スパイク・リー監督 ユニバーサル映画
Netflixに上がっていたので、多分30年ぶりくらいに見返しました。
とんでもなく、忘れて、都合の良い感じで、頭で話しを組み替えていた事に気付かされる、驚愕です。
ブルックリンのピザ屋。そこでデリバリーとして働くネイティブ・アフリカンであるムーキー(スパイク・リー)はピザ屋一家の経営者イタリア系のサルに使われる立場。向かいにはコリアン系が経営するストアがあるが、まごう事無き黒人街で・・・というのが冒頭です。
凄く哀しいです。なんか、もっと明るくある種のハッピー感があると思ってました、というかそういう風に記憶が改ざんされてました・・・もっとムーキーってある種のright thingを行う人物だったんじゃなかったっけ?とか都合よく思い込んでいたわけです。
全然今のアメリカでも怒っている話しです、そういう意味で人類の進歩には、とても時間がかかる、という事だと思います。テクノロジーの進化の早さと比べると、人間の意識の変革の遅さ、というか刷り込みの強さ、そして都合の良い解釈や、都合の良くルール道徳倫理モラルを凌駕してしまう感情のコントロールの難しさ、という事だと思います。
この時点で、昨年見たブラッククランズマンの、というかスパイク・リーの映画のスタイルは出来上がっていて、そして、ずっと画面越しに、私に訴えかけています、
「これでいいのか?」
「いい事ってなんだと思う?」
そう訴えかけられ続けていたし、その後もずっと続いていると思うのです。
でも、ここ日本はある意味平和で、パトレイバー2映画版の荒川のセリフでもありましたが、『偽りの平和を生きているとついつい忘れてしまう』という事だと思います、それにここ日本でも差別やレイシズムはおこってます。私だって何かのレイシストにならないように注意をしなければ、と思っていても、気づかないところで何かを誰かを差別しているのかも、と思うと怖くなります、差別は無意識にも行われているからです。
時々スパイク・リーの映画で頭を殴って貰わないといけないと思いました。
あ、そう言えば、サミュエル・ジャクソンも、ずっとおんなじ事言ってんですね・・・
差別という事を、差別されている側だとどう感じるのか?に興味がある人にオススメ致します。
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