伊藤 計劃 × 円城 塔 共著 河出書房新社
あの、伊藤 計劃さんの未完の原稿を、友人で作家の円城さんが継がれた作品。伊藤さんは僅かにプロローグとプロットを残しただけで、ココまでの壮大な物語に仕上げた円城さんの技術と想いはすさまじいものがあると思いました。
時代は19世紀末の1878年。この世界ではフランケンシュタイン博士が生み出した技術である屍者化技術の発達成功により、死んだ人間に、ネクロウェアと呼ばれるソフトをインストールし、単純作業が行えるが、しかし喋ったり能動的な事は出来ない『屍者』が満ちています。既に屍者がいないとまわることが出来なくなった世界の首都と言えるロンドンの卒業直前の医学生、ジョン・H・ワトソンは国家のエージェントに誘われるのですが・・・というのが冒頭です。
屍者という存在が日常的となり、そのことを飲み込ませる様々な手段が高じられた結果、非常にスムーズに物語に入ることが出来ました。これはやはり円城さんの、もしくはプロローグである伊藤さんの筆力というよりも、あの名作『虐殺器官』と『ハーモニー』を世に出した伊藤さんの本を読んでいたからこそなのかもしれません。
しかも偽史モノであり、パラレルな世界、SFの世界を舞台としながらも、現代を生きる人間の『命』や『魂』、もっと言えば『意識』を通しての『アイデンティティ』とは何か?という壮大なスケールを扱いながらも、リーダビリティを落さないでエンターテイメント作品として仕上げている部分に、伊藤 計劃作品の底に流れる同じ水脈を感じました。
最も、多少毛色の違いは感じさせますし、実在の人物や有名な架空の人物を登場させることで、読み手が知っているその人物への知識をテコにしている部分は上手いながらも伊藤さんの手法ではない感じがしました。ただ、過去の偽史モノということで伊藤さんも暖めていたプロットであるかも知れません。特にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をモチーフにしている部分は、とても、とてもスリリングで良かったですし、もし「カラマーゾフの兄弟」を読んでいらっしゃる方であれば納得の展開です。アリョーシャの行動原理やこの物語に於ける立ち位地が絶妙でして、1章だけでやられてしまいました。
3部構成の見事さも当然ですが、底の底を破って、さらに底を見せるという伊藤さんのやり方を円城さんも踏襲されていて、個人的にはエピローグに最も心を動かされました。エンターテイメント性と文学性の両方を犠牲にしない完成度は流石ですし、それこそ伊藤 計劃の真骨頂だと思います。プロローグから連れて行かれる地が全く予想されない、それこそジョージ・オーウェルの「1984」の中で語られるニュースピークという新しい概念を含んだ言葉の意味を、最初は字面でしか読めなかったことを、後に知る、という衝撃と同じくらいのモノがあります。読む前と読んだ後の世界が違って見える、そんな強さを持った小説です。
円城さんの素晴らしさを感じた上で、やはり伊藤 計劃は失われてしまったのだと、より強く感じさせられる小説。伊藤さんがご存命ならこの作品は無かったわけで、読後伊藤さんの「屍者の帝国」を夢想しないわけにはいかない、そんな読書体験でした。
「虐殺器官」を「ハーモニー」を読まれた方にオススメ致します。
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