ミック・ジャクソン監督 ツイン
昨年見逃した映画の中で最も悔やんでいる映画です。ちなみに今年で言えばバーフバリです。早く見ないといけない・・・まぁこの映画公開当時に足を骨折してしまってたからしょうがないけど・・・あれから1年かぁ~時が経つのは早いですね。
アメリカのホロコースト研究家のデボラ・リップシュタットが学生に向けて講義をしている所に、突然ホロコースト否定論者のデヴィッド・アービングが現れて、論争を勝手に焚きつけます。突然で失礼ですし、卑怯なやり方と私個人は感じます。しかもその様子を勝手に録画しています。講演後の書籍購買会では、ことさら大袈裟に『真実の歴史書』として自らの著作を配って歩いたりしています。その後、デボラに対してイギリスで名誉棄損で訴えを起こします。驚くべきことに、紳士の国英国では、被告が自身の無罪を証明しなければならない、という大変時代錯誤も甚だしい法律制度があります。もちろんアービングはその事を知っていて裁判を起こしているのですが。裁判で争う事にしたデボラは・・・というのが冒頭です。
差別主義者の権利も守らねばならないのでしょうけれど、まぁアービングが大変憎たらしく描かれていて、なかなか説得力あります。私個人の感覚ですと、本当にくだらない争いだと思いますし、アービングのやり方そのものが姑息で卑怯なので馬鹿らしいんですが、負けず劣らず訴えられるデボラも感情的になるのでハラハラします。しょっぱなから、デボラが私はそのうち何かをする、という親のセリフをそのまま受け入れてて、すっごく不安感があるのです。
でもこの映画で1番驚いたのは、英国の司法システムです。この状況でよく現代までやってこれてますね・・・推定無罪の法則が通じないなんて、信じられません。無い事を証明するのってすっごく難しいんですよね・・・だってカラスは黒い、を証明するのに、1羽も白いカラス(白じゃなくても、黒以外)が『いない』事を証明しなくちゃいけなくて、それってほぼ不可能です。この映画で1番びっくりしたのはこの英国の法律の現状ですよ・・・本当に今でも信じられません。
とにかく、英国の裁判を扱った、しかも非常に現代的な問題に焦点をあてる映画で面白かったです。
英国の裁判制度、もしくはホロコーストについて知りたい方に、オススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ここからネタバレありの感想になります、未見の方はご遠慮くださいませ。かなりなネタバレになっております。
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弁護団のそれぞれの方々の描写が良かったです。みんな専門的な一芸に秀でた人が集まって頑張るのってすごく好きな展開です。
特に冷静さを、客観性を武器にするアンソニーが良かったです。証人として生き残った人を呼ばない、と決定している部分も凄く説得力あったと感じました。基本的には、デボラに、アービングが生き残った証人を罵倒しているビデオを見せるべきだったとは思うけど。
確かにデボラの言い分の方が客観性ある事実を積み重ねているし、全く持ってまっとうです。でも、だからって、この人感情に流され過ぎるし、気分がコロコロ変わってすっごく困ります、そういう意味でも弁護団が頑張った感じが強くて良かったです。
デボラの主張は最もですけど、アービングの主義(やり方は卑怯で、頭が悪くて、恥知らず)は、認めた上で、反証をもって否定しなければならないと思います。どんな人にも、その人の信念や言論の自由を保証すべきですから。『貴方の主張には全面的に賛成できないが、貴方の意見を言う機会は死んでも守る』という事に尽きると思うんです。
ただ、このアービングの主張のほとんどが言いがかりだし、頭が悪い。もう頭が悪いとしか言いようがないと感じます。物凄く固執してしまって客観性もないんです。 個人的には差別主義者を擁護したくないしレイシストと話しもしたくないけど、レイシストの言い分を聞いて反論出来る場は必要だと思うし、論破された事実をもう少し公的に扱って、以後この種の論説を立てている者は、これまでの経緯を(過程を、裁判記録を、エビデンスを!)否定するもの、というレッテルを貼って欲しいと思います。そうする事で本当に不毛な議論って少なくなると思うんです。が、凄い穴もあって、では、誰が、事実と認定するのか問題が立ち上がってきてしまいます。ですので、個人や団体ではなく、何度も何度も繰り返し検証出来る仕組み、システムを通さないと、『俺が信じたい何かを信じる勝手』を他者に押し付けようとする輩を少なくする事は出来ないんじゃないか?と思います。
この問題は特に疑似科学とか似非科学というトンデモを生む仕組みと似ています。人は言いたい事を言っても良いし、愚行権もあるけど、でも他者に何かを訴えるのであれば、せめて反証可能な科学的事実を積み重ねた、事実を基にした上で行ってもらいたいのです。歴史に関すると、もっと様々な(自然科学よりも)要素が絡み合って出来上がっていると思いますし、だからこそロマンがあるとも言えます。その中である種の自由度はあると思うけど、全然関係ないでっち上げを基に話しをするのは無駄だと思いますね。
あのリチャード・ドーキンスでさえも、いろいろ反証して証明してあげても、俺の話しに何らかの真理性があったからこそ、リチャード・ドーキンスほどの人が反証しようとしたんだ!(しかしその反証結果は出さない)とか言い出す人がいるという事で反証をするの止めた事実を知ると、暗澹たる気持ちになります。
閑話休題
いろいろ話が飛んでしまいましたけど、1番こりゃダメだ、のシーンはアービングが『死体の消毒』と言い出した事です。死体をどうして消毒しなければならなかったのか?もし、本当にしなければならなかったのであれば、生者に対して先にするはずなんです。歴史修正主義って都合の悪い事に対して、とても度量が狭いんだと思います、しかしこれって別に歴史修正主義に限らず、私の現実でも同じことです。なかなか認められない事ってたくさんあります。わざわざ根拠を求めなくても良い事ありますよね。でもそういう意味も内包されている、という事は忘れないようにしたいです。それにしても、な理屈ですけどね・・・
Wikipedia情報なんで、信頼性があるか微妙ですけど、1番溜飲が下がったのは、この事件の後、アービングが破産した、という事柄ですね。その後にやはり自らの発言にて逮捕されて、言説を曲げています、いわゆる転向したと捉えられる発言をしている、という事までは理解出来ました。でも自らの主張を完全に放棄したのか?は分からないです。 裁判長の言う、自らの信念により信じている場合は嘘と認定出来ないかも知れないという部分には衝撃が走りました。確かにそうかも。だからこそ、もう少し人間は進歩しなければいけない。哀しい事実だけど、そういう頭悪い人はこれからもいなくならないんでしょうね・・・ でも、人って陰謀論好きですよね・・・本当に悲しくなるくらい陰謀論が大好き。そしてそれって噂が好きなのと根本は近いと思う。
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