井の頭歯科

「JOKER」を観ました

2019年10月11日 (金) 09:26

トッド・フィリップス監督     ワーナーブラザーズ

大変期待が高い予告だと感じましたし、割合批評家さんたちもアゲ気味だったので、しかもヒース・レジャーを超えるのはいくらなんでも無理だとしても(ヒース・レジャーがJOKERを演じた映画「ダークナイト」の感想は こちら )、違うJOKERを魅せてくれるはず、だってホアキン・フェニックスなんですから!

というのが私の観る前の感覚で、あまりやりたく無いけど我慢出来ずに、予告を何度も観てしまいました。災害医療訓練等あって10月はしばらく映画館には行けなさそうでしたから、良かったです。しかし、この間に合った、で余計に有り難く感じたい気持ちが、結局ハードルを上げる方向に働いてしまったのも、あります・・・

結論から言うと、大変古い映画と感じました。もし、80年代に公開されてたら、絶賛されてたと思います、出来たら80年代前半ですね。

アーサー(ホアキン・フェニックス)は急に笑い出してしまう病気(トゥレット症候群と思われる そういえばトゥレット症候群の話しが映画に出てくると言えば、「ザ・スクエア 思いやりの聖域」という映画もありましたね )を抱えながらゴッサムに母の介護をしながら暮らしています。道化のアクターとして生計を立てていますが、周囲からは病気の理解が得られず、ややきみ悪がられているのですが、ゴッサムシティの財政状況が悪くなり、アーサーの受けていたカウンセリングも…というのが冒頭です。

まず、携帯電話はありません、おそらく、75年以降で90年まではいかない辺りの年代が舞台になっています。

私はこの年代が、ギリギリアメリカの良心、善なる事が親世代に残っていた時代だと思います。そこがあった頃を皮膚感覚として知っている人と、知らない人だと、違いが感じられると思います。

アーサーの貧困、病態、母の介護、負の連鎖には同情せざるを得ないのは間違いありませんが、しかし、解決方法があまりに安直なんですよね…

私はあまりに古い、と感じてしまいました。

基本的にネタバレ無しの感想として、とにかく、古いな、と感じてしまいました・・・

あくまで、JOKERになる、話しなんで仕方ないのかも知れません。ただ、ヴィランとして、悪という正義と対になる存在のアップデートは、全然ありませんでした。私が槙島聖護を知っているから、より古臭く感じてしまったのかも。

なんか凄く可愛そうな人、に同情的な(だからこそ底が浅い)感じが、私はJOKERのキャラクターにとって違和感しかなかったです。

まあいくつもあるJOKERの可能性の一つ、という事で。

私は楳図かずお先生のお言葉として聞きましたけど『近視眼的になるとホラー(悲劇)だけど、遠視的に観ればコメディ(喜劇)』という事に尽きると思います。

ホアキンが好きな方、ヒース・レジャーのJOKERが好きな方にオススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ここからネタバレありの感想です。正直この映画を絶賛している人からは、だからどうした、という話しだと思います。けれど、気になる人には気になってしまうんです。

この映画は信用ならざる語り手モノなんですが、何処まで信用出来るのか?なんですよね。全部妄想だって良い感じる事も可能です。

テレビショーでの惨劇も妄想の可能性もあり、ラストの生きてパトカーの上もあり、なんでもなのが、まずあまり心地よくなかったです。

さらに、自己愛型とかPTSD辺りの病名や人格障害という概念ありの病名は、この頃はまだかなり特殊で広まってはいないと思います。なんか現実的にも年代が絞りにくいのです。街やテクノロジー的には80年代前半なんだけど、病名かですと90年代初頭な感じもする。あやふやでも良いかも知れないけど、私には適当、ご都合に見えたんです。

あと、3人を銃殺、かなり突飛で凄くJOKERぽくない。仕方ないんですけれど。また、道化仲間で拳銃をくれた人(妄想の可能性あり)を殺して、小人症を殺さないのも引っかかります。拳銃は貰った描写あるけど映画内事実か不明だし、そもそも自分に優しくしてくれた人を殺さない、なんて本当に普通過ぎる。JOKERはあらゆる事を疑え、と搾取されている事実も暴くけどそもそも善悪の判断さえしないで行動を促す、アジテーターだったんじゃないでしょうか?もちろん、なる、話しなのは100%承知ですけど、このJOKERを最もJOKERたらしめる要素が見られない、萌芽も感じられないのは、個人的に飲み込めなかったです。

あと、3人を銃殺した後のトイレの踊りに、もう少し何か、マジック的な、何かがあったら…ここの斜め下からなめる画角は、ヒースのパトカーきら顏出した名シーンに繋がる何かがあったんじゃないか、と思わずにはいらない。

なんかウルトラマンの事を思い出すんですよね…

ウルトラマンは正義の味方です。ウルトラマンを見ている子供はウルトラマンになりたがります、そして真似しますよね。これは感情移入、主人公なり、正義の味方なり、心地よくなれる何かと自分を同化する、同一視する事に他ならない行為だと思います。

映画を観ている時は、特に作り手側は主人公に感情移入出来るように作る事でカタルシスを得ようとする方はかなり多いと思います。もちろん私もやりますし、子供の頃から今もやってます。

ただ、それだけで良いのか?と思うのが普通だと思うのです。

感情移入した私、を上から見るとどう見えるか、それはつまり、客観性を得る、そういう事だと思います。

アーサーの不幸は、感情移入した観客には大変心地よい陶酔感をもたらすと思います。

JOKERは今までの映画で観る限り、バットマンに理解不能な存在として現れます。よく考えるとバットマンがいるから存在出来るように見える、同じコインの裏表な関係に見えるのです、ウルトラマンの世界の怪獣のように。

そんなJOKERが人間の善なる部分に、もたれ掛かってくるような、そんな存在としては、私は受け入れ難い。

凄く底が浅い感じなんです。80年代なら良かったけど、現代はかなり複雑怪奇になってると思いますよ。

そういう意味で、古い映画に感じました。でも製作者側も十分理解していると思うのです。それが冒頭のワーナーのロゴなんですけれど、まさに古さを理解しているからこそのロゴなんです。

また、ホアキン・フェニックス、とても素晴らしい演技です、好きな俳優さんです。でも、あくまで、ホアキン・フェニックスが    演じてる     JOKERなんです。ヒース・レジャーのような、ヒース・レジャーに見えない、JOKERにしか見えない何かが乗り移った感覚にはならなかったですね。

あと、デニーロが、なんか、うん、年齢を感じたな、さらに。

私はそんなに響かなかったです、期待していただけに残念。

JOKERが、こんな 安い 生い立ちであって欲しくない感情も、もちろんあるけど。

あと、私はJAZZ好きだけれど、やはり古い音楽なんだと、強く感じる映画でした、テレビショーのハコバン、まず今は存在しないですよね?それもまた私には苦い事実として感じられました。

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