映画好きの友人たちと、ちょっと前に無声映画鑑賞会に行きました。私は無声映画はチャップリンの初期、バスター・キートンの作品を少ししか観てないですし、生の活弁士は初めてです。
1本目は「地獄の蟲」です。
ニュー・サイレント映画でリメイク版の「地獄の蟲」です。
弁士は坂本頼光さん、大変若い!そしてアクシデントにも対応してくれました。
まず、ニュー・サイレントっていうか、この映画はトーキーの時代にわざわざ無声映画として作り直されている作品で、なので、作詞なかにし礼、作曲すぎやまこういち で主題歌まであります。製作は1979年、かなり新しいです、そして効果音は鳴るので、その辺を含めてニュー・サイレントと呼んでいるんだと思います。
江戸時代末期、暴利な金貸し一家を殺害して、千両箱を6つも奪った盗賊たち、黒雲団十郎(田村高廣)一味8名は、重い千両箱を抱えて国境を超えようと、山道を歩いていますが・・・と言うのが冒頭です。
この一味の一人一人に、停め絵で通り名と解説がつく、非常に丁寧な紹介をしてくれて、気分が上がります。ま、あくまで気分です、何故なら、この後、この8名の行く末が非常に厳しいくも、割合ぞんざいだからです・・・
黒雲団十郎、冷酷な頭で、自ら掟を厳しく守らせています。ニヒル。でも意外と抜けてる・・・
鉈の東兵衛 №2の実力者。その見せ場は、梅干しと、地面に落ちたゴハンの食べ方・・・
りゃんこの七 多分二刀流の使い手。と思われるが、見せ場は黒雲の情婦に手を出す事。その後の退場の素早さ・・・
山猫の三次 心優しい、と思われる。終始鳥の入った鳥かごを持ち歩いていて、この鳥をどうにかする事で山猫の本領発揮と思いきや・・・
獄門権九郎 この山を持ってきた腹黒い、見るからにあくどい感じの男。うん、この人はそのままで頑張る。
おさらば伝次 うん、この人のおさらばする場面のカットの早さは尋常じゃない。
おすもうの政 おすもうさん体形の、可愛そうな人。最初の犠牲者・・・その扱いの軽さは必見・・・
お登代 黒雲の情婦。憂いている、いろいろ・・・
みんなキャラが立ちそうなんですけれど、上手く行きません・・・やはり8人は多いですし、この後驚愕の展開もあって、1人に時間かけられなくなります。
サイレント映画はやはり難しいストーリィ展開には無理がありますし、登場人物も出来る限り少なくすべきだと思います、演じ分ける弁士さんは能力高いにしても、いくらなんでも主要キャラが10名を超えるのは無理がある。
また、映画の中で挟まれるセリフのシーンの字体、フォントはかなり気になりました。普段見かける字幕の、あの穴あきのフォントも結構好きなんですけれど、この映画のフォントも味があって良かったですし、この後に観る作品のフォントは更に独特で凄くイイです。
まぁ、タイトルが地獄の蟲ですから、皆さまの思った通りの展開にはなりますけれど、ラストの大乱闘シーンは、音楽のかかり方もあって、大変カタストロフィありました。
で、みんな、すっごくまばたきしないんです、これも凄い。
そして、人生で2回目の、フィルムが切れる、というアクシデントがありました。弁士さん大変そうでした・・・1回目はテアトル新宿で観たバートン・フィンクの時。あれは感慨深かった。
2本目は「番場の忠太郎 瞼の母」です。
製作は1931年!昭和6年!
弁士は沢登 翠さんです。好みで言うと、私は沢登さんの弁舌が気に入りました。多分、新型コロナウィルスのせいで、席の間隔を開け、ビニールで遮蔽された上でマイクの音で拾う作業があると、どうしても声がこもります。しかし、それを差し引いて、こういうモノが無かったら、そしてもっと狭い小屋でかかっていた場合の弁士の迫力を想像するに、沢登さんの演じ分けにはかなり迫るものがあると思います。もっと端的に言えば、想像する弁士の話し方に近かった、という事ですね。
江戸時代、年老いた母と娘の住むある農家の前に腕を痛めた兄が倒れついていた。兄は堅気になる事を承知してくれているのだが・・・と言うのが冒頭です。
多分、私がハリウッドやヨーロッパの映画を観ているせいだと思いますけれど、すごくいびつなプロローグに見えました。尺で言うと半分くらいが序章と呼ばれる人物紹介だと思います。まるで序章で一件落着に見えるくらい丁寧な扱いなんです。
またこの主人公番場の忠太郎の、凄くまっとうな、あまりにまっとう過ぎて、ちょっと変に見えるくらいのまっすぐさが、とても眩しいです。流石に古さを感じるのはこういうキャラクターの立て方ですね。
しかし、それ以外はかなり秀逸にまとめられた作品です。何しろ瞼の母ってかなり上手いタイトルだと思いますね。とてもヒロガリのある文章だと思うので。
ストーリィも、序章の割合は変だと思いますけれど、それは私が無声映画を初めて観ているからで、これが普通なんだと思います、昔の場合。今がテンポ良過ぎる為に、感情的に浸る、という時間を無くしてしまっているんだと思います。今とは時間の体感の流れ方が違うと思うのです。そこに良い悪いは無いと思うのです。
まず、主役の片岡千恵蔵の、すごくはっきりした顔立ち、ここが素晴らしいですし、絵になります。そして基本的には、母を求めつつもいろいろと騒動に巻き込まれるタイプなので、腕っぷしは良く、そのため、眉毛は上がり勝ちなんですけれど、この定型になる顔が映えるんです。
その上カメラワークは大変気を遣っていて、正直片岡さんの顔は定型なんですけれど、ライティング、そして上から、下から、ズームのかけ方等で、それぞれとても表情を感じさせるように仕上がっていて、ここが本当に驚嘆しました。分かり易く言うなら、クレイアニメや止め絵のアニメーションで、ライティングやカメラワークで、同じ顔なのに、表情を感じさせる、あのやり方と同じだと思います。多分技術で言えば今はもっと工夫出来ると思います。
そしてヒロインの山田五十鈴が!あんまり可愛くない笑!これなら、最初の農家妹の方がカワイイ!とか思うのも、多分美意識の変化だと思います。美人という概念も変化していく、という事ですね。
片岡千恵蔵の殺陣がめちゃくちゃカッコイイ。そして、このころの人の、着物の着かた崩れ方着こなし方が、現代の着物の着かたと、ココが違うと指摘出来ないのに、明らかに何かが違うんです。生活感としか言えないかんじですけれど、堂に入ってる、と思います。この表現も古いか・・・つまり、使い慣れた感覚があるように見える、という事です。
また、時々差し込まれるセリフの文字のフォントがたまらなくイイです。盾に長い文字は縦長に、平たい文字はさらに平たく、と言った感じで、デフォルメされている感じなんですけれど、今まで見た事が無いフォント!凄く個性的で素晴らしかった!
ラストの、片岡千恵蔵の、これまでほぼ同じ顔が、突然弛緩しまくるところは必見です。
セリフも素晴らしかったなぁ。
というわけで、これからは無声映画の世界にも時々は足を踏み入れる所存です。
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