井の頭歯科

「影の獄にて 戦場のメリークリスマス 原作版」を読みました

2023年7月14日 (金) 09:02
サー・ローレンス・ヴァン・デル・ポスト著   由良君美・富山太佳夫訳   新思索社
初めて読む方です。もちろん戦場のメリークリスマスを観なかったら、手に取らなかったと思います。本当に読んで良かったです。
ここ数年、当たり前のことですけれど、親しくさせていただいた方が亡くなる、という事が多くなってきました。最近ですと、辰野先生も、森先生も、そして患者さんも。
親しければ親しいほど、頭の中で、いつもこれで最期にお会いする事になったとしても、と思いつつ行動しているつもりなのですけれど、それでも、もうお会いする事が出来ない、という事実は大変重く感じられます。
そして身辺整理は今すぐにでも行わないと、出来ない可能性がある、という事を強く意識させられる出来事があると、ままならない、不条理に満ちた世界を生きている事を自覚して、出来る事をやっておかないと、と思いました。
どんなに準備しても足りない事や出来ない事もあるのでしょうけれど。
この本の感想も、その人と話したかった。
映画化作品を観た後から読んでいますけれど、当たり前ですが、映画化される事を望んで、想定している訳では無いと思いますし、著者のサー・ローレンス・ヴァン・デル・ポストさんの体験を考えると、まさに凄まじい体験だったんだと思います。しかも、サーを得ています。
そして、第2次世界大戦に従軍していますし、俘虜の立場を経験していますし、日本と縁深く、多少なりとも日本語も話せたようです。そういう方の体験があったからこそ、書かれた作品です。
全体は3部構成になっています。映画化されたのは1部と2部の部分です。ですから、当然ですけれど、全然違う話しになっています。大島渚監督の編集だと思いますし、当たり前ですけれど、書籍と映画はまるで違った文化です、この原作の映画化と言う意味で大島渚監督は物凄く上手い改変をされている、と思いました。
まずとにかく文章が詩的なんです。それも、私は全く詩に詳しくないのですが、とてもイギリスっぽさを感じさせる、ワーズワースとかウィリアム・ブレイクとかの文章を感じさせますし、とにかく教養、と言う意味で全く歯が立たないくらいに、この文章の背後に、なんらかの暗喩や意味が隠されていそうです。そこはかとなく、その隠されているように感じさせるのです。しかし、教養がなくとも、この文章が、ヒロガリがあり、美しい、という事は分かります。つまり教養が無くても美しいと思わせる事が出来るのが、凄いです、訳者の方の努力もあると思いますが。
恐らく、完全に私の妄想ですけれど、ただの詩的というだけでなく、もしかすると韻を踏んでいたりしている文章なのでは無いか?と推察しました。だからこそ、この翻訳に当たられた由良君美さんと富山太佳夫さんの仕事は大変難しかったであろうと思います。英語で美しい文章と日本語で美しい文章は、意味ではそうは違わないかも知れませんけれど、音の響きや韻と言う意味では違ってしまいかねません。でも、訳された文章しか読めないのは、残念ですけれど、非常に美しい文章だったと思います、だからこそ、読み込むのに時間がかかりました。
第1部 影さす牢格子 クリスマス前夜
この本の語り手が、旧友であるローレンス(この本の著者名は、L・ヴァン・デル・ポストと表記されていて、読者が、L=ローレンスだとワカラナイ様にしてあるのも上手い!)と久しぶりに戦後に会って、同じく俘虜時代の事を思い出し、語り合うという作りになっています。つまり、作者とローレンスが別人になっていますけれど、どちらも同じように、ローレンス・ヴァン・デル・ポストと察せられる感覚があります。まるで1人の人間の別人格が脳内で話しているかのようでもあり、しかし実際に創作ではあるので、作者の分身であるのは当然としても、ローレンスと別に語り手がいる事に最初は驚きました。
そして、2人で、ハラ軍曹の話しをするのですが、そのハラを表す表記の中に「ハラという男は、おのれを虚しく出来る」(P43)というのがあって、とても上手いと思いました。
1部では、恐らく、俘虜体験と、そして西洋と東洋、さらにキリスト教的な赦し、と日本神道的な全体主義との対比が主題です。かなり巨大な文化的隔たりについての話しなのですが、おおよそ、ローレンスや語り手の体験談は、著者の体験談でしょうし、本当に恐ろしいです。
生きて虜囚の辱を受けず、的な文脈で語られる戦陣訓含む日本神道的な世界を、たった80年ほど前はそれこそ真剣に行っていたわけで、西洋からすると、とても神秘的に見えた部分もあったと思いますけれど、その集団の俘虜になる、という事がどれほど恐ろしい事か?を考えてみれば当然ですが、まさに暴力的な世界だったと思います。そこで生きる為にキリスト教的赦し、を対比させるのが凄いです・・・
ハラの恐ろしさ、そして語られる獄中でのハラとの最後の話し、ハラの日本的な死のあり方含めた、対比はとても重みがありつつ、素晴らしいと感じました。しかしそれでも、ハンナ・アーレントの言う悪の凡庸さ、について考えさせられる事にもなるわけですけれど。
第2部 種子と蒔く者 クリスマスの朝
ここでは、ジャック・セリエという男についての2人の語り合いです。セリエもまた、著者ローレンスを思わせるのですが。映画でデビッド・ボウイが演じた人物です。
ここで、確かに映画でも語られているセリエの過去があるのですが、物凄く簡略化、というか省略されていたのだ、と感じました。実際に、セリエの手記のようなものが語り手に託された事で、ローレンスと語り手がセリエについて話し合います。特にセリエの手記が見事です。著者は明らかに、語り手、そしてローレンスとはっきり区別して、セリエを描いています。
語り手、ローレンスよりもはっきりと苦悩する、それもキリスト教的な裏切り、醜い感情の話しであり、その上で、より文学的で詩的な文章なんです。この手記だけで短編小説として十分成立する話しですし、キリスト教的世界観というものを感じられます。そしてこのセリエと対比される人物が、映画で坂本教授が演じたヨノイです。このヨノイとの奇妙な繋がり、と言いますか皮肉な関係性は映画とはまたちょっとテイストが違うと思います。まぁかなり大島渚監督が脚色していますし、ある一方方向にミスリードしている、とも読後は思えました。ただ、セリエ、という人物の魅力、それも本質的な美についての感覚は、かなり惹かれるモノがあったのも事実ですし、人としての魅力と言って良いと思います。
タイトルにある、種子、そして誰が蒔いたのか、この本を読んで私にもそれを蒔かれた感覚があります。この話しを本当は、話し合いたかった方は既にいないのが悲しいです。
第3部 影と人形   クリスマスの夜
これはこの1,2部の後の、ローレンスの話しです。これも非常に読み応えのある詩的な文章で描かれた、凄くロマンティックな話しです。ですが、リアルでもあります。私はローレンスの生き方に共感しました。そういうひと時があれば、その後の人生が僅かな輝きしか持ちえなかったとしても、満足して死んでいける気がします。
戦時という非常事態、理不尽な世界の中でもかなり過酷で、極限状態であっても、いや、だからこそ、人の持つ何かが問われるのだと思います。
でも、だから戦争という非常事態が起きて欲しくない。その努力は支払うべきなんでしょうけれど、あまりにその経験者が少なく、拝金主義が過ぎると、キリスト教さえ沼に入る事になったうちの国が、どうにか出来そうにない気がします。
本当に読んで良かったです。
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