北村 紗衣著 書肆侃侃房
ラジオで知った北村紗衣さん、その独特の喋り方、そして圧倒的な知識量!さらに特異な雰囲気も相まって、大変気になっていました。そんなところに新刊のお知らせがあったので、手に取りました。フェミニストについては全然詳しくなかったんですけれど、これは何か新しい概念を知る事でまた違った見方が出来るようになるヤツだ、と感じております。物事を見る視座の私にとっての新たな視点です。死角は無くならないけれど、それでも多様な見方が出来るようになる楽しみのひとつになると思います、もちろん全くの反対側にもそういう見方の視座があるはずですし、その事も含めて、視座が増えるのは楽しい事です。
批評、について何かで学んだ事はありませんが、私の知識の中だと間違いなく最初に浮かんでくるのは、筒井 康隆著『文学部唯野教授』です。こんなに面白い批評本を読んだ事は無かったですし、批評には数限りなく様々なやり方、スタイル、があろうかと思いますが『知る』というそれだけでも十分面白い事ですし、これに、自分の知って来た様々な事柄があり、そこに新たな何かが繋がる瞬間に、驚くほどの喜びがあったりします。私の場合は、ですけれど。例えば、歴史モノが好きだった人が幕末吉田松陰を調べていて、その少し前の時代も知りたくなって、実は松陰という̪諡は、寛政の三奇人の一人、高山彦九郎の諡である事を、後から知った時の喜びと言えば分かり易く繋がるかも、です。そういった面白さを、さらに批評は教えてくれると思います。
今回扱っている書籍、映画、演劇、の中では私が全然通っていないトピックばかりで、僅かに知っているのはデビッド・フィンチャー監督作品「ファイト・クラブ」、カズオ・イシグロ著「私を離さないで」、ジェーン・オースティン著「高慢と偏見」の3つだけでした。ですので、テクストを味わっていないで批評を聞いているわけで、これはちょっと難しいかも、とも思ったのですが、かなり興味を惹かれる解釈の話しでとても面白かったです。
恥ずかしいのであまりカミングアウトしたくないけれど(と言いつつまぁ言いますけど)、私はヴァージニア・ウルフを読んだ事がありません、そしてエミリー・ブロンテ「嵐が丘」も読んだ事がありません・・・かなり有名作品なので恥ずかしいですが、その辺の知識が全くないのに、北村先生はそういう読者にもある程度配慮しつつ、面白い、ここがヘンだ、という部分を、何故面白いのか?何故ヘンなのか?を教えてくれるのです。
そして、かなり身につまされるのが男性性の話し。しかも北村先生はネット社会やネット用語にも詳しくて、いわゆるひがんでいる男(ネットスラング的には「キモくて金の無いオッサン」の事)をキチンと定義するところから始まります(異性愛者で仕事も私生活もうまくいかず、金銭的に問題を抱えた中年以上の男性、という見事な定義・・・身につまされます・・・)。しかしこの手の人は文学上非常に主人公になりやすいタイプとも言えると私は思います。だいたいにおいて、ハードボイルドの世界は(という事は裏返しのハーレクインロマンスの世界でもきっと)この手の人が主人公ですし。そういう点を指摘してくれて、それも面白おかしくなのが、とても面白いです。中でも「プリンセスは男のロマン!」は目から鱗の批評です、私もすっごくそう思ってました。例えば「ローマの休日」(観た事無いのですが、なんとなく知ってる)の結ばれぬ関係を我慢した(飲み込んだ、受け入れた、しかし希望は残っている と勘違いする余地がある でも感情移入するなら気にならない)オレに陶酔、という事だと思います。これはもちろん女性にもあると思いますけど。でも本当に注意が必要な案件だと思います、他者の目線が入るだけで結構違いますし。
そしてやはりこの本の中でも肝はシェイクスピアだと思います。北村先生はシェイクスピア観劇された人の研究者ですし、今個人的に最も気になる漫画の中のひとつが「7人のシェイクスピア」なので、より面白いと思いました。私はまだシェイクスピアをそれほど読んだ事が無く、しかし、かなり面白そう、と感じています、つまり、古典を楽しむ事が出来るように、やっとなった、という事なんだろうと思います。書籍でも、古典的作品を手に取る事には結構な決断が必要です。映画でも、やっと、その手のオールドムービーの良さが理解出来るようになってきました。で、戯曲でも、少しは理解出来るようになったかな?と思える、かも知れない、と言う程度には、関心あります。
それと、北村先生もおっしゃっているので便乗してしまいますけど、私もあんまりディズニーが好きじゃなくて・・・映画もなんですけれど、なんか、あまり、乗れないんですね。だからあまり作品を観てなくて。もちろんイイ作品もたくさんあると思いますけど。
でも、どうしえも乗れない批評もあって・・・性格批評については、キャラクターへの自己投影、同一化の話しに繋がってしまい、ここはあまり共感出来なかったです。なんとなく、場の形成を意識するあまりに、批判的な言動を避ける形に繋がり易い感じがします。
また、「華麗なるギャツビー」の、バス・ラーマン監督作品は観てないんですけど、ジャック・クレイトン監督作品と、原作既読ですけれど、デイジーは、この物語の中では『華やかで愛くるしく、でも何も考えない流されやすい女』でしかない、と思ってて、ギャツビーからすれば、ミューズなんだろうけど、ニックから見たら、その価値が無い、という所が肝なわけで、そのノスタルジーを含んだまさに叶わぬ夢だからこそのロマンティシズムなんだと思っているので、ここも譲れなかったなぁ。美人でないヒロインに一般女性が共感できる、という話しは、まさに自己陶酔的なナルシズムに直結してて、だからこそ男性にとってのハードボイルド的なものと同じ構造な気がしますけど、これはもう少し考えてみたいテーマですね。
でも、『私を離さないで』批評は、全く気が付かなかった点を鋭く分析されていて、素晴らしかったです。確かに言われて見ると、そうかも!って思います。この視点はまず無かったし自分では考え付きもしなかったです。
新たな視点を、自分の死角(絶対になくならないけど、でも減らしたい)を見てみたい人に、特に男性に、オススメ致します。
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