井の頭歯科

「肉」を観ました

2018年10月22日 (月) 09:22

フレデリック・ワイズマン監督

とにかく尊敬出来るドキュメンタリー映像作家、ワイズマンの足跡をたどる特集が、アテネフラウセで開催されています!やった、嬉しい!!でも平日で昼間から、1本につき2回しか上映されないので、まぁ残念ながらほとんど見れません・・・でも長年観たかった「肉」がちょうど観られる時間帯にかかっていたので足を運びました。

とにかく集中を求められる映画作品で、1つのテーマをソリッドに、深く、観たままに、映像化してくれる監督です。細部にまで配慮はなされていますけれど、それは事実を事実のままに伝える事になされていて、説明やナレーション、BGMも何もありません。だって実際にその場にナレーションだってBGMだって流れてないですよね。それをそのまま映像化するんですけれど、これがものすごく情報量が多くて、大変集中を要します。見やすさ、分かり易さ、からははっきりとした一線を画す作品に仕上がっていて、いつも思うんですけれど、複雑な現象や事象を簡単にすることでそぎ落とされる細部にこそ重要な要素が含まれていて、そのままに理解する事の重要性を思い出させてくれる、そんな作品です。だって誰だって分かり易い事は受け手の許容度がひろく、娯楽作品には必要な事でもありますけど、でも複雑なモノを理解する娯楽だってありますし、実際、ワイズマンの作品の面白さはココにあると思ってます。

毎回、客層もちょっと変わった人が多くて、まずみんな1人で来てますし、ワイズマン作品のスタッフロール(ま、ローリングはしてないんですけど)が終わって暗転し、客電がついて場内が明るくなった瞬間に聞こえる安堵と何か苦い真実を飲み込まなければならなくなった人の吐息が入り混じった「っん、ふぅ」的な息の音が必ず聞こえるのが本当に不思議です。いつもコレを聞くと、ああ、ワイズマン作品観たんだな、って思います。

牛が肉になるまでを扱った作品です。

牛という生き物、その生態まで感じ取れるように、牧場で草をはみ、その音までも可愛らしく感じさせるくらいにカメラが寄っています。牛の瞳ってこんなに感情的なんだっけ?って思い出させるくらい、ああ、牛の角と角の間、顔に至るまでパーマがかった縮れ毛のような毛が生えている牛も、いない牛もいて、牛種にもいろいろあるのだな、とかを十分に理解させたところから、出荷が始まります。

まずは出荷された牛はせりにかけられるのですが、このせりが行われている会場の雰囲気がとても変わっていて、物凄く早口で何かを言っているせりを統括する人が左右の手を使いながら、会場にいる大変男汁溢れる、いわゆるカウボーイに視線を投げ、投げられたカウボーイの方はそれに対して手の形(複雑なものでは無いが、大変素早く見せられるので形を覚えられない)で合図しながら進んでいきます。

せりを終えた牛たちはトラックに乗せられていきます。逆光の中(ワイズマンは逆光大好きマンです、絶対!!)、トラックのエンジンの音を聞きながら牧場兼屠殺場に運ばれ(巨大な会社)太らせてから「牛」が「肉」変わっていく様を、淡々と、しかしテンポよく映像化されています。そこには「日常」の屠殺があり、「日常」の血抜きがあり、「日常」の皮剥ぎがあります。

牛を太らせ効率よく屠殺する会社に日本からの工場見学に来た集団が、細かな質問をしつつ、完全に遊びに来ている感じでカメラで撮影している人々も、この工場と会社に関わるものですから、冒頭にですが、映されています。英語を理解出来るのが1名しかいない上、ちょっとした言葉でもすぐに聞き返してくるので、大変、説明する係りの人(女性、美人)が困惑しているのが分かりますし、喋れない日本人が最後はこの説明係の女性と写真を撮っている部分を見せられると、映像からも、この写真に納まっている日本人の、旅行という非日常が醸し出すアッパーな気分に浸ってしまっている感が滲みでて感じられます。当然この日本人の言葉には字幕が付かないんですけれど、この映画を見た非日本人(日本語を理解出来ない)には、とても不思議な人達に見えるんだろうな、と思います。

牛が肉になる行程には本当に様々な過程があるのですが、作業員が、何の感情も抱かず、まさに生き物であった牛を、肉に変えていく様を、じっと映像に収めていきます。牛の屠殺の瞬間は、まさにあっという間に行われていて、声も出すヒマさえなかったです。その後足をつるされ、首に一撃食らわせて血抜きをされ、皮を剥がされ(機会化されてる!)、内臓を取り出し、解体されていくのですが、扱っている作業員の表情が一様になんの表情も浮かべていないのが印象的でした。まさに日常なんです。中にはテレビでアメリカンフットボールの試合(NFLだと思うけど、チームが分かるほど鮮明な映像ではなかったですけど、ウィークサイドへのリードオプションを展開、NFLでもオプションプレーが行われていたのか?不明なのでもしかするとカレッジかも)を盗み見ている人物の表情も、無表情なんです。

特に印象的だったのは頭部の解体、内臓の摘出、血抜きの際に出来るまさに足首まで浸かる血の海での作業、そしてその清掃と、作業員の素手、です。

牛の後、ほぼ同じだけど行程がいろいろ違う羊の映像になります。同じように、羊の生態が分かるくらいに寄ったカメラから(羊の羊毛を刈られる際の可愛さもあり、従順さも可愛さを増幅している)、出荷され(また逆光!!)、屠殺されていく羊の生き物から物化される行程が写されます。この羊たちを先導しつつ、自身はトラックには入っていかない山羊がいて、山羊の髭のある造形からも羊の幼さに比べて老成して見えるのですが、逆ハーメルンの笛吹きのようで恐ろし気でした。

会社の従業員との労使交渉も描かれていて、細かな労使交渉がされるんですけれど、会社側は全然譲歩してないんですよね。とにかく決まったのでこれでやる、の1点を、繰り返し説明するのみなんです。これこれこういう現場の中で1名の人間で軽量と4段階のクラス分けをして、その責任を担当者は負う事が出来ないので2名にしてくれ、という訴えの後、会社側の責任者は、しかしそれは過度な懸念であって、1名で行う事に決まった。もう1度言おうか?という完全にブラックな感じでいっぱいです。労使側の精一杯の交渉で、責任を押し付けない、チーフマネージャーが責任を管理するってなるんですけれど、多分これ後で覆されそうです・・・

そして、何かしらの記者が、工場経営者に、この先のビジョンを聞いてくる場面では、工場主(と思われる、説明も何も無いので社長かも)は、大変居丈高に、これ以上どうやっても高く足を組む事は出来ないであろう位置に足を組み、タバコを吸いつつ、カメラに向かって上からの視線で(多分カメラは据え置きなので意図的ではないと思いますけど)、今後3年間は今のままに推移していくが、その後は牛肉は間違いなく高級品になる。今の2倍、いやひょっとすると3倍の値段になるのではないか?といった趣旨の発言をします。経済学者じゃないけど、私の考えるところはこうだよ、といった説明口調ではあるのですが、物凄くアメリカンドリーマーに見えるんです。

確かに、「牛」が「肉」になる映画なんですけれど、やはりワイズマンはその過程にいる(だって牛を肉にする過程の工場も、その仕組みを考え出したのも、そしてそこで働いているのも、全部)人間に、興味があるんだろうな、と感じました。一瞬だけ出てくる州知事が、労働者に向けて一人ずつ、握手を交わしていく姿が映し出されるんですけれど、まぁ支持を求めてるんでしょうけれど、握手する事しか考えてないすっごく上っ面な態度に見えるんですよね。ナレーションも説明もBGMも入れない事で、ただの事実を観る事で、写された人物の考えが透けて見えるように(あくまで、受け手の想像なんですけれど)なる瞬間が、ワイズマン作品の肝なのかも知れません。

ワイズマン作品をたくさん観たいけれど、私は映されるのだけは御免被りたいですね。

“「肉」を観ました” への1件のコメント

  1. […] ドキュメンタリーで言えば最近見た「肉」フレデリック・ワイズマン監督作品(の感想は こちら )くらい、起こったままを出す方もいますけど、多分少数派でしょうし。もちろんマイケ […]

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