内田 樹、釈 徹宗 著 講談社文庫
とてもユニークな考え方をされる内田先生、何冊か(最近読んだモノですと岡田さんとの共著「評価と贈与の経済学」(の感想はこちら)が面白かったです、とても面白くて、しかも頭の回転が早くて、言葉の選び方が斬新だと思います。ブログを書籍化してみたり、その際もブログの方は課金されていなかったりというスタンスも面白いです。武道も嗜まれていて、身体性、というキーワードも私には馴染みがないものであり、もっと知りたくなります。
共著の釈さんは全然知らなかった方ですが、なかなか説得力ある言葉を紡がれる方で、宗教家という方の書いた本を読むことは少ないんですが(と言いつつ「ベラボーな生活 -禅道場の「非常識」な日々」玄侑 宗久著の感想はこちら)、宗教家なのにとてもバランス感覚と公平さを持ち合わせた方で内田先生との掛け合いが十分に勤まる方でした。
正直、タイトルからして普段の私ではほぼ手が出ないし興味も薄い「霊性」というスピリチュアル関連の本かと思いきや、著者が内田先生ですから一筋縄では無いとは思ってましたが、もう冒頭から納得の展開でした。
読もう、と強く思えたのは、冒頭で語られている部分に共感したからなんですが、思い切って私が要約すると「霊という存在をエビデンス・ベース(科学的根拠)で証明されたことは1度たりとも無いけれど、あたかも存在しているがごとく行動している事について科学的に考察する」ことを目指している、いわゆる現象学の立場を採られている事を最初に表明しているからです。
ここで興味が湧かない人には全然向かない対談本かも知れませんが、私はかなり興味深く読めました。内田先生はかなり面白く、それでいて極端に私には感じさせるバランス感覚の持ち主ですが、そこを補足するかのように釈さんの宗教者としての立場からの解説を入れることでかなり視点が移って客観的に作用しているように感じました。最も、お2人ともかなりの霊性はある寄りの視点ですけれど。
私個人は霊性というものがあるのか、ないのか、全然分からないですし、多分一生涯の間で分ることもないと考えます。死後の世界もあってもなくてもいいです。知りようがないことはどちらでもいいと考えています。それに個人的には「神」という概念を考え出したのが「人間」という考え方が最も自然だと思えるので、今のところ(今後新たな納得すべき事実があれば別です)「神」は「人間」が不条理を飲み込みやすくして生活するために考え出した最高の概念だと「信じて」います。霊性についても全く同じです。
が、当たり前ですが私の意見が最も正しいわけでもなく、様々な考え方があっていいと思いますし(危害が及ばない程度に、ですけれど)、私のような考えを持つ人にとって「霊性」という個人的な不可知であるものに対するスタンスを「現象学」的に捕える考え方も学ぶという意味で非常に面白かったです。
特に私はこういう世界に疎かったので、何もかもが新鮮でびっくりするような驚きに満ちた読書体験でした。仏教と儒教の大きな違い、霊の個性問題からの靖国神社分祀問題(そして死者に向けた祀るという行為の意味)、名前の持つ呪術性、占いのもつ擬似宗教性(全然関係ないですし、誰の言葉だったのか忘れてしまったのですが「男は世界を知るニュースに、女は生活を知る占いに、それぞれ重きを置く」というニュアンスの言葉を読んで納得してしまいました、そういう傾向として、ですけど)、民間宗教者のその時その場での効果の有り様(普遍性の無さとも言える・・・)、マックス・ウェーバーの「呪術の園からの脱出」、ポスト新宗教の台頭に関わる個人の重要性の高まり、そして鈴木 大拙の霊性に関する話しも出てきて面白かったです。いつか読んでみたいと思ってます、サリンジャーも書いてる鈴木 大拙。あと、インドのカースト制度の恐ろしさも知ることが出来てよかったです、漠然としか知らなかったのですが、これは恐ろしいものがありますね。
そして日常に近い問題として語られる「清めの塩」問題もなかなか難しくも考えさせられる話しだと思いました。
死者は正しく祀らなければならない、が、死者は語らないので、生きている人間はどのような鎮魂儀礼が正しいのかを言う権利を持たない。持たないうえで斟酌し、死者と親交のあった生きている者たちの大まかな合意形成の基で、死者を祀るという文脈の話しは非常に面白かったです、かなり納得してしまいました。そしてもしかすると「祀る」という行為は死者の為にといいつつも生き残っている人のために行われているのではなか?とも考えてしまいます。そして釈さんがおっしゃる「都合が悪いのでなかったことにします」とか「問題が多いのでやめます」ということが出来ないのが宗教なのだ、という話しにも納得させられました。
宗教、という思想に興味のある方に、内田先生の著作を読んで面白かった方にオススメします。
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