井の頭歯科

「僕らの世界が交わるまで」を観ました     When You Finish Saving the World

2025年2月28日 (金) 09:18

 

ジェシー・アイゼンバーグ監督     A24     U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   5/16
あまりにリアル・ペインが良かったので。初監督作品も観て見ようと。そしたら配給はA24、なんかもう、成功してる感じですよ、最初からこの扱いか、天才っていうか努力の人なんでしょうけれど、才能が凄い。五百億分の一でいいから分けて欲しい・・・息をしているだけで何も産み出せず、馬齢を重ね、以下略。
ネットの中でライブが行われているような空間で歌い出すジギー(フィン・ウォルフハード)、場面変わって女性の為のセーフハウスを運営しているエブリン(ジュリアン・ムーア)は親子で・・・というのが冒頭です。
これが初監督作品!!!ジュリアン・ムーア出てるし、フィン・ウォルフハードも出てるよ!
で、親子関係映画だったか・・・しかも母親と息子の話しでした。ここはあまり好みでは無いのですが、作品はなかなか良かったです。でも邦題はどうなんだろう・・・興味を削がれる感覚しか無いし、雑。直訳もちょっと意味が分からないけれど、常套句なんでしょうか?慣用句で意味が違うのかも。
いつも通り、ジュリアン・ムーアって嫌な時の顔とか、じわじわと理解し合える時の表情の演技上手い、と思ますし、流石。
息子の、どうしようもなさ、というか無力感やダメな部分は、年齢的にも仕方ないし、まぁ少しダメの度合い、この年代で、それは無いのでは?というイタさも感じられます。政治的な意味に無頓着だし鈍感過ぎるし、自分の名前のイニシャルの付いた帽子をかぶるのも、なんでも自分のサイトの話しになってしまうのも、子供なんだからある意味仕方ないし、こういう扱いを受けないと、男性としては成長出来ないので仕方ない。我慢して気付くしか無い。そしてアメリカでも、男子と女子の精神年齢には開きがある事が分かったけれど、まぁ全世界共通的な部分でもあるでしょうね。
それと対比される母親のダメさは、ちょっと引いてしまうくらい根深い・・・この差を埋められない感覚が、個人的な感覚なんだけれどあって、それがやはりオトナとして嫌なんだけれど、きっと私も若い世代から行動を観察されているとあるんでしょうね・・・気づけないのは致命的で改善の可能性がゼロだという事を指し示していて、非常に恐ろしさを感じます。
結構な嘘もつくし、その小狡さ、が鼻につく。そして客観視すると、エレベーターが来る前に話しかけただけで解雇を言い渡される可能性感じているという権力勾配に無頓着な所が息子であるジギーにも似ていて、家族の恐ろしさ、遺伝子的に逃れられないのが本当に恐ろしい。
しかも、よく考えるとこのエレベーター前で話しかける女性に対する扱いの酷さ、この後とある人物の前ではようはダシに使われ、容姿を(コスチュームだけど)馬鹿にされ、あまつさえ、夫と息子に対する嘘に再利用されてる・・・
それとこの映画の話しで身につまされるのは夫。この夫の扱われ方、それも家族からの扱われ方。そしてその対処方法の真っ当さと相まって、非常に爪痕残してくる。
これだとシングルの方がまだマシなのかも知れない、と思わせる存在でなかなか。
音楽の使い方、特にいろいろな上手さがあるのですが、曲の頭の部分を何度も聞いていて、それがある変化が起こるラストの感覚、新鮮でした。
ジェシー・アイゼンバーグが気になる方にオススメします。

「リアル・ペイン」を観ました   A REAL PAIN

2025年2月25日 (火) 09:40

 

ジェシー・アイゼンバーグ監督    Searchlight Pictures    Toho新宿
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   5/15
かなり評判の高い作品で、脚本、監督、助演がジェシー・アイゼンバーグって!?となったので見に行きました。
まず、ジェシー・アイゼンバーグが、凄く多彩な映画作品に出ている印象がありますし、とても多様な監督と組んでいる演者だと思ってます。
1番最初に出会ったのはフィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」です。その後気になりノア・バームバック監督の「イカとクジラ」、グレッグ・モットーラ監督「アドベンチャーランドにようこそ」、ルーベン・フライシャー監督の「ピザボーイ」、この辺まではちゃんと追いかけていたのですが、ルイ・ルテリエ監督「グランド・イリュージョン」を見逃してから、ウディ・アレン監督作品に出てみたり、ジャスティスリーグのいわゆるDCアメリカンコミック作品に出演したり、で段々と追いかけなくなってしまいましたが、かなり多様な監督と、多彩な役柄を演じ分けている演者だと思ってます。
それが、脚本を自分で書くライターになり、そして監督にまで!かなり面白そう!と思ったので、期待値高かったです。
空港で様々な人が行き交うベンチに座る男の横顔に小さくA REAL PAINとタイトルが出るのが冒頭です。
ロードムービーでバディモノです。そしてまだ2025年公開作品は5本しか観てないけれど、暫定の1位でこれより上の作品が出たらベスト5入り間違いない、というくらい好みの作品でした。
まず、キャラクターの造形、その観客への理解のさせ方、この旅の導入と関係性とのスムーズさ、演出と画角の確かさ、どれもレベル高い!!ラストをどこに置くのかも含めて、切り方も最高です。
いわゆる困った人に振り回される人と、困った事含めて魅力的な人のバディが、共通の祖母、それもホロコーストの生き残りであり、その祖母の死後の希望で旅が始まるという設定が素晴らしい上に、どんなキャラクターであるのか?を観客に見せるやり方が上手い!
どうやら監督作品としては2作目みたいです。見事な監督作品。そして自身のアイデンティティに関わる題材、脚本も流石。
その上、共演というか主役は役柄の上のいとこ関係であるキーラン・カルキン。この人がチャーミング!そういう人にしか見えないのが流石役者さん。
ただ、チャーミングだけでは済まさないのがこのキャラクターで、小さなトラブルメイカーでもあり、常識に捉われない、しかしそこに意味があるようにも見えるキャラクターになってて、ここがこの作品の肝だと思います。本当に内心そう思っているのか?その後の行動からは疑問符が付く男なんです。
恐らく、このバディ関係を、BLメガネをかけた人が見たら、ある種の理想に見えると思います。堅物で世間的常識の上でしか行動が取れない人物デビッド(ジェシー・アイゼンバーグ)と浮き世を漂い定職すら無いが些細な事柄にも意味を見出し共有しようと周囲を動かすベンジー(キーラン・カルキン)の関係性は、デビッドはベンジーが気になって仕方がないし羨ましいけれど、ずっと一緒にはいられない。ベンジーは内心に問題を抱えているけれどデビッドに見せたくはないし悟られたくない。この関係をそのままの形で私は受け止めたい。ただBLメガネをかけた人々はなんでも恋愛要素に落とし込むのが、私としては違和感があるんです。すべてを恋愛で語るBLに違和感があるのはここです。けれど、恐らくこういうのが好物なんだと思いますし、それを好事家と呼ぶと思うのですが。
この2名に加えて、ツアーを一緒に回る人が秀逸。なんならこの人たちのおかげで、どうしても「ホロコースト」をカッコ「」でくくる事が出来るようになっています。凄い事を考え付くと思います。でも、この人が居たら、それは考えざるを得ない。
音楽も、ポーランドだから、何でしょうけれど、2、3年ほど前から個人的ブームが続いていて凄く合ってると思います。なんだかんだ言ってもこういう作品には、良質な音楽が求められると思います。
ポーランド。私には全然縁のない国だとは思います。でも、何処か惹かれる。それはポーランドという国の歴史から見ても、非常にキツい現実を歩んできたからで、しかも現在もウクライナの隣りですし。ワルシャワ蜂起も実際に起こった出来事ですし、ヤドヴィガ女王、アンジェイ・ワイダもロマン・ポランスキーも、ショパンもホロヴィッツも、ポーランドの人。
監督の意向に沿った作品が観たい方にオススメ致します、
アテンション・プリーズ!ここからはネタバレを含む感想なので、未見の方はご遠慮くださいませ。
凄く変わったキャラクター造形であり、バディ関係だと思います。
デビッドはまず、繊細。
常識的であり、規範的な大人なんだが、その規範的と言える中しか経験したことが無い。そもそも規範の中しか見ていないし、考えてすらいない。そういうモノだという諦観すら感じさせる。しかし、ベンジーの事が気になるし、それはいとこ同士であったからだけではなく、キャラクターに感じ入っているからで、そしてベンジーの自殺未遂に対して何か責任の一端を感じていると思われます。そうでないと、ポーランドのレストランの場面でのような告解のような吐露にはならないと思うのです。その責任の一端が何であったのか?示されていたのか?私には分からなかったです。そもそも親戚であるというだけで、なのか、祖母のホロコーストサバイバーの血脈の存在意義からなのか、幼少期の相棒とか生命の危機を救ってくれた過去なのか、分からない。しかし、近くに常に居たいわけではない。でも気になる。
対してベンジーは40過ぎても定職についていないようですし、勝手気まま。感情の振れ幅が大きく、情熱的かと思えば、躊躇なくあっさりしていたり、掴み処が無い。それでも、ポーランドに居て列車に乗っている!先祖はここで命を奪われたりした、あの列車にポーランドで乗ってるんだぞ!という確かにその通りだけれど、そこまで感情的に訴える事か?そして今がその時か?とか考えてしまうのですが、そういう取捨選択はベンジーには無い。だから魅力的でもあるし、トラブルメーカーでもある。
そしてベンジーはどこにいても所在無さげなんです。虚ろなんです。だから、デビッドに家に寄っていかないか?と誘われても、空港には変な人が居るからしばらくここにいる、と言って断っている。人々が常に入れ代わり立ち代わり、通過する為の一時的な場所、それが空港。その居場所では無い所で初めて落ち着く事が出来るのではないか?と思うのです、何処に居たって、虚ろな現実なだけじゃないか、と。だから最初から空港に居た。もっと言うと帰るべき場所が無いかも知れないし、あっても心落ち着く場所じゃ無いのかも知れない。空港に住んでいるのかも知れない。
その原因はやはり祖母なのかも知れないです。強く言い切れるほどは確たる証拠が無かったのですが。
そして、このラスト、嫌が応にも「aftersun/アフターサン」を思い出させるので、凄く不安定・・・同じ空港ですし・・・
とても繊細な映画だし、音楽も良く合ってる。ちょっとゴッホとテオみたいな事考えてしまった。

追悼で「ロスト・ハイウェイ」を観ました

2025年2月21日 (金) 09:14

https://www.youtube.com/watch?v=1nKjO9QCSic

 

デビッド・リンチ監督     松竹     Amazonprime
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   4/14
追悼・デビッド・リンチは私にとって映画だと、ブルーベルベットなんですけれど、でもリンチと言えば私にはツイン・ピークスなんです・・・
そこで、1番ツイン・ピークスっぽい映画として追悼の気分で観ました・・・凄く前に観ていますけれど全然忘れてた。
何となく今観ると、インランド・エンパイアが1番近いのかも・・・と言う感じですけれど、まぁツイン・ピークスっぽさで言うと、やはりローラ・パーマーとマデリーンの関係性に見えるし、とにかく1番近い時期に撮ってますし。
それに今回はレストア版を観たのですが、結局、ビデオのシーンって全然レストアの意味が無いくらいに、荒い!!
それと、あの家、デビッド・リンチが住んでたみたいですね、仮にプロの素晴らしいテナーサックスプレイヤーでも、この家に住むのは無理なんじゃ・・・とは思いました。
あああああデビッド・リンチ!私にとっては大学時代の「ツイン・ピークス」の時に心掴まれ(その前にちゃんと「エレファントマン」も「砂の惑星デューン」の洗礼も受けていますし、その後に「ブルーベルベット」にちゃんとやられたのだが、それ以上に!)てからずっと凄い監督としての地位、アーティスト監督であり、数字も出せる監督でした。
私は多分ブラック・ロッヂに行くので、その時は赤いカーテンの部屋で一緒に踊りたい。
合掌。追悼の意味でまたツインピークス観てるので、いろいろ今年の目標のクリアが危ぶまれる。

「テオ もう一人のゴッホ」を読みました

2025年2月18日 (火) 09:46
マリー=アンジェリック・オザンヌ、フレデリック・ド・ジョード著
伊勢英子、伊勢京子訳     平凡社
2021年の都美のヘレーネとフィンセントを観に行った時に、初めて、ゴッホの絵が面白いと感じました。実物を観たのは初めてでは無かったのですが「山田五郎オトナの教養講座」とか「コテンラジオ ゴッホ編」などを聞いていたからかもしれません。またその時以来ゴッホについても気になっていて、昨年は「ゴッホの手紙」も読んでのですが、どうやら私がゴッホの事で気になっているのはテオの事なのだと理解出来ました。
恐らくは何かしらの障害があったかも知れないゴッホを支え、ほぼ唯一の理解者でもあり、仕送りという生殺与奪の権利もあり、画商として働いてゴッホのすべて(生活や画家活動)を支えたテオの事が気になったわけです。もちろんゴッホの事も、テオという存在の兄としては興味があります。
そこで「ゴッホの手紙」を読んではみたものの、あくまでゴッホの手紙な訳です。ゴッホが書いたテオ、もしくはベルナールへのやり取りは残っていて、1次資料として、ゴッホの製作、その過程、モチーフや動機、オランダからパリ(と言っても、この一緒に住んだ時期は手紙でのやりとりの必要が無いので)、アルルでゴーギャンを待ち、2か月後のクリスマスの事件を経て、サン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズ、その生活や考えの軌跡を追う事が出来る素晴らしい資料ですし、読み物。
しかし、これも、テオが兄ゴッホの手紙を散逸せずに取っておいたから、であって、ゴッホに宛てたテオの手紙は、ほとんど残っていないようです・・・この辺、手紙というプライバシーの問題や、残された家族の思惑と言いますか、表に出したくないという意向は重要視されて良いのですが、とにかく、私にとって肝心のテオの手紙は全然読めなかったので、余計に残念な気持ちになりました。
なんかこれ、ベートーベンの会話帳(難聴に悩まされていたベートーベンは会話帳なる記録があり、対話者は声では聞こえにくい為に会話帳に文章で聞きたい事を書き、ベートーベンはそれに対して口頭で答えた為に、誰が何の質問をしているか?は比較的辿れるのではあるが、何と答えたか?が不明な事が多い)のような事になっている訳です。だから、テオの肉声が、妹や母、その他の人に宛てた手紙が残っているのに対して、肝心のゴッホに宛てた手紙が凄く少ないしあっても未公開のようです。
天才というのは理解されにくいですし、死後にこそ、評価が時代が追い付くので、仕方ない部分もあります。そして特に、ゴッホは絵だけでなく、この手紙と一緒に広まったわけで、その点も理解はしていますけれど、こういう事が理解出来れば出来るほど、私の関心は基本的にテオに向けられえいる事を自覚します。
そのテオいついて考察された書籍が本書です。
かなり綿密な調査と出典にも細かな詳細が載せてあり(私が英語が読めたら)フィンセント・ファン・ゴッホ美術館には、未公開の手紙がいろいろあるみたいですが、残念ながらオランダは遠いですし、流石に見れないですね。
しかし、この本でかなりテオという人が理解出来ましたし、このような書籍が出て翻訳されているという事は、世の中にはやはりテオが気になる人はいるのが分かって良かったです。
フィンセント・ゴッホという、その時代には全く評価されなかった、表現としては異論はあるのですが、天才、あるいは狂気の人、という人物よりも、支えて理解者であるテオの心理について興味がありました。
かなりメランコリックな状況や心理が続いて、生活のほぼ半分を兄に仕送りしていて、そしてゴッホの死後のわずか半年後に、同じく亡くなってしまったテオ。
心の中まではワカラナイのですが、今はテオという稀有で有能な人物についてある程度知れた事で納得はしました。その二面性にも納得。
コテンラジオでも2人1組で紹介されていましたけれど、そしてゴッホの絵の特異性は理解しつつも、生活に支障というか問題のある身内を、無条件どころか自分の半分を分け与えたテオの稀有さについては、もう少し知られても良いと思います。私はゴッホよりもテオが気になってしまいます。
テオという稀有な人物に興味のある方にオススメ致します。

「阿修羅のごとく partⅡ」を観ました

2025年2月14日 (金) 09:23

 

向田邦子脚本     NHK     U-NEXT
2025年公開映画/2025年に観た映画   目標52/120   4/13
阿修羅のごとくは3話で概ね完結していると思います。ただ、恐らく、非常に人気が高く、続編を作りたくなったんだと思います。
その上で、向田邦子が書いた作品、と捉えた方が良い気がします。あくまで母と次女である巻子の関係性、姉妹との関係性の上で、女性の生きにくさ、恐らくモラルとか道徳とか規範の中での葛藤を描いた傑作。
ただキャラクターは生まれたので、キャラクターのその後を観たくなったんだと思います。それに向田さんも書きたかったのか?要望を受けてなのか?はよく分からないのですが。
前回のドラマ化から1年後に放送されていますし、およそ1年後の話し。
そして、やはり主役は巻子である八千草薫さん。
丸谷才一の何の小説だったか?完全に失念して今ったのですが、ラストに妻が軽犯罪を犯すのですが、ほぼ同じ展開で始まります。
このPartⅡは恐らく、この時代の女性のメインストリームである専業主婦の次女である巻子、そして亡くなって不在となった母との関係性と、対比して娘を演じている荻野目慶子との関係性が軸なんだと思います。
もちろん四姉妹も出て来ますし、それなりの比重は増えているのですが、最も強いテーマは娘との関係性で、この時代で専業主婦であれば、離婚という手段が非常に、非常に取りにくい状態での葛藤を描き、さらにここに娘が気付いていく事で、女性であるというだけで受け入れ難い我慢を強いられている状況を描いているのですが、それが再生産される可能性を示唆していて、確かにキツい。
それと、このオリジナル版でしかないセリフも多くて、特に娘との会話で非常に重要な、徹夜仕事の夫に服を届ける場面の重みが全く違うのが印象的。もちろんカットされている理由も、現代のコンプライアンスというか常識から明らかに逸脱しているわけで、理解はできますけれど、それって結局、昭和を描けていない、お為ごかしな訳で、Netflix是枝版の評価が下がる一方です・・・
代役となった巻子の夫露口茂がすごく良くて、恐らく本木さんはこっちを参考にしているのがよく分かった気がします。
そしていつも思うのだが、それが真実だとしても、違ったとしても、私の目から見ると、気分によって行動が変わり、その後先をあまり考慮していない、ように見えるとか書いてしまうところが全人類の半分を敵に回してしまいやすい私の特徴・・・確かに相手に共感する力、感応力が強くそれが軸なんでしょうけれど、相談じゃなく話を聞いてほしいのだというのは理解できるけれど、それを相手がどう考えリアクションするかは相手の自由、というような考え方が私に取ってはフェアであると思うので、フラットな状態が無いというのは、なかなか大変だろうとは思います。行動に発生する責任とか義務とかまでは考えてないというか、行動こそに意味があるのように感じます。あなたと私の関係性は特別、というのがそもそもの出発点なんでしょうか?この辺は全然ワカラナイ。
岸辺一徳が出てくるのも、唐突な気もしますけれど、まぁそういうこともあるんでしょう。
相変わらず父の佐分利信の重み、コメディ要素ゼロ。この辺が素晴らしい。父周囲の演出もカメラもアップを多用しているのですが、それだけでなくローアングルも多くて余計に小津安二郎味が強い。
昭和50年代、私も生きてましたけれど、この時代はまだ戦前の記憶があり、南無阿弥陀仏の威力もちゃんとあるのが、たった40年前のドラマなんですけれど、感覚が全く違いますね。
蛇足、とまでは思わないけれど、ちょっとメロドラマ感は増してるし、予告の煽りも不要だとは思いますが、もし再ドラマ化するのであれば、やはり舞台は現代、令和にしないといけなかったと思います。
向田邦子作品に興味のある方、Netflix版や森田芳光映画版を観た方にオススメします。
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