槙田 雄司著 星海社新書
東京ポッド許可局のメンバーで芸人さんであるマキタ・スポーツさんが本名で語る現代の日本論です。
いかに現代がツッコミ過多な状況に置かれているのか?ということを様々な見せ方で納得させてくれます。その見せ方、提示の仕方にセンスを感じさせます。お笑いという世界はかなり緻密さが要求される世界だと聞いておりますし、実際非常に気難しい方が多い世界だとも聞き及んでいるのですが、その緻密さや細かさを、好感触として受け入れ易い形に変えている、呑み込みやすいように気を配っている感じが良かったです。
ダウンタウンという漫才の方の衝撃とその後の普遍性がもたらした世界であるところの、ツッコミというメタな視点の過剰さが、実は息苦しい窮屈な状態になってしまってはいないか?みんながツッコミ過多であることは善き事ではないのではないか?ベタにボケられる人ほど魅力があるのではないか?という槙田さんの見方を、理解しやすい形で提示してくれます。ツッコミ過多であることから、ボケの魅力を再確認させてくれる本です。ボケられる事の素敵さや大きい事への魅力を改めて確認できます。
普通の生活の中がテレビのバラエティ番組化していくことの、安易で他人を見下すことで自分の位置を確保しようとすることへの批判ともいえます。ツッコミというツールが非常に他罰的な手法に無自覚すぎるという指摘も頷いてしまいます。バラエティ番組の普及とも進化とも言えますが、偏ってしまっていないか?という事だと思うのです。テロップへの言及も見逃せないものがありました。
槙田さんの現状分析は納得でき得るのですが、私は槙田さんの解決策が取れる人は限られた人なのではないか?と感じました。無論、槙田さんの推奨するボケを追及はしたいですけれど、ボケられる対象がすぐ見つかる人と見つけるまで時間のかかる人がいるのではないか?という事です。まさに見つけることが人生の大きな目的なのではないか?と思うのです。もっと言えば付け焼刃のボケほど『ボケられて無い存在』はないと思うのです。
確かにツッコミを得意とする方は、貴方の操っている剣は重くて大変なものなのですよ、という自覚が少なすぎます。しかし、だからこそボケへ向かえる人は少なく、だったらその剣(ツッコミ)の扱い方や大きさ、またそれが自分へ向けられる事を理解させることが重要なのではないかと感じました。例えば誰しも最初から『恥じ』を知っているわけではなく、体感することで、恥じを重ねることでの、全方位的に恥をかかない手法は無いことに気がつく(あるいはある方面には恥をかくことを飲みこめる)と思うのです。だからこそ謙虚さが芽生えるのではないか?と感じます。ベタの重要性は槙田さんがおっしゃるように一周回ってきたならば意味がありますけれど、一周回らないボケは天然のボケであり、希少価値であり、後天的になるものではないのではないかと思ったりしました。ボケの「のびしろ」という部分があるので、ボケの技術があるんだとは思うのですが、ボケの扱いもそれなりに難しいのではないかということです。稀にですが一見天然の人が、実は計算された人格を演じていることが分かる事ってありますよね。そうした場合のその人物への醒め方はかなりのものだと思うのです。
ボケの技術も重要ですが、個人的にはツッコミの技術や剣(ツッコミ)の大きさや威力(被害)の大きさを知り、その剣を自身にも向けられる強さや扱い方を知るべきなのではないか?と感じました。
この本で特に同意したいのは、ベタなイベントを楽しむ、という姿勢です。ツッコミ体質であったとしても、ベタなイベントを楽しみに行く、理不尽を楽しみに行く姿勢は非常に重要だと思います。全勝優勝の例えも素晴らしい比喩で、全くその通りだと思いました。
ツッコミというツールについて考えを深めてみたい方にオススメ致します。
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