井の頭歯科

「陪審員2番」を観ました     JUROR#2

2024年12月30日 (月) 10:24

 

 

クリント・イーストウッド監督   ワーナーブラザーズ    U-NEXT
2024年公開映画/2024年に観た映画  目標 36/100です。 現在は54/135
2024年の12月の20日を過ぎて、しかもこれ映画館で観れてたらもっと凄いのに!という作品に出合ってしまいました・・・
私はクリント・イーストウッド監督作品の最高傑作は『センチメンタルアドベンチャー』で、これは揺るがないです。しかも彼が世間一般や世界で評価されている映画は軒並み全く同意出来ない作品だと感じています、百万ドルとか許されるとかフォードが作ってた車の名前とか、全然好みじゃない上に、自分だけが特別、という意識を感じるのです。それを助長させている危険性を感じます。まぁ映画の好き嫌いなんて好みでいいのですが。
でも、これまでのどの作品よりも、今回のは脚本も良かったし、切り方サイコー!役者も素晴らしかったですし、本当に観て良かったし、劇場で観たかった・・・
気になったのは、今後、サブスクリプション・サービスを享受するという事は、映画館での体験が残念ながら減少する事の一因になるんだろうな、という事です。恐らく、映画会社は、今後独自のサブスクリプション・サービスを立ち上げるでしょうし、そこでないと観られない作品を作る事により、もっと多くの契約とか件数を争う事になりはしないか?その為であれば劇場公開を見送り、何なら回避してでも、サブスクリプション・サービスの充実を図るのではないか?と感じたからです。これは避けがたいのかも知れないと、今作の公開で感じます。出来れば共存して欲しいけれど・・・
閑話休題
正義の女神像(両目を隠され、天秤を持つ)が映し出され・・・というのが冒頭です。
監督作の中でもトップクラス、素晴らしい法廷劇であり、サスペンスの傑作。93歳で撮ってる人って、現在だと、イーストウッドと同年齢のドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンくらいじゃないでしょうか?ワイズマンも凄いけど、確かにイーストウッドも凄い!と唸らされました、本当に素晴らしい作品。
ネタバレなしでは、法的劇でもあり、サスペンスの傑作、あとは早く観た方が良いですよ、で終わりな感じです。
主人公は陪審員になるニコラス・ニュークス・ホルト。検察官のトニ・コレット。ちなみにキーファー・ヤッピー・サザーランドが出てきますし、良い演技してます。
いかにバイアスがかかるとホモサピエンスの認知が揺らぐのか?を描いた作品でもありますし、正義とは何か?と問いかける作品でもあります。
法廷劇は本当に面白いですし、制約があるからこその心理を描ける作品。
私はいつも思うのですが、確かに子供を持つには1人では無理なのですけれど、その親に当たる2名は時と場合によると思いますけれど、ある意味子供の為にすべてを投げ出す覚悟が求められると思いますし、その中でどちらかが倒れたとしても、それは浮気というか本気だったり、死別であったり、病気や障害による協力が得られなくても、その後1人でなんとかする、という決意だと思うのですが、まぁ難しいです
とか
陪審員裁判の問題点は理解出来るけれど、市民が参加する事の、自治の担保を負う事の重要性を再確認し、ホモサピエンスである以上間違う事もあり、誤る事があったとしても、その手を汚しての行動を伴う陪審員裁判の重要性を考えずにはいられない
というような事まで考えさせられる傑作。本当は劇場で観たかったという人もとにかく観た方が良い作品、オススメです。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。出来ればまっさらな状態で観るべき作品なので未見の方はご遠慮くださいませ。
ネタバレありの感想ですけれど、
脚本が素晴らしい。主人公であるニコラス・ホルト演じるケンプは、過去にアルコール依存症であり、飲酒運転の事故を経験していて、かつそのから妻の助けを得て生まれ変わってやり直している人物。しかも、妻が経験した流産の日のショックを紛らわすために、陪審員として参加する事になった事件の当日、同じ店に居て、かつその後に車の運転中に、何かを撥ねる事故を起こしていて、その時は鹿を撥ねたと認識しているのですが、事件当日だけに気がかりです。
この後ろめたさ、これは些細な事でも、後ろ暗い事をした経験がある人なら間違いなく感触として思い出せる、嫌な感覚だと思います。しかし、当然ケンプは人を撥ねたという認識はなく、もしかすると、という事に過ぎません。もちろん、鹿の可能性もある。
ですが、このまま裁判で有罪となれば、終身刑も確実な容疑者であり、被害者の元カレの人生を奪う事になります。しかし、まだ自分が撥ねたかどうかの確信は無い。
しかし友人の弁護士であるヤッピー・サザーランドは、もし蒸し返せば重要参考人どころか容疑者になり、しかも過去のアルコール依存症から呑んでいない事も、車の事故の事も陪審員には不利に働く事まで説明されます。
ところがあろうことか、陪審員の中にJ・K・シモンズ元刑事がいて、この事件の検察は容疑者が犯人と決めつけている事に嫌疑を抱いている、12名の陪審員のうちの1人でした。バイアスがかかっていて検察はその他の容疑や可能性に目を閉ざしている、と。
このJ・K・シモンズ元刑事が、昔のつてで調べたのが、もし、轢き逃げ事故だった場合の可能性のある車両のリストです。その車両リストから除外できる可能性を絞った僅か15台の車両を洗い出し、あろうことかケンプの車もその中にあり、ケンプは除外できるから残りの中から真犯人を見つけ出そう、と協力を求めてきます。
凄くサスペンスフルな展開です。とっさに書類を落とす事で、周囲の注目を集め、元刑事であるJ・K・シモンズを陪審員から外す事になるのですが、自身は陪審員に戻ってしまいます・・・
自分がどうするべきか?悩むのですが、結論から言えば、ケンプは容疑者の人生と自分の人生+娘と奥さんを天秤にかけて、自分を取った訳です。
ここから急に主人公がケンプからトニ・ヘレディタリー・コレットに移った、という感覚を持ちました。
ケンプは裁判に陪審員として参加し、自らが犯したかも知れない罪に対して悩み苦しみ、状況証拠から、自身の可能性を捨てる事は出来なかったと思います。逆に完全に否定する事も出来なかった。そこでケンプは、正義が真実ではない、という明らかな詭弁を持ち出し、もし事態を変える事になれば、あなたも多大な代償を払う事になる、というDEARを持ち出すのです・・・
この2人の対決シーンは非常に会話劇として周到に計算された脚本の素晴らしさがあります。
この映画はその後、ケンプ宅の呼び鈴が鳴り、扉を開けるとトニ・コレットが現れて、幕を閉じます。
凄い切れ味。
よく考えると、あのトニ・コレットに送られてきた差出人不明の花束とカードは、娘の将来を救ってくれたケンプの妻が出した可能性が高いと感じられます。最後の2人の対峙、もう2人とも何が起こったのか?理解した上での会話だと思うのです。手紙には「娘に正義をもたらしてくれてありがとうございます」と書いてあります。この場合の娘は、恐らく被害者ではなく、であれば名前を書くでしょうし、そうなると娘はケンプの娘しかいないと思います。
ケンプと違って、恐らく、トニ・コレットは正義の履行に、多大なる犠牲を払うとも、決心した顔をしていたと思います。それでも、それを決めるのは受け手である観客に委ねている。
素晴らしい作品。
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