井の頭歯科

「菩提樹の陰」を読みました

2012年8月3日 (金) 09:36

中 勘助著      岩波文庫

中 勘助の「銀の匙」は名作、特に最後のシーンは秀逸であり素晴らしい、という話しをラジオで小耳に挟み、図書館に予約したのであるが、なかなか回ってこない。どうも無断でずっと借り続けている人がいるようだ、困った、という話しをしたら快く友人が貸してくれました。その時一緒に借りたのがこの「菩提樹の陰」です。先にこちらを読んだのですが、3つの短編が集まって出来ていて、その中でも何やら象徴的作品が表題作の「菩提樹の陰」です。

静謐とした中にある凛とした軸と言いますか、情緒を描かせて寓話で示す、というのが本当に目新しく感じました。今この手のアプローチをされている方はいらっしゃるのでしょうか?寓話にすることで普遍性を、そして不思議なことに日常性を帯びていると思いました。

「菩提樹の陰」は冒頭に、昔自分が親しくしていた子供にねだられて作った童話を話して聞かせたが、その子供が大きくなって今では若い母となり、巴里に住んでいるので、彼女の年にふさわしく書きかえて送った、という主旨の一文で始まる寓話です。

昔インドのアマラーヴァティーという都市にナラダという老彫刻師がいて、娘であるチューラナンダと、天涯孤独の身になってしまった内弟子プールナとの3人で生活していました。チューラナンダは美しく、プールナは分別ある青年であるのに対し、ナラダは比較的凡庸でありながら、それを認めることが出来ないプライドの高さをもてあましていたのですが・・・というのが冒頭です。

非常に淡々とした筆で描かれる悲劇、しかし、プールナから見える景色とナラダの見る世界のなんと隔たりの大きなことかと思うと、なかなか感慨深いものに捉われます。果たしてこの話しをパリで暮らすという友人はどう受け取るのであろうか・・・

深い内容であり、多面的な解釈が可能な、それこそ寓話的作品であるだけでなく、日常的な普遍性あるドラマなんですが、子供という存在の重みを、どんな人であってもこの世に生を受けている人であれば両親がいる、というさも当たり前の事実を気付かされます。母親という存在と、父親と言う存在、あるいは育ての親、そんな存在を知らないことで、より求めてしまう人間というか生き物の性とも言える行動原理に、様々な角度から光を当てるかのような普遍性がありまして、考えさせられます。

もっと大きく言えばプールナの恋の話し、なんですが、途中でプールナが約束を破ることで、自業自得とも言える結果が示された後に、今まで淡々とした文章で綴られていたものが、一瞬だけ変わって「彼は今はじめて神罰の恐ろしさを知った」という一文が挟まれるのですが、私はここに寓話の中の文章に馴染んでいない(もちろん違和感無く文脈として変でもないにも係わらず、それ以上に)意思を強く持った一文だと感じました。

プールナにとっては全てが「やむにやまれず」起こした行動全てが裏目というか望んだ結果と逆を示される、という部分に、恐ろしさを感じました。中 勘助にとっての「膝のうえにのっているかわいいもの」である子供に対する感情がプールナにおけるピッパラヤーナへの愛情と重なって見えた気がしました。だからこそのピッパラヤーナの結末なのではないか?と。プールナの最後、チューラナンダの最後は仕方がないにしても。何故ならこの後の短編に出てくる「妙子」こそが中 勘助の意中の人であるならば(そのように感じられる)、おそらく巴里で暮らす若い母こそ「妙子」であって、そうであるなら、この寓話を語る悲恋こそ中 勘助の感情だったのではないか?と穿ってみたくなりました。が、その後を読むとさらに考えさせられます。

この作品集である「菩提樹の陰」の中には3つの短編が入っているのですが、最初が表題作である「菩提樹の陰」、続いて「郊外 その2」という友人の子供である9歳の妙子と33歳の私とのやりとりのスケッチ、そして最後が「妙子への手紙」というまさにそのものである妙子への手紙を綴ったものです。いかにこの中 勘助にとって妙子がいとおしかったのか?どんな存在であるのか?というのが分かるものであり、作中にも「菩提樹の陰」の基になる話しを匂わせたり、完成した「菩提樹の陰」を文学雑誌に載せたうんぬんという話しも差し込まれていますので、どこまでフィクションであるのかは不明ですが、事実を基にしているように感じました。

そして最後の「妙子への手紙」の、友人の娘であり、「菩提樹の陰」のオリジナルを語り、なお送った相手への、肉欲を伴わない、親子のものでもない、深い愛情を手紙の一方から(中 勘助側からのものだけ)文章から滲み出る美しさを感じさせました。そして驚くのが終末です。恐ろしいほどにまでの深い悲しみを感じました。恐らく妙子は35歳くらい、どのようなものだったのでしょうか。

この本は、まさに最初から最後まで全て、妙子のための本です。

寓話の捉え方の広さに興味がある方にオススメ致します。

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