井の頭歯科

「銀河英雄伝説」を読んでます

2014年7月4日 (金) 08:49

田中 芳樹著    徳間文庫

友人に(北方三国志をお借りした方!)オススメしていただいたSFの大作です。ずいぶん昔にとても流行っていたのは知っていましたが、その当時のファンの熱量に圧倒されてしまって、手を出せずにいました。なのでとても後追いの読者ではありますが、大変面白いです。

地球から人類が宇宙へと旅立ち、恒星間飛行技術を手に入れ、銀河に広がった世界で数世紀が経ち、その中から独裁専制政治を行う王朝「銀河帝国」が生まれて500年が経った頃が舞台です。独裁政権の中では苛烈な締め付けが行われた結果、民主共和制を渇望する人々が苦難の旅を経て新たな恒星系で民主共和制の国家である「自由惑星同盟」を締結、この「自由惑星同盟」と「銀河帝国」を結ぶのは僅かに細い2つの回廊があるのみで、そこ以外を通じて他国には行けない状態です。その2つの回廊のうちの1つは、「帝国」が惑星のような大きな要塞、イゼルローンを使って支配するイゼルローン回廊と、これまた「帝国」の管理下ではありますが自治を認められた惑星フェザーンがあるフェザーン回廊です。フェザーンは地の利を利用して経済的な成功を収め、一種の独立国家とも言える状況にあり、「帝国」、「同盟」、「フェザーン自治区」の3つ巴の様相を呈し、「帝国」と「同盟」が慢性的な戦争状態に突入して150年が経過した世界です。

主人公は2人で、「帝国」に生まれ、その専制政治(無論世襲で貴族階級も存在し、身分制度は苛烈を極める)の中、名ばかりの貴族の出身ながら、美貌の姉が皇帝の寵愛を受けたことで軍籍に入り、軍人として驚くべき出世していき、自身こそが新たな王朝を築くべく野心を秘めた美貌の天才ラインハルト・フォン・ローエングラム(「帝国」はドイツ系で統一された表現をされる、金髪で青い眼の美男子)僅かにまだ20歳。もう1人は「同盟」に生まれ、歴史家を目指すも軍人になってしまったが為に退役軍人として年金生活を夢見る男、しかしながら民主共和制の尊さを理解し、戦略眼に長け、心理学者のような先見性を持ったヤン・ウェンリー(「同盟」はごった煮感があり統一性の無いことが特徴で、性格はのんびりし、生活一般において不適合者に見える)29歳。この2人の対立を軸に、それぞれの勢力内での群像劇、その勢力図の変化、そして宇宙の統一、そのための「独裁専制」と「民主共和」のどちらが優れているのか?を考えさせられます。

SF設定ですし、長い物語(文庫で10巻、只今私はちょうど半分の5巻を読み終わったところです)なのでこの作品の魅力はそれこそ様々に存在するのですが(群像劇の妙、美貌の青年、男の友情、階級社会の光と影、シスターコンプレックス、ミドルネームまでを入れて発言することでの様式美、他にもたくさんあると思います)、この作品の最も大きな肝は、おそらく政治形態の話しではないか?と思います。何故なら、SFで未来の設定にしながらも、その描かれている時代と同時代の語りべは存在せずに、歴史学者が過去を振り返って語る歴史モノとしての設定なのです。このひと手間のおかげで、なんといいますか「三国志」に近いテイストを醸し出しています。

歴史モノでもあり、SFでもあるとは、とても変わった作品ですが、リーダビリティ高くて長い物語ということを忘れさせるくらいです。

これだけ壮大な世界観を持ち込み、群像劇に仕立て上げ、尚且つ後世の歴史家が紡いだ言葉として響かせるのも、受け手に政治形態の重要性を問いかけることに繋がっていると思います。そして、とても極端な形での見せ方をするのです。つまり「最良の人物が行う独裁政権」と「最低の民衆が行う民主政治」を比べるという状況なのです。
当たり前かもしれませんが、「最良の独裁政権」の素晴らしさは「民主主義」では敵わないです。ただ、独裁者が常に最良であり続ける(もっとも、その独裁者にとって、のですけど)かは不明であり、試してみなければワカラナイ問題であり、だからこそ取り返しがつかなく、そして後継者問題を常に孕んでいるわけです。この後継者問題を解決した例として私が知っているのはガイウス・ユリウス・カエサルが見出したオクタヴィアヌス(実子ではないが、後継者に任命)くらいしか実例がないような気がします。そしてこの例でさえ、オクタヴィアヌスが自らの力を行使して築き上げた結果とも言えるのではないでしょうか?

あの、アレクサンドロスⅢ世の早世時においても、後継者について聞かれた際に「最もチカラを持つ者に」としか言わなかった訳で、ある意味とても正しいのに、後継者の中で抜きん出た存在がいないからこその後継者戦争(=ディアドコイ)が起こってしまう。アレクサンドロスⅢ世の父であり、個人的により偉大と思われるフィリッポスⅡ世でさえ、アレクサンドロスⅢ世を後継者に指名したわけではなく、それとなく抱き込む形でしか表せていない(アレクサンドロスⅢ世がアンティパトロス【文官の長】とパルメニオン【軍部の長】の支持を取り付けたからこそ、後継者争いが起きなかっただけ)ですし、突然死やテロを考えますと(銀英伝の世界ではテロにもかなりの比重をかけています)後継者をどのように決めるのか?を示しておく必要があり、ゴールデンバウム王朝であっても、新帝国であるローエングラム王朝であっても、特に選定基準を精査し、取捨選択しようとするまでもなく、「世襲」と決めつけられています。

まだ終わりまで読んだわけではないのですが、非常にパンチライン(決め台詞!)の強い言葉が多く、その中でも最も強く(今、2014年7月1日だからこそ強く響くのかもしれません・・・)響いた言葉は、

「民主主義とは、人民が自由意志によって自分たち自身の制度と精神をおとしめる政体のことか」

です。いわゆる愚行権という奴ですね・・・
全然関係ないとは思えない話しに私は感じております。
政治とはとても難しいものですし、ある意味玉虫色の結末であり、妥協の産物であると思いますが、人民の責任であることもまた明白ですし、最善の結果を求めての政治行動はたいてい失望に変わるでしょうし、私は今のところ最悪を避ける選択を政治には期待したいです。
私は憲法は国家を縛るものであり(立憲主義という事です)、憲法解釈は時の政権が行えるものでもないとも思います。現代に合わなくなったのであれば憲法改正をするのが最も正しく、それ以外の道はありえないと思います、法治国家であるなら。法治国家でないなら、もうしょうがないですね、どうしようもない。法の支配には恣意性がある、と言っているのと同じように感じます。憲法を守って国が亡びる、と本当に思うなら、まず憲法改正を訴えるのが法治国家に住む人民の手段だと思うのですが。私は司法が『違憲』と判断すると思います(解釈でそれこそブレたら憲法なんてほとんど意味がないですし)が、そこに圧力をかけられたり司法が政府にすり寄る可能性も否定できないですしね・・・どうなってしまうのか?ちょっとよくわかりません。そもそも憲法判断を司法が行っているのか?その前例を知らないですし、不勉強なだけなんでしょうけれど。ただ、私は「集団的自衛権」を必要と思っております、法治国家であるなら。成熟した社会を目指すなら。行動には責任が発生してそれを負う覚悟を持つなら。もちろん抑止としても。そして否応がなく紛争に巻き込まれるとしても。
しかし反対派も行動が と・て・も 遅いし無理な話しだと思います、もう遅い。遅すぎる。安倍政権を支持する人がこれだけいるなら、これだけの議会を制圧できる人数を送り込んでいるなら、選挙で政権運営を任せるという事は、つまりこのように支持する政策以外も支持することになる、という事なので悩ましいですね。正直日本においてデモ行動で政治が変わった事があるのでしょうか?まだロビー活動の方が結果を変えられるような気がします、ロビー活動を見たこともしたこともありませんけれど。
憲法解釈という行政の判断をどう司法が判断し、その結果どのような形で決着がつくのか?に興味があります。

閑話休題
登場人物たちの生き生きした描写もまた素晴らしいですし、後は残りを読み終わったときに譲りたいと思います。
銀河の歴史がまた1ページ!
社会と政治と軍事の話し、政治が気になる方にオススメ致します。



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