岡本喜八監督 東宝
1942年(昭和17年)8月7日、その当時はガダルカナル諸島への米軍上陸から米軍の反攻が始まっています。そして1944年7月7日サイパン玉砕・・・沖縄には当時第32軍が配備され司令官は渡辺中将。航空基地を確保し、洋上で敵を迎え撃つ戦略です。沖縄の離島に3つの滑走路、そして沖縄にも3つの滑走路を建設するべく、軍・官・民が最大限の努力を払いますが未だ完成していない、その時にサイパン玉砕の報が入ります。渡辺中将以下、軍とは名ばかりの勢力で、しかし、その中でも中将は沖縄県民に、軍と共に玉砕を覚悟して欲しい、と講演をする毎日です・・・というのが冒頭です。
この映画はナレーションがありまして、ルパンⅢ世の次元大介役で有名な小林清志さんがされています。凄く淡々としたナレーションです。
この後、沖縄への兵力増強として、牛島中将(小林桂樹)を32軍司令官に任命、長参謀長(丹波哲郎)、八原高級参謀(仲代達也)が配属され兵数は約10万にものぼる軍人が沖縄に駐留するわけですが、皆様ご存知の通り、敗戦するわけです。その敗戦に至るまでの沖縄の様子が克明に再現されています。もちろんどこまで史実なのか?私には分かりませんが、相当にヒドイ闘いであったことは、無条件降伏して敗戦している事からも良く分かります。
また中学生も通信兵として、志願者を配備しています、本当に志願者ならいいんですけれど・・・今の自粛警察なんて言葉が存在する日本ですし、江戸時代から隣組制度を敷いている国家ですから、同調圧力の強さから言っても、絶対に志願兵だけだった、とは言いにくいですよね・・・
中学3年生は鉄血勤皇隊として1700名、女学生は陸軍病院で看護教育を受けています、その数約500名との事。そういう描写もかなり多いです。
また、約2万人の沖縄民間人を陸軍として徴用しています、19歳から45歳の男性がこれにあたります。
慶良間では非戦闘員への自決を強要したりもしています。
と、非常に重い話しを、ずっとナレーション付きで見せられます、大変にヘヴィです。
米軍の沖縄上陸の際ですが、1500隻から4個師団が上陸、この日、32軍は反撃をしていないので、易々と上陸できた、とアメリカ軍付きの記者が書いている、と映画では伝えています。八原はいまこそ航空機で叩くべきなのに、と大本営に対して報告していますが、その航空機が無い上、とにかく陸軍と海軍の仲たがいが大変に問題ありますし、すごく日本的だと思います、勝てるわけがないと思いますし、その戦闘行為で亡くなられた多数の方の無念を思うと、悲しくなります。
夜襲をかけようとする長参謀と、無理なのでやめようという八原高級参謀のやりとりが、大変考えさせられます。凄く精神論の長と、合理的判断の八原、対照的です。ですが、八原高級参謀も、もちろん軍人なので、ラストのラスト、なかなかな言葉をかけられていますし、その前に上官のある場面を守るために、階級の低い兵士(といえども普通の人)を盾にする行為には、結構な残忍さも感じました。
総攻撃2日目米軍死者1000名に対して、日本軍側の被害は5000名・・・いくらなんでも、ですよね。
義烈空挺隊 最後の沖縄への兵力投入、というか、見切りをつけた、という事実も、相当に重いです・・・
南風原陸軍野戦病院では2000名が自決・・・摩文仁に軍司令部が置かれてからの惨状・・・どこまでも続く陸軍と海軍の軋轢・・・そんな中の民間人からの志願兵・・・
あ、途中の海軍上官に、池部良が出てきて、良かったです、この人はかなり好きですね。昭和残侠伝、カッコ良かったですし!
悠久の対義に行くべし まだ真意は分かりかねますが、これまた重い言葉・・・
牛島中将は最後に兵士を逃がすんですけれど、もう少し何とか出来なかったのか?考えてしまいますね。
この映画のラストの方に、老母が出てくるんですけれど、物凄くシュールな展開なんですが、そのシュールな展開を見ていても、大変重苦しい気持ちにさせます。
多分これは見た事を忘れさせてくれないヤツです・・・
沖縄に興味のある方に、オススメ致します。
[…] 岡本喜八監督 東宝 「激動の昭和史 沖縄決戦」(の感想は こちら )も本当に凄い映画体験になりましたが、今作も凄く考えさせられます。流石岡本喜八監督、と思ったの […]