関川 夏央著 岩波書店
久しぶりにお会いした方にお借りしました。タイトルからすると昭和30年代の風景や情景を題材にしている感じられますが、それだけでなく割合普遍的な視点を得ることが出来る、そんな本でした。
映画「3丁目の夕日」という人気シリーズがありますが(私は未見ですのであくまでコマーシャル等で流されたイメージでしか知りませんが)、そこで繰り返されるイメージとしての「昭和30年代」と実際の「昭和30年代」のギャップはいかに生まれたのか?また、何故イメージが先行していったのか?そしてその時代の皮膚感覚を持たないその時間には生まれていなかった世代がイメージを事実と錯覚する事での(もっと正直に言うなら、皮膚感覚を持つ人々からの映画へのイメージを損なう異論や欺瞞への言及がさほどされなかった事からこそ)歴史的事実としての認識へと繋がってしまうのではないか?という恐れについて知ることが出来たのが、最も興味深かったです。
ひるがえって、私の世代で言うならば(私は1970年の生まれです)、おそらく1980年代がちょうどソレに値する、ジャンクでバブリー前史的な世界観の共有と同じ気がします。決してバブルを享受していたわけでもない、市井の人々のうちの1人なんですが、相反するかのような、バブルやジャンクがもてはやされたという気分を共有されている方々から、そうでもなく拝金主義的考えの蔓延や海外の土地や企業買収の行いを苦々しく見ていた方々という見方が同世代では比較的分かれるのに対して、そのバブルやジャンクを経験していない世代からみるとかなり楽観主義的な見方をされることのズレと似ているような気がします。
バブルが、ジャンクが良かった、とは我ながら思えませんし、その何かに加担した、という意識も弱い私からすると、景気が良い事=素晴らしき事とは単純に言えない印象を持っています、もちろん景気が良い方が選択肢が広がりますし、余裕も生まれるでしょうけれど、残念ながら金で解決という安易の手段を用いる事への抵抗感が薄くなるという要素も大きいと思いますので。
閑話休題
それ以外にも、松本 清張作品の社会派という位置づけに対する疑問(私の中では単純にミステリ作家だと、ずっと思ってました・・・)、そしてこの事実も知れて良かった三島 由紀夫氏の松本 清張に対する態度、およびそこに至るまでの考えが非常にスリリングで面白かったです。特に納得したのが例え谷崎 潤一郎が紆余曲折あって許可したのに対し、三島が強硬に反対し続けたという事実は知れて良かったです。なんかいろいろ納得してしまいました。そして松本 清張作品の、ミステリ作品以外のルポタージュと言いますか、陰謀を含んだ論を展開させる「日本の黒い霧」という作品がある事には正直びっくりしました。全く知らなかったです。
さらにいわゆる「おフランス」という趣向、そしてフランソワ・サガン著「悲しみよこんにちは」と原田 康子著「挽歌」の対比も面白かったです、両作品ともに私は未読であるのに、ある程度のイメージを持てるくらいには知っている作品なんですが、そのイメージの近さと言いますか対比が新鮮に感じました。
そしてこの話題はこの本だけでは分かりえない「右派」と「左派」、「反米」と「親米」のねじれ現象、「保守」と「革新」の流れ、映画産業での「日活」と石原裕次郎の登場における言葉ではない『戦後』感覚の出現、「夜霧よ今夜もありがとう」と「カサブランカ」の翻案について言及されているのも良かったです。
よく言われることなのでしょうけれど、ソクラテスの時代、いやもっと前から「昔は良かった」とか「最近の若い者は・・・」的な言説は存在していたと思いますが、そのことは認めつつ(私たち【 たち で申し訳ないんですが】は3次元の世界に生きているので4次元軸である『時間』を動かす事が出来ない存在であるわけです)も、主観でしか語れない事での感覚であり、個々人の受け手によっては当然過ごした時間が年代として違ってくるわけであって、それは仕方のないことだ、という認識を持てない、あるいは持っていても自身の主観である感情の発露を優先してしまう事に問題があるのだと思います。
歴史的事実を客観的にしていく事である程度の共有できる歴史認識は得られるとは思いますが、近過去である部分については記憶というとても曖昧模糊な意識を通しての再構築なわけで、当然嘘も付きますし、記憶違い、勝手な解釈つけも行われていると思います。が、本人にとっては実感が伴うわけで、この辺の判断はなかなか難しく誤り易いという認識を持ちつつ、気を付けようと思う事が今のところ重要かな?と思いました。
歴史という事実だったり、記憶だったりに興味のある方にオススメ致します。
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