川口 潤監督 アイランドフィルムズ
信頼できる友人からオススメされ、DVDも貸してもらったのと、それにも増して、やはりフランク・ロッダム監督「さらば青春の光」を見た事がある人間としてTHE CORRECTORSというバンドはどういう事なのか?を理解したくて、見ました。ある程度は、把握出来たと思います。
そもそも、モッズとは何か?という事になっちゃうと思いますが、知識の無い私からすると、まぁ映画「さらば青春の光」に出てくるタイトなスーツ(スーツの上着のボタンを上まで閉じても見えるネクタイの部分が非常に狭いのが特徴だと思います)を着て、ベスパに乗ってて、ミリタリーパーカー(モッズパーカとかモッズコートと呼ばれてる)を着ている人、という事になります。音楽はTHE WHO とかのイングランドのモノだと思ってます。日本公開は1979年、私はまだ9歳だったことになりますので、公開年に見ている訳では無いのですが、高校生の時に見た記憶があります。好きな人には大変刺さる映画ですし、私も高校生の頃には大変カッコよく見えました。もちろん今でも好きな映画ではありますし、ファッションには疎い人間ですが、今でもモッズスーツを作りたいという欲望もあります。ただ、モッズだけに行かなかったのは、同時期(1988年日本公開)に見たレオン・カラックス監督作品「汚れた血」を見たためだと思います。多分こういうカルチャーに対して無防備であったら完全にヤラれていたと思いますが、イギリス文化に≪触れると同時にフランス文化にも触れられたのが大きかったんだ、と今となっては分かります。
しかし、恐らく、モッズというスタイルは流行からは外れてしまったのだと思います。まぁ私が流行しているモノが嫌い、という傾向がありあすので逆に親和性が高いとも言えますけれど。ファッションとしてのモッズは好きです。流行って流行が好きな人のモノなので、結局のところ、流行しているモノが好きな人は、なにも好きなものが無い、ともいえると思います。tbsラジオ番組「東京ポッド許可局」でも話されていましたが「人気」が好きな人は結局のところ「人気」が好きなのであって、「人気」という気分や雰囲気が過ぎ去れば、かつて「人気」のあったもの、には興味が湧かないし好きじゃなくなるわけで、波打ち際でパシャパシャするのも気分は良いとは思いますが、私は海に潜りたいし、海に潜っている人と話がしたいし、意見の交換や多面的解釈をしたい。まぁメンドクサイ人間な訳です。
子供の頃、新宿に住んでいた事があり、しかもこのライブハウス新宿JAMからも近いので、前を通った事はあると思いますが、ライブハウスとして認識していたか?と言われると、全然です。そして、そのライブハウスの最後の出演バンドでもあり、今作の主役THE COLLECTORSについては、数曲知っている曲がある、というだけの人の感想です。
コレクターズの曲、特に歌詞には、かなり好きな部分が多かったです。僕はコレクターとか、扉をたたいて(?)、というバラードは良かったです。そして歌唱力もあると思いますし、ギターもベースもドラムも悪くないと感じました、もっと若かったら、存分にやられていたと思います。かなり昔の映像も出てきますが、当時からして、上手い、と感じられたと思います。そして、日本語で歌う、という事にこだわりを感じました。そもそもモッズがイングランドの文化の1つである事は動かしがたい事実で、モッズとして拘るのであれば英語なのかな?とも思いましたが、しかし、日本語の歌詞で歌う事に意義があるのだと思います。それは影響を受けた上での吸収と同化に繋がると思うからです。頭の中でも英語で考える事が出来るのであれば、英語でも良かったのでしょうけれど、日本人であるわけで、日本語を使う事で、モッズと日本語が混じって新たなモッズが出来上がると思うのです。それこそまさにTHE COLLECTORSなるモノだと思うのです。
本筋として、現在のコレクターズのライブ当日までの流れと、付随する関係者へのインタビューで形成されている映画なのですが、関係者の中で真城めぐみさんが居て、びっくりしました。そうか、この方はそう言う所にも出入りしていたんですね。真城さんのヴォーカルは凄く心地よいので、好きなんですけれど、そうか、ロッテンハッツってそういうバンドだったのかも知れません。リリー・フランキーさんもインタビューに応じてられており、なるほど、とも思いました。尖った人たちを惹きつける魅力があったんだ、と理解出来ます。
バンドリーダーの加藤ひさしさんの魅力と、ギター古市コータローさんのバンドである事は理解出来たと思います。動と静みたいな補完関係で、なかなか良いコンビに見えました。ほぼほぼすべての曲は加藤ひさしさんの楽曲であり、歌詞なのだ、という事も理解出来ました。なかなかなセンスだと思います。特に歌詞には親和性を感じます。
とは言え、モッズ、というかなり局地的な、当時の流行の中でも、廃れていく中でも強固にモッズに拘る部分と、メジャーバンドとして成功(とは言いつつ、コレが何を指しているのか?が凄く微妙)したい、という相反する感情が澱固まっていて、少し哀しい気持ちになる瞬間はありました。つまり、昔のヤンキー漫画や矢沢永吉さんの言うビッグになる、と言う奴です。ココが1番乗れなかった部分とも言えると思います。つまり、結局、成功する、認知される、人気が欲しい、というのは時世の流れのようなコントロールが効かないモノであり、ビッグになると言っても、何を持ってビッグになった、とするのか?という事なんだと思うのです。それは金持ちなのか、知名度なのか、分からない部分でした。もしかするとご本人も幻の成功を求めているのかな?ビッグになる、という雰囲気なのかな?とも思いました。
多分、最初の「さらば青春の光」という映画のインパクトにヤラれてしまい、現在もヤラれ続けている人、加藤ひさし、という人物の、なんとなく執着を感じる部分なんだと思います。それでも、35年続いているバンドって、それだけで十分凄いと思います。そのエンジンとして、メジャーになりたい、という事であるのなら、その捕まえられない幻としてのメジャーでの成功を、夢見続けて居られるからこそ、35年続いているのだと思います。
コレクターってもしかすると、あのジョン・ファウルズの「コレクター」、非常に社交性の低い孤独に蝶の収集している男が、ひょんなことで宝くじを当てて大金を手に入れ、蝶ではなく若い女を拉致して監禁する、という方から来ているのかな?とも思いました。
ただ、キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』っぽさは私はほぼゼロだと思います。ファッションとしてはあるかも、ですけれど。それと、何となく、年齢を重ねた加藤さんの姿を見て、カッコイイと思うと同時に、どかで観た事がある、と思っていたのですが、それがアントン・シガーだった事は白状しておきます。
モッズの東京における余波、影響について興味のある方にオススメ致します。
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