マーティン・スコセッシ監督 カドカワ
どちらかと言えば大好き!とまで意識したことが無い監督ですが、もちろん凄い監督ですし、何作か見てます。
そして原作の遠藤周作「沈黙」も読みました(原作の感想はこちら )。
2時間40分!という長い尺でしたが、素晴らしい作品でした。
江戸時代初期、日本でのキリスト教布教に使命を感じたフェレイラ神父が棄教した、という報告を受けたイエズス会でフェレイラの弟子であるロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルぺ(アダム・カイロレン・ドライバー)の2人の神父(パーデル)が日本に向かうのですが・・・というのが冒頭です。
特に主演のアンドリュー・ガーフィールドの苦悩の演技も良かったのですが、非常にズルくて弱いキャラクターのメイクを含めた佇まい、その歩き方までもがリアルに感じさせるキチジロー役の窪塚洋介、ちょっと間違えそうになるくらいジョセフ・ゴードン=レヴィットに似てる浅野忠信、イノウエさんってきっとこんな感じだったんであろうというくらいにこの人でしか想像出来なくなってしまったイッセー尾形さんの3名が本当に凄かったです。
そしてもう1人モキチを演じた映画監督であり最近は役者さんで目立つ塚本晋也さんです。もう地元の人にしか見えません・・・
この映画はキチジローというキャラクターをどう捉えるか?で評価が分かれそうです。
キチジローのズルさや弱さを認める事が出来るのか?
人質を4名出さねばならなくなった際、外敵に対して武力では敵わない状況下での、さらなる弱者への圧力の大きさを見せつけられます。同調圧力の強さ、それまでの非常に献身的で清らかとさえ言える信仰の姿を見ていただけに、そのコントラストがとても響くのですが、この辺に海外の方から見た日本人の姿の特徴と捉えられる部分があるように感じました。
転ぶ という表現、その言葉の音の強さもあって、とても重く聞こえますね。
また日本を 沼 という表現されるのも印象的です。
キリスト教という宗教の布教活動、キリスト教を知らないものを十把一絡げに、粗野で無知、と決めつけている野蛮さを浮き彫りにしている部分も恐ろしいです。しかしそれに対抗する日本側の、殉教者を出すことでさらなる結束を生むという判断からの対抗策の無残さ、非人間的な行為がまた、キリスト教徒に人間性を認めないかのような(それでも、日本側は海外の言葉を学んで文化として判断しているように見えますが・・・)行為が出来る事も、闇の深さを感じます。
信じる、という事は、祈るという事は、という行為について深く考えさせられる映画だと思います。
暴力的、精神的暴力での棄教には賛同出来ませんし、だからこその悲劇なんですが、これが史実という部分も本当に凄いです・・・
私はロドリゴが聞いた声は、ロドリゴの内なる神が発した言葉だと思います。内なる脳が下した理不尽を受け入れるための方便としての神、という意味ですが。
私は信仰を持たない人間ですが、信仰の事を考えるとどうしても転向の事を考えてしまいます。
転向という言葉は非常にネガティブなイメージで語られる事が多いです。私もある本を読むまでそう思っていました。それが鶴見俊輔著「戦時期日本の精神史 1931-1945」(の感想はこちら )という本です。
知識の無い状態から、学んでいく事で、その時の自分なりの正しさを一定方向で保持する事は、信仰と似ていると思います。しかし、ある時、それまでの学びを否定する出来事や真理を知った時に、それまでの自分を否定まで行かなくとも、過ちを認められるか?という判断を迫られます。その事で過去の自分の過ちを認められた結果、それまでと違う方向に進む事を転向と呼ぶのであれば、転向しない人の方が少ないはずです。真逆に転向する事は少し極端だと思いますが。
閑話休題
とにかく、いろいろな要素を含んだ作品である事は間違いないですし、映像も素晴らしく綺麗です。特にキリストの絵の顔のアップがあるのですが、あの絵が見てみたくなりました。
信仰に興味がある人にオススメ致します。
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