三浦 大輔監督 東宝
親しい友人と久しぶりに会う事が出来ました。知り合ったのは40代、しかも友人の友人という出会い方をしたのですが、かなりの部分をシンクロ出来る感性の持ち主であり、年下なのに、同級生に感じる何かがあります。こういう友人がもし、高校なり大学の時に居たら、さごかし楽しい学生生活だったことでしょう、と想像する事をどうしてもやめる事が出来ない人です。そんな友人と久しぶりに会って胸襟を開いた会話の中で出てきた、映画、辞書、音楽、兄弟、差別、公益性、残された時間、等々の間に挟まれてオススメされた1本だったので、早速Netflixで見ました。あ、マシュウの話しもしました、何の事だか分かりにくいですよね。
打ち込んでいた演劇を止めて就活する分析が得意なタクト(佐藤健)、そのルームメイトでバンドでボーカルをしてはいたがやはり終止符を打って就活に臨む天然肌のコータロー(菅田将暉)、留学から帰って来たタナベさん、タクトと偶然同じアパートに住む留学経験のあるコバヤカワさん、そのコバヤカワさんの彼で就活に否定的なタカヨシ、の5名の就職活動を描いた作品です。
私は就職活動をした事がありません。ですから、こんなにも大変な事なのだ、という事実に、非常に驚きがありました。職業を決める、とても大変な事ですし、しかも思っていた事が出来るわけでもなく、まさに『あなたは何が出来るの?なんの価値があるの?』と普通の会話では絶対に聞かない、かなり人格を否定されかねない試練になっています。もっと、大学で学んだ事をベースにして決まっていくのかと、勝手に思っていました。もちろんそういう部分もあるのでしょうけれど、就職活動をする人側から見た世界、常識、出来事が怒涛のように映像化されていて、画面からの圧を感じる事が出来ます。
途中まで、それでも企業側だって、多分明確にどういう事を行えば、欲っしている人材かどうか?を判断出来るのか分かっていないのではないか?という『客観性』を感じるヒマを与えてくれてるな、そういう配慮もしている映画だな、などと思っていました・・・
しかし、そんな風に余裕をもって、目の前の事をまずは集中して見ている私、客観的に見ていられる、などと思っている私を、鈍器で殴るかのような衝撃的なラストが待っていました。
就職活動の事だけでも十分圧力のある映画ですけれど、この映画のテーマは、私にとっては、客観性とは何か?という事に尽きると感じました。もちろん内定を獲得する群像劇の話しなんですけれど。
主観、大事な事だと思います。どう感じるのか?何を感じるのか?本人にしか持ちえない、誰とも共有出来ない、価値のあるものです。
しかし、当然、10人いれば10名の違った主観がある。あくまで他者の主観なのでコミュニケーションを取るのは、物凄く苦労しそうです。衝突も共感もあるでしょうけれど、必要だから、コミュニケーションを取るために、客観視する事の重要性はあると思います、この映画を観た後でも、そう言えます。
が、客観視出来ている私、を客観視出来ているつもりになっている人として、客観視されるのは、大変にキツイです。だって100%客観視できる人はいないからです。そして、心で思ってしまう事に、ふたをすることは出来ません。
佐藤健さん、なんとなく松坂桃李さんにも似ている感じでいいですね。初めて見たのに初めてじゃない感じがしました。
また、やはり菅田将暉さんが、とてもイイです。天然で、そういう人のリアルを感じさせてくれます。特に、タクシーの中の演技がリアル過ぎる。ああいう場面が私の未成熟期(ごめんなさい、もしかしたら、というか全然今も未熟です、なにもかも・・・)にあったら、もっと良い人間になれていたかもしれません。この人は物凄く役者として伸びしろのある、とてもイイ役者になりそうな存在感があります。かなり好きになってしまいました、この人が出てる映画は観たくなりますね。
タナベさん、とても可愛らしい。人気もあるんでしょう。でもあんまり印象残らないな、確かに整ってるんですけれど、インパクトに欠けるというか。そういう役柄だからそう見えたのだとしたら、凄い。
そしてコバヤカワさんの凄みというかイジワルな感じ、なかなか出せるもんじゃないのでそこもリアルですね。言葉は良くないのを承知で、胡散臭い感じが出ていて、そこが良かった。
また、全裸監督(の感想は こちら )の山田さんが出演していて、この方は毎回全然違う顔が出来て、凄いですね。
この原作を考えた人、凄いと思います。まだ未見の朝井リョウさんの本はいつか読んでみたい。
とても演劇的な演出が面白いと思いました。特に、タクトが演劇をやっていた、という事で、なんでしょうけれど、凄いです。
就職活動をしたことがある人、そして客観性が重要だと素直に思っている人に、オススメ致します。
アテンション・プリーズ
ココからはネタバレありの感想になります。
大変刺さる映画でしたので、文字にしにくいのですが、そして、そもそもこういう行為をしている自分を刺しにきている映画だったので、余計にキツイのですが、考えをまとめたいので・・・
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タクトのやっている事、決して褒められる行為ではありませんが、誰でも『思う』事はしていると思うのです。客観を客観しようとするループはどこまでも出来る気がしますし、そしてそれは平穏からはとても遠い場所に連れて行かれそうです。自分をさらけ出す事、私には全然出来そうにありません。
それでも、タクトがどうすべきだったか?に一定の答えを出しているとも、思います。結局タクトは明らかにタナベさんへの好意を抱えつつ、自分からの1歩を踏み出さない人間として、映画の中では扱われています。そんなタクトが最後に面接官の質問に答えようと、自分の中から湧きだした言葉を紡ぎだしはしましたが、途中で終わってしまいます。それでも、扉を開けてビルから出ていくタクトに、成長を感じられました。内定しかり、恋愛しかり、自分だけでは出来ない事です。タウトは自分の殻から出ない選択をしている、とも言えます、だってそんな事をしてもタナベさんが好きなのはコータローであって自分ではない事を、企業側が求めているのは分析が得意な人間ではない事を、知っているから。そしてその事を客観視しているから。タナベさんと話し出せば変わるかも、という短絡的な、楽観視が出来ない。でもそれもタクトの選んだ選択の結果なので仕方ない。
私はタクトがすべき事は、この映画の中で言えば、『何者』が自分だとバレないようにする事だと思います。悦に入る行為だとしても、誰にも見られなければ、きっと大きな問題にはならなかったと思います。しかし、いつか(既に)気付かされるとは思います、大変生産性の無い、自己愛を愛でるだけの好意であるという事を。
特に、コバヤカワとタカヨシが部屋から出かけ、その2人のツイッターを、コータローとタナベさんに見せるシーンで、既に、崩壊の萌芽があったと思います。コータローも、タナベさんも、タクトの携帯画面を覗いてから、その内容に対してのリアクションが無かった。そして、それは、そこまで調べた事を、わざわざ仲間にまで伝えるか?という事だと思います。タクトは伝わると思っていても、伝わらなかった、ある種のエチケット的なズレ、を感じました。
だからこそ、タカヨシが就活について否定的な、辛辣な意見の後に、自分の感情を吐露するシーンは重要だと思います。タナベさんは本音を面と向かって言える人間である事を証明するシーンとして。大変血が通った行為ですけれど、おそらく現代からすると古い、と捉えられかねない行いとも思える。その点コータローは天然を装い続ける事が出来る、強い。
とてもプライドの高い人に見えたタカヨシが、タクトに頼ってくる最後の出演シーンの重みも、脚本上凄いと思いました。これでは成長していないのはコバヤカワとタクトの2人だけになってしまう。しかもここで観客である受け手に、タクトが就職活動が2年目である事が告げられるの、凄く刺さりますね。
私は目に見えないところでは、脳内では、人が何をどう思おうと、自由だと思います(でも、多分、後ろ暗い事ばかりを考えている人って言葉にしなくとも伝わりそうです)。その身勝手な、醜悪かもしれない欲望も、思うだけなら自由。でも、そんな醜悪な欲望を抱く自分を嫌いになっていく事になると思うのです、客観視する自分がいれば。自らの中に直すべき、変えるべき、改めるべき、何かを気付かせてくれるのは、客観性だと思うので。
それでも、客観視出来てる私は大丈夫、と思ってる私を客観視しされるのは、大変居心地が悪いです。客観視出来ていないかも知れないから、客観視し続けよう、必ず自分の思考の死角はあるのだ、と認めつつも、と思うしかないのだと思います。
[…] それと、就活映画として名作過ぎる三浦大輔監督作品「何者」(の感想は こちら )の登場人物と同じ人が演じているので、その点もよりごっちゃになりやすいと感じました。 […]