報は、監督、演者、終わりです。でも、劇場に行くと予告編が付いてきますので、どうしても観ちゃいますね。
でも、是枝監督作品ですから、当然、観に行こうと思ってました。
シングルマザーで小5のミナトの母(安藤サクラ)はミナトに振り回される毎日が、輝いて見える充実した日々を送っているのですが、近隣のビル火災があり・・・というのが冒頭です。
なんだこれは!という岡本太郎丸パクリの驚きです。もう、すぐにもう1回観に行きたい。しかし、当方にはその金銭的時間的余裕がありません。そして、出来るだけ1回の視聴で全集中力をかけて画面で起こるすべてを漏らさないように観ているつもりでも、どうしても掬い切れない情報たくさんありますね・・・
まず、何も知らないで今から劇場に観に行ける人が、うらやましい!まだ未見の人は是非のオススメです。
で終わりでいいと思うんです。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。未見の方はご注意下さいませ。
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ココからネタバレありの完全な個人的感想(≒妄想)です。建設的な時間を重要視される方はご遠慮くださいませ。あくまで極私的な閉鎖された感想です。
ただ、いつも思うのですが、こういうオープンエンドの良作って誤解を含めて、どんな感想もその人の大切な正解だと思います。当然、鑑賞後に、解析度の高い人、映画考察力の高い人と話したり、感想レヴューを読んでなるほど、と感想が変化する事もあります。それでも、その変化含めて、その人が受け取る何かだと思います。
だから、凄く野暮な事なんですけれど、野暮というフィルターであり、遠回りをしないとたどり着けないモノも存在すると思うのです。それに私は書いてみないと感想がまとまらないタイプですし、最近、膝を打つお言葉もいただいたのですが、私は同じところで1人でぐるぐると思考が回っているのが好きみたいです。別に他者が居なくても大丈夫な気さえします。
なので野暮なんだけれど、私なりの今の感想です。
恐らく、映画が好きな人ならどうしても黒澤明監督の「羅生門」を思い出さずにはいられません。本当は何がどうだったのか?藪の中を想像するしかない。そして、三者三様の捉え方が出来ます。
最初は、どう考えても、不憫にしか思えないシングルマザーであるミナトのお母さんの目線で進むのですけれど、不穏感が徐々にエスカレートしていくの、本当に上手いです。物凄く嫌な感じしかしません。そして自分だったら、と思うと、非常に恐ろしくなりますし、どう考えてもおかしい!という義憤を溜め込んでしまいそうです。この映画内ではSNSに対しての言及はありませんでしたけれど、もし、このお母さんがSNSの扱いが杜撰だったら、と思うとより恐ろしいです。
これは、どう考えても、このホリ先生はダメだ、教師失格!という義憤を溜め込んだところで、いきなり、冒頭に戻ると、今度はホリ先生の視点で再度物語は進んでいきます。
このパートを見ると、あんた、杜撰!無神経!でも、このホリ先生を簡単に批判出来ない!あれ、さっきの義憤、憤りはなんだったの?ってなります。う、是枝監督、上手い!となって、え?となった瞬間、今度はミナトくん視点でまた振出しに戻るのです・・・
このパートが最も苦しい・・・しかも簡単に文章で感想を述べるのに凄くヨクナイ事なのでは無いか?とも思ってしまいます。
なので、物語の脚本上の結末は、私はある種のハッピーエンドだと思いたい。それは私がネガティブな人間だから、なのかも知れないけれど。
で、この映画は役者が本当にハイクオリティ過ぎました・・・中でも、このハイクラスの中でも恐ろしいのは、ホシカワくんを演じた柊木陽太くんです。断トツの、驚愕の演技力と自然さ、さらに純粋さの中に少しだけ憂いを感じさせるそのセンス、ちょっとどういう事?と思いました。
パンフレットによると、子役として既にいろいろ経験しているのだそうです。とにかく名前を憶えておきましょう。是枝監督作品には、毎回と言って良いほど、上手い、しかもそれだけじゃない、という子役が出てきますけれど、万引き家族の城桧吏さんも、何処で見つけてきたの?というくらいの素晴らしい原石でしたけれど、柊木さんはまたちょっと凄い役者、もう子役ではなく、役者さんですよ。
3パート目、もうすべてこの柊木くんが持って行きました。この子の輝きが凄すぎる。
で、1コ残った謎は、やはり、柊木くんが2パート目に言う「ホリ先生はミナトくんをいじめてる」が何故出てきたか?です。それ以外はだいたい妄想的な補完が効きますけれど、この部分が分からなかったです。
安藤サクラさん、安定の安心感しかないです。でも共依存は気をつけたい。永山瑛太さん、確かにこういう人いる!という感覚があります、不憫。でもしょうがないし、最後に気付いているの、ココがこの人素晴らしいと言える。ただ、すべてにおいてタイミングが悪い。でも悪いにはタイミングであって、ホリ先生なんじゃない。そして校長先生、恐らく元凶はこの人、なんだけれど、この人もそれなりの傷を負っていて、その為なのかも知れないし、職場(とは言え校長も結構赴任する学校が変わるんじゃ・・・)への愛からなのかも知れないし、ミナトに楽器を吹かせて、発散させるのも教育者としては結構イイのではないか?とも思わせるのです。あからさまに年収、という金額で人間を判断しようとするホシカワの父も、そういう価値観を植え付けられた、と言えなくもない。しかも母親が出て行っているわけです。いろいろに皆、何かしらに問題がある。
あと、個人的に皮膚感覚的にイヤなの、ホリ先生の彼女さんです、怖いし、魅力的なんだろうけれど、私には恐怖感しか感じなかった・・・サイコーに気分を害する人・・・を演じる高畑さん、恐ろしい、そういう人にしか見えなかったですけれど、普段の顔と違い過ぎて恐ろしい・・・これ桐島部活やめるってよの松岡茉優さんの時と同じくらいの凄さ・・・
それと、上手いイジワルだよなぁ、と思ったのが、ミナトの父親の最期の辺りをミナトがホシカワくんに説明するの、本当に上手いしイジワル。現実って、こういう事だと思います、素晴らしい親でも、欲求はあるし、人でなしにも、善き行いがある。
あと、やっぱり校長先生演じる田中さんが、恐ろしいまでの迫力がありますね・・・特に、お前が学校を救うんだよ、は迫力があり過ぎますよね・・・
当たり前なんですけれど、誰が悪いのか?なんて言えない事多いですよね・・・校長は、確かに元凶ですけれど、もしかすると、というか実際にマニュアルがあって、それに沿う事を強要されているのかも知れません。そこから逸脱する、という事は組織から逸脱するので、そういうパーソナリティって日本社会だと、村八分という恐ろしいネーミングという恐怖による強要部分も、有ると思います。
村八分、凄いネーミングだ・・・
ちょっと気になって英語にあるのか調べたら、village ostracismってなってて、あるんだ!という驚きです・・・
怪物は誰なのか?私は感情に乗っ取られて理性というコントロールを失った人物全てが怪物だと感じました。誰でも怪物となる恐れがある、という事なのかな。
音楽、凄く良かった。良かったけど、正直、音楽があるから、この長さなのかな、とも思いました。
もう1つ、3パート目のとある窓を2名の大人が拭くシーンの雨後の、まるでプラネタリウム、それも人が自然の天空を模して作ったプラネタリウムじゃなく、自然のプラネタリウム(もちろん矛盾しているのですが)みたいな美しさがあって、初めて観ましたし、見とれてしまいました。
インティマシーコーディネーターが居たのも良かった。
という訳で、やっと感想まとまったので、他の人の感想見て、結末をどう考えている人が居るのか、これからいろいろ読みに行きます~