ジェシー・アイゼンバーグ監督 Searchlight Pictures Toho新宿
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 5/15
かなり評判の高い作品で、脚本、監督、助演がジェシー・アイゼンバーグって!?となったので見に行きました。
まず、ジェシー・アイゼンバーグが、凄く多彩な映画作品に出ている印象がありますし、とても多様な監督と組んでいる演者だと思ってます。
1番最初に出会ったのはフィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」です。その後気になりノア・バームバック監督の「イカとクジラ」、グレッグ・モットーラ監督「アドベンチャーランドにようこそ」、ルーベン・フライシャー監督の「ピザボーイ」、この辺まではちゃんと追いかけていたのですが、ルイ・ルテリエ監督「グランド・イリュージョン」を見逃してから、ウディ・アレン監督作品に出てみたり、ジャスティスリーグのいわゆるDCアメリカンコミック作品に出演したり、で段々と追いかけなくなってしまいましたが、かなり多様な監督と、多彩な役柄を演じ分けている演者だと思ってます。
それが、脚本を自分で書くライターになり、そして監督にまで!かなり面白そう!と思ったので、期待値高かったです。
空港で様々な人が行き交うベンチに座る男の横顔に小さくA REAL PAINとタイトルが出るのが冒頭です。
ロードムービーでバディモノです。そしてまだ2025年公開作品は5本しか観てないけれど、暫定の1位でこれより上の作品が出たらベスト5入り間違いない、というくらい好みの作品でした。
まず、キャラクターの造形、その観客への理解のさせ方、この旅の導入と関係性とのスムーズさ、演出と画角の確かさ、どれもレベル高い!!ラストをどこに置くのかも含めて、切り方も最高です。
いわゆる困った人に振り回される人と、困った事含めて魅力的な人のバディが、共通の祖母、それもホロコーストの生き残りであり、その祖母の死後の希望で旅が始まるという設定が素晴らしい上に、どんなキャラクターであるのか?を観客に見せるやり方が上手い!
どうやら監督作品としては2作目みたいです。見事な監督作品。そして自身のアイデンティティに関わる題材、脚本も流石。
その上、共演というか主役は役柄の上のいとこ関係であるキーラン・カルキン。この人がチャーミング!そういう人にしか見えないのが流石役者さん。
ただ、チャーミングだけでは済まさないのがこのキャラクターで、小さなトラブルメイカーでもあり、常識に捉われない、しかしそこに意味があるようにも見えるキャラクターになってて、ここがこの作品の肝だと思います。本当に内心そう思っているのか?その後の行動からは疑問符が付く男なんです。
恐らく、このバディ関係を、BLメガネをかけた人が見たら、ある種の理想に見えると思います。堅物で世間的常識の上でしか行動が取れない人物デビッド(ジェシー・アイゼンバーグ)と浮き世を漂い定職すら無いが些細な事柄にも意味を見出し共有しようと周囲を動かすベンジー(キーラン・カルキン)の関係性は、デビッドはベンジーが気になって仕方がないし羨ましいけれど、ずっと一緒にはいられない。ベンジーは内心に問題を抱えているけれどデビッドに見せたくはないし悟られたくない。この関係をそのままの形で私は受け止めたい。ただBLメガネをかけた人々はなんでも恋愛要素に落とし込むのが、私としては違和感があるんです。すべてを恋愛で語るBLに違和感があるのはここです。けれど、恐らくこういうのが好物なんだと思いますし、それを好事家と呼ぶと思うのですが。
この2名に加えて、ツアーを一緒に回る人が秀逸。なんならこの人たちのおかげで、どうしても「ホロコースト」をカッコ「」でくくる事が出来るようになっています。凄い事を考え付くと思います。でも、この人が居たら、それは考えざるを得ない。
音楽も、ポーランドだから、何でしょうけれど、2、3年ほど前から個人的ブームが続いていて凄く合ってると思います。なんだかんだ言ってもこういう作品には、良質な音楽が求められると思います。
ポーランド。私には全然縁のない国だとは思います。でも、何処か惹かれる。それはポーランドという国の歴史から見ても、非常にキツい現実を歩んできたからで、しかも現在もウクライナの隣りですし。ワルシャワ蜂起も実際に起こった出来事ですし、ヤドヴィガ女王、アンジェイ・ワイダもロマン・ポランスキーも、ショパンもホロヴィッツも、ポーランドの人。
監督の意向に沿った作品が観たい方にオススメ致します、
アテンション・プリーズ!ここからはネタバレを含む感想なので、未見の方はご遠慮くださいませ。
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凄く変わったキャラクター造形であり、バディ関係だと思います。
デビッドはまず、繊細。
常識的であり、規範的な大人なんだが、その規範的と言える中しか経験したことが無い。そもそも規範の中しか見ていないし、考えてすらいない。そういうモノだという諦観すら感じさせる。しかし、ベンジーの事が気になるし、それはいとこ同士であったからだけではなく、キャラクターに感じ入っているからで、そしてベンジーの自殺未遂に対して何か責任の一端を感じていると思われます。そうでないと、ポーランドのレストランの場面でのような告解のような吐露にはならないと思うのです。その責任の一端が何であったのか?示されていたのか?私には分からなかったです。そもそも親戚であるというだけで、なのか、祖母のホロコーストサバイバーの血脈の存在意義からなのか、幼少期の相棒とか生命の危機を救ってくれた過去なのか、分からない。しかし、近くに常に居たいわけではない。でも気になる。
対してベンジーは40過ぎても定職についていないようですし、勝手気まま。感情の振れ幅が大きく、情熱的かと思えば、躊躇なくあっさりしていたり、掴み処が無い。それでも、ポーランドに居て列車に乗っている!先祖はここで命を奪われたりした、あの列車にポーランドで乗ってるんだぞ!という確かにその通りだけれど、そこまで感情的に訴える事か?そして今がその時か?とか考えてしまうのですが、そういう取捨選択はベンジーには無い。だから魅力的でもあるし、トラブルメーカーでもある。
そしてベンジーはどこにいても所在無さげなんです。虚ろなんです。だから、デビッドに家に寄っていかないか?と誘われても、空港には変な人が居るからしばらくここにいる、と言って断っている。人々が常に入れ代わり立ち代わり、通過する為の一時的な場所、それが空港。その居場所では無い所で初めて落ち着く事が出来るのではないか?と思うのです、何処に居たって、虚ろな現実なだけじゃないか、と。だから最初から空港に居た。もっと言うと帰るべき場所が無いかも知れないし、あっても心落ち着く場所じゃ無いのかも知れない。空港に住んでいるのかも知れない。
その原因はやはり祖母なのかも知れないです。強く言い切れるほどは確たる証拠が無かったのですが。
そして、このラスト、嫌が応にも「aftersun/アフターサン」を思い出させるので、凄く不安定・・・同じ空港ですし・・・
とても繊細な映画だし、音楽も良く合ってる。ちょっとゴッホとテオみたいな事考えてしまった。