安保法制の衆院可決。ちょっと悲しいですね。あくまで今日は個人的な感想です、専門家でもないし、政治家でもない、でも主権者の一人の戯言です。
私は改憲論派です、押し付けられた憲法とも思わないし、でも日本人が主体となって合意に参加した憲法でも無いと思ってます。もちろん戦後70年くらい機能してきた憲法でもありますよね。70年の実績はまあ重い物もありますし、ある種の文化です。それに9条関連が残っても良いし、削除してもいいけど、とにかくある程度の総意が反映された、という歴史的な事実のために改憲をすべきだと思います、そういう出来事、主体的に選びましたよ、これで行きます、という事実が合った方が良いと思うんです。でもその為には護憲派を含めた合意が必要なわけで、道のりは遠い気がします。護憲派の方々も何処を守るのか?を意思表示して欲しいですし、改憲派だけで決めた憲法も結局押し付けられた憲法だとも思います。だからきっと凄く合意形成に時間がかかるけど、そういう努力をしないで文句を言うのは何処か卑怯な気がします。
で、安保法制ってのは結局政府のフリーハンドを増やす役目を果たすわけで、もしかしたらアメリカさんの紛争に巻き込まれるかもしれないし、今まで国防にさく経費を経済に傾注してきたつけをもあるかも知れません、その時の決断は仕方なかったとも思いますけど。で、フリーハンドの増やし方として、憲法という主権者国民が政府のフリーハンドをココまで縛りますよ、というルールを解釈で変更したわけで、まぁ憲法というルールの価値や縛りという役目の実効性が緩くなると思います。それでリバイアサンを繋ぐ鎖がゆるくなったんだと思います。
本当は政治家なら国家を守るために、存立危機事態を想定して行動してもらいたいし、基本的には現行憲法順守するのが政治家だけど、現行憲法を超えて守らなければならない、という存立危機事態であれば、憲法を超えてしかるべき行動を起こすべきですよね。たしか緊急権という考え方。その上で憲法違反の罪を負うべきです。そんな覚悟もなく、罪を負う気概もないなら政治家になるべきじゃないんだけど、それも国民の代表なわけで、そういうレベルなんですよね。無論緊急権が発動した罪を負い、自覚しつつ、緊急権の終息の後に罪を認めて償うべきだと個人的には思うんですけど。
現行憲法の中で当選してきて生活しているわけで、だからこそ順守する意味があるのに、空文化させるのはちょっと違和感が多すぎる。
現政権は選挙で選ばれた民意の結果ですし、今頃デモかぁという気持ちにもなるし、その報道のされ方も気になります。そんなに政権を批判する人が多いなら選挙の投票率ももう少し上がっててもいいような気がします。では現政権の政策すべてを支持しているか?と言われると決して違います。しかしデモで批判している意思表示も必要だとは思いますけど、何かが変わった、という実感もないですしね。じゃロビー活動が出来るか?というとそんな事できないわけですし。現政権へのコントロールしよう、という意思表示の方法を知らないわけで考えてはみるけど頭悪いから分からないし、忙しいから出来ないんですよね。選挙で選ばれた政権だから白紙委任ではなく、それなりのコントロールがあっても良いと思いますし必要です。なにしろ経済政策はこの政党だけど、医療政策は違う政党だし、という状況なわけですから。
きっと参院も可決されますけど、なんでねじれ国会がダメなんですかね。ねじれがあった方が議論されると思うんですけど。しかも白紙委任でなくなる率も高まるし、いいことだらけのような気がします。時間はかかりますけどね。でも多分無理なんでしょうね、議論がねじれてる気がする。結局咬み合わない議論しかできないし、修正や妥協という議論が出来ない国民性なんですよね・・・玉虫色の決着、良いじゃないですかね、だって様々な意見を汲み取ったの結果なわけで、よりいろいろな人が合意しやすくなったはずなんですよね。絶対の正義とかがある訳じゃなく、いろいろな正義や立場を尊重しているわけで大人の判断ですよね。今回もどちらの立場の人も相手の言い分や意見を聞き取ろうともしない感じで非常に子供っぽいですし未熟な感じがします、相手の意見を聞き入れたら負け、という姿勢で悲しい。それが議論を生業とする政治家だと、報道するジャーナリストだと思うと悲しい。
自分の意見や考えなんてもちろん浅はかで、いろいろな事実や努力や立場を知れば意見は変わりますけど、そうじゃないのは悲しい。聞く耳持ってないわけですし、議論する相手を蔑んでるわけだし、感情でしか動かないんでしょうから、悲しい。相手の意見を取り入れたら負け、という判断基準やマッチョ体質が悲しい。結局『俺の話しを聞け』ということで悲しい。そういう人といると疲れるのをみんな経験してると思うんですけど。
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