井の頭歯科

「天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成」を読みました

2019年6月28日 (金) 09:15

辻田 真佐憲著     幻冬舎新書

辻田さんは近現代史研究者でありますが、とても楽しく、できるだけフラットに語ってくれる語り口が素晴らしく、それでいて丁寧です。データや参考資料や文献も事細かに記載されていますし、だからこそ原典を当たろうとすると簡単に当たれます。さらに、その資料の成り立ちから、どの程度の信憑性があるのか?または両論併記した方が望ましいものは両論併記で記載されていますし、至れり尽くせりです。それなのに、語り口がさわやかで、イデオロギーを感じさせません。あくまで、事象に対して、の判断の積み重ねた結果の結論はなかなかすさまじい説得力があります。

しかし、私にとって天皇陛下のお言葉を理解するのは、なかなか難しい作業だと思います。何故なら、それぞれが勝手に解釈して『私が天皇陛下のお言葉を最も理解している』として取り入ろうとする人がたくさん居そうだからです。しかも非常に重い使命や責任や文化、そしてある種の幻想さえも背負う、日常が非日常な方のお言葉は、大変重みもありますし、理解しようとするハードルが高い感じがします。また理系の為にいわゆる歴史の知識が乏しい上に、興味がある部分は知っているけれど、それ以外へのヒロガリに欠ける部分が多いので、さらに難しく感じます。その上、明治・大正・昭和・平成と近現代史となると、さらに難しい解釈や取り方が出来るますし、本当の意味で細かな事実さえ知らない部分も多いです。

しかしそんな不安も、最初からほぐしてくれるのが辻田先生です。近現代史に詳しくなくとも、また、ある程度知っている人にとっては、さらに詳しく、様々な事象について解説してくれている上で、陛下のお言葉の意味を考えよう、という書籍です。

明治天皇の、話し言葉では当たり前なのかも知れませんが、京都弁を、文章で読む事で、少し可笑しみが、そして親しみさえ感じられます。また、とても外交に、決して武力を好んで用いようとは思っていなかった部分を知れたのも良かったと思います。たとえ苦難の道だとしても、その苦しみを共に味わう気概の持ち主であった事も、新鮮で懐の広さを感じさせてくれます。何よりも教育問題にこれほどまで心砕いて、西洋一辺倒にならない工夫を、儒教的な側面を残しつつ、良い部分の西洋を取り入れようとした、そのバランス感覚は、素晴らしいと感じました。そして、すっごくお酒が好きな点も、個人的には共感できるところです。そして国家元首としての人物評価の高さ、その深度にも、感服します。

また、非常に人間的な部分、日露戦争時の、あくまで私の意図では無かった、と思えるような宣戦の詔勅の部分や、大津事件におけるニコライ皇太子へのお見舞いの件は、まさに人間的な、と言える様々な感情のゆらぎを感じる事が出来ました。

そして有名な、教育勅語についても、詳しく書かれていたのは、大変面白く読みました。あくまで、天皇と臣民の上下関係であり、天皇陛下自らこれを守るのであって臣民もこれを守って欲しい、という意向のものであった事実は知れて良かったです。補論として、愛国コスプレとしての教育勅語、という短い論があるのですが(P62~65)、この部分は大変切れ味鋭い論評になっていて、全く同感です。中身を知らない(知ろうとしていない)で、とりあえず「教育勅語」を肯定しておく、その事が戦後民主主義の否定=反左翼=保守派である事の信仰告白、という図式は、とても明快です。ぐうの音も出ないほどの正論でした。それをもって愛国コスプレと名指す言葉の選び方も、ウィットが効いていて良かったです。あくまで、保守派でいる事が大事なのであって、保守が何なのか?を突き詰めようという訳では無い輩を見分けるリトマス試験紙のようです。

そんな明治天皇が好んだのが和歌であったのに対して、大正天皇は漢詩を好まれていた、というのも不思議な感じがします。

ご病気のために事実上の在位は10年なのですが、フランス語をある程度話せたり、和歌よりも漢詩をたしなまれた事実も知れて良かったです。漢詩の方がかなり複雑なルールや韻もあって特殊性は高いと思いますが、ご病気になる前はかなり明晰な方であった事が偲ばれます。

そして昭和天皇についての記載が最もボリュームあります、在位も長いので当然だと思いますが。著者の辻田さんの言うリアリストという言葉はとてもしっくりと感じられました。あくまで当時の、リアリストなのですが。

かなり潔癖な態度を取られる1928年の関東軍高級参謀・河本大作による張作霖爆殺事件に対して、軍法会議にかけるとの約束を反故にした当時の内閣総理大臣・田中義一に対しての失跡は、非常に冷静な判断だと思います。しかし、その為に内閣総辞職になってしまうのですが、この辺の政治的な役割と言いますか、大権も、それでも天皇陛下お1人の判断ではなく、側近や元老など様々な人の意見を取り入れての結果なのだと思います。しかし、だとしても、大変大きな権力だと思うのです。

また、昭和天皇陛下の感情が露わになった2.26事件についても、武装蜂起した青年将校を庇う事無く、それよりも、打たれた老臣を気遣うお言葉は、大変重く感じます。あくまで私見ですが、この祭り上げられ、権力者を任命する役割、としての天皇という立ち位置の難しさを感じずにはいられない事件だと思います。

また陸軍への不信感、特に独断専行をする関東軍への不信感は強かったようで、特に、杉山元参謀総長に対して、『汝は志那事変の陸相なり、その時、陸相として「事変は1箇月位にて片づく」と申したことを記憶す。しかるに4箇月の長きに亙り、未だ片づかんではないか』というお言葉は大変最もだと思います。人物評にも長けていて、石原莞爾を『満州事変の張本人』、板垣征四郎を『完全に軍の「ロボット」』、松岡洋右を『ヒトラーに買収されたのではないか』とまで言われています。最も、海軍軍人への言及の少ない本だったので、海軍への評価は不明ですが・・・

そして英米に対する宣戦の詔書に、英国への配慮があった事を知れたのは良かったです。英国にも渡英されているのもありますし、明治天皇も親しくされていたからなのだと思います。さらに終戦(と言いますか、敗戦ですよね)に至るまでの、三種の神器の取り扱いや、ご聖断の苦しみを考えると、当時の昭和天皇陛下のご年齢は僅か43歳・・・あまりに重い責任だと感じます。

明治天皇は大変お酒を好まれたのに対して、昭和天皇はお酒にトラウマまであって、ほとんど飲まれなかったのも、意外な感じがします。

そして、戦後に入って、「勅語」という言葉は「お言葉」に改められるのですが、そのお言葉には、本当に様々なモノがあって、やはり生きていらっしゃる人間なんだな、と強く感じました。特に、私が微笑ましいと感じたのは、テレビ小説「さかなちゃん」の録画を侍従に頼まれる事です。また、靖国参拝についての言及があった事、事にA級戦犯合祀が御意に召さず、とされているのも知れて良かったです。

続いて平成の時代。平成天皇の、即位にあたって「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしたいと思っております。国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことに思いを致すとともに、現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております。」という言葉の重み、そして、その事を実現するに至る、『旅』される公務の数々を見るにあたり、本当に、象徴としての天皇とはどういうことか?を考え抜いたのだな、と思います。本当に大変な重責を担わなければならない存在であるのだ、と認識を新たにしました。

日韓ワールドカップ共催におけるご発言の、続日本書紀における皇室の韓国とのゆかりをご紹介する懐の深さ、東京都教育委員米永邦雄への強制になるということではないことが望ましい、とのご発言にも、優しさが溢れていると思います。そして、何度も繰り返される『先の大戦(中には『満州事変に始まるこの戦争』という明記もある)に対する深い反省』というお言葉、この言葉の重みにも思いを馳せる事になります。

最後に、ビデオメッセージ。このとてつもなく幾重にも意味の含まれたメッセージを読み解くのに、今までの天皇陛下のお言葉、それも明治から大正、昭和、平成、とみてきたからこそ、の読み解きはスリリングでさえありました。象徴的行為と国事行為、中でも象徴としての『祈り』と『旅』についての言及は、様々な発言を見てきたからこその、重みを感じました。天皇は高齢化する、という避けられない事態をどのようにするのか?についての強いメッセージだと思います。しかも、この内容を有識者会議で批判された事についてのお言葉もあり、やはり大変重いと思います。

読後、最初に思った事は、このような重責を1人の人間に任せる事で成り立つ社会のままで良いのか?という疑問でした。もちろん尊い存在ですし、極端な廃止論ではなく、負担の軽減、あるいは役目の分担、という事です。しかも現状、大変厳しい状況に置かれていると思います。男系男子に限る方の意見も聞いてみないとよくわからないのですが、このまま男系男子にこだわると、繋いでいけない事態になりかねないと思いますし。

とにかく、大変スリリングで面白い本でした。天皇陛下のお言葉が気になる方に、近現代史の天皇陛下のお言葉で振り返る事に興味のある方に、オススメ致します。

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