マリー=アンジェリック・オザンヌ、フレデリック・ド・ジョード著
伊勢英子、伊勢京子訳 平凡社
2021年の都美のヘレーネとフィンセントを観に行った時に、初めて、ゴッホの絵が面白いと感じました。実物を観たのは初めてでは無かったのですが「山田五郎オトナの教養講座」とか「コテンラジオ ゴッホ編」などを聞いていたからかもしれません。またその時以来ゴッホについても気になっていて、昨年は「ゴッホの手紙」も読んでのですが、どうやら私がゴッホの事で気になっているのはテオの事なのだと理解出来ました。
恐らくは何かしらの障害があったかも知れないゴッホを支え、ほぼ唯一の理解者でもあり、仕送りという生殺与奪の権利もあり、画商として働いてゴッホのすべて(生活や画家活動)を支えたテオの事が気になったわけです。もちろんゴッホの事も、テオという存在の兄としては興味があります。
そこで「ゴッホの手紙」を読んではみたものの、あくまでゴッホの手紙な訳です。ゴッホが書いたテオ、もしくはベルナールへのやり取りは残っていて、1次資料として、ゴッホの製作、その過程、モチーフや動機、オランダからパリ(と言っても、この一緒に住んだ時期は手紙でのやりとりの必要が無いので)、アルルでゴーギャンを待ち、2か月後のクリスマスの事件を経て、サン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズ、その生活や考えの軌跡を追う事が出来る素晴らしい資料ですし、読み物。
しかし、これも、テオが兄ゴッホの手紙を散逸せずに取っておいたから、であって、ゴッホに宛てたテオの手紙は、ほとんど残っていないようです・・・この辺、手紙というプライバシーの問題や、残された家族の思惑と言いますか、表に出したくないという意向は重要視されて良いのですが、とにかく、私にとって肝心のテオの手紙は全然読めなかったので、余計に残念な気持ちになりました。
なんかこれ、ベートーベンの会話帳(難聴に悩まされていたベートーベンは会話帳なる記録があり、対話者は声では聞こえにくい為に会話帳に文章で聞きたい事を書き、ベートーベンはそれに対して口頭で答えた為に、誰が何の質問をしているか?は比較的辿れるのではあるが、何と答えたか?が不明な事が多い)のような事になっている訳です。だから、テオの肉声が、妹や母、その他の人に宛てた手紙が残っているのに対して、肝心のゴッホに宛てた手紙が凄く少ないしあっても未公開のようです。
天才というのは理解されにくいですし、死後にこそ、評価が時代が追い付くので、仕方ない部分もあります。そして特に、ゴッホは絵だけでなく、この手紙と一緒に広まったわけで、その点も理解はしていますけれど、こういう事が理解出来れば出来るほど、私の関心は基本的にテオに向けられえいる事を自覚します。
そのテオいついて考察された書籍が本書です。
かなり綿密な調査と出典にも細かな詳細が載せてあり(私が英語が読めたら)フィンセント・ファン・ゴッホ美術館には、未公開の手紙がいろいろあるみたいですが、残念ながらオランダは遠いですし、流石に見れないですね。
しかし、この本でかなりテオという人が理解出来ましたし、このような書籍が出て翻訳されているという事は、世の中にはやはりテオが気になる人はいるのが分かって良かったです。
フィンセント・ゴッホという、その時代には全く評価されなかった、表現としては異論はあるのですが、天才、あるいは狂気の人、という人物よりも、支えて理解者であるテオの心理について興味がありました。
かなりメランコリックな状況や心理が続いて、生活のほぼ半分を兄に仕送りしていて、そしてゴッホの死後のわずか半年後に、同じく亡くなってしまったテオ。
心の中まではワカラナイのですが、今はテオという稀有で有能な人物についてある程度知れた事で納得はしました。その二面性にも納得。
コテンラジオでも2人1組で紹介されていましたけれど、そしてゴッホの絵の特異性は理解しつつも、生活に支障というか問題のある身内を、無条件どころか自分の半分を分け与えたテオの稀有さについては、もう少し知られても良いと思います。私はゴッホよりもテオが気になってしまいます。
テオという稀有な人物に興味のある方にオススメ致します。