長谷川英祐著 青志社
進化生物学の長谷川先生の著作で最も興味を惹かれたタイトルでしたが、名著でした。
ここ数年ではそんなに書籍を読めて無いのですが、高橋昌一郎先生(哲学・倫理論理学)、辻田真佐憲先生(軍歌・近現代史研究家)の著作は読んできましたが、この長谷川先生も追いかけなくてはならない先生になりました。
東日本大震災、それに伴う福島第一原発事故を契機に書かれた書籍です。いわゆる科学哲学、科学は何をどう扱っているのか?そしてその為に必要な、扱っている範囲の問題の事です。ひいては、長谷川先生の考えが示されていますけれど、どれも深く納得する話しばかりでした。
一応、私も科学を学んだ(医学の中の歯学も、当然科学の範疇に入ると思います)末端の末端にいますけれど、確かに、科学に対する考え方って人によって違う気がします。それをもう少し厳密に考えてみよう、というお話しです。
文章は大変読みやすいですし、長谷川先生の科学エッセイとも言えると思います。しかもトリビアルな知識を知る楽しみもあり、どんな人にもオススメで出来る書籍だと思いました。
信頼出来る、というか個人的に好きなのが、理系に所属する人で、小説や文学という文系の趣味がある人に惹かれる傾向がありますけれど、長谷川先生も、ジョージ・オーウェルの「1984」やスタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」などの例を挙げてくるのが、心地よく感じます。
科学が問える範囲について、凄く分かりやすく、How と Why との2つについて答えられる、しかし What については答えられない、としているのが、大変分かりやすく面白かったです。Howは『それはどのようになっているのか?』を問いていますし、Whyは『それはどんな理由により存在するのか?』を聞いているわけです。しかし、Whatについては答えられないのが科学だ、と言っています。Whatは『それは何なのか?』という問いに他ならないですし、それを科学では取り扱っていない、と断言しているのは、大変に納得、膝を打つ話しでした。
生物が物質を分解してエネルギーを取り出す、という中学生くらいの理科で習うアデノシン三リン酸を例えて話をしていますけれど、How『それはどのようになっているのか?』に答えるとすれば『生物が物質を分解してエネルギーを取り出す(=内呼吸)というのは、ブドウ糖を酵素を使わずに分解し、その過程でエネルギーを取り出す解糖系、そして酵素を使いながら物質を循環させて解糖系に比べて多くのエネルギーを取り出すTCA回路がある。そのどちらも物質が別の物質に変化する過程でエネルギーを含んだ水素が取り出され、そのエネルギーを電子伝達と呼ばれるプロセスを用いて取り出す』という事になります。Why『それはどんな理由により存在するのか?』について答えるのであれば『生物が生命活動のエネルギーを得る必要があり、解糖系はそれを解決するためのメカニズムとして存在する。恐らくこれが最も効率よくエネルギーを得られるシステムであったから』という事になります。
しかし、What『それはなんなのか?』について、上手く答える事が出来ません。客観的に、誰もが、同じように再現出来る、という答えにならないからです。この説明は大変納得してしまいました。科学とは何が出来るのか?という長谷川先生の答えである『現実を操作する事が出来るツール』というのも秀逸な理解だと思います。凄く生活やテクノロジーに密着してる。なので現実を変える事の出来るツールになり得ますよね。
そして、悪魔の証明は出来ない、というのも深く納得。科学によっては、無い事を証明出来ません。当たり前ですけれど、これも新鮮な驚きがあります。例えば、ネッシーというイングランドのネス湖に住んでいるとうわさが絶えなかった(のは私の子供の頃にドラえもんで知った知識・・・何年くらい前の事でしょうか・・・)ネッシーが不在である、という証明は出来ない、という事なんです。ネッシーのある事例について、これは捏造だとか科学的な知識で判別する事は出来ますが、実際に絶対いない、と断言する事が出来ません。
そして分類、という事についての指摘は本当に鋭く、これまであまり考えた事が無かった世界です。個人的に思い当たる経験としては、定規の長さの中にも無限があるのでは?と子供の頃に思った事がありましたけれど、それが故人的には一番近い感覚です。定規の長さが1mでも30cmでも構わないのですが、有限に見えて、何処までも少なく小数点以下凄く細かく概念で考えると、無限に小さく考える事が出来るし、それって無限が潜んでいるんじゃないか?と考えた事に似ています。その後プラトンの考えたイデアでも同じ様な話しが出てきたと記憶しています。実際の点、を人間が描いても、必ず、点に幅が存在する。幅のない点は概念でしか存在しないし、そういう事含めてイデアでないと存在できない、というアレです。これにも近い考えだと思います。
複雑性を便宜的に、整理する機能が分類の役目であって、科学的に、分類する事が出来ない、という事です。遺伝子的にだって、系統であっても、何処かで恣意的な判断で線を引く事になってしまう、という説明は本当にその通りなんですけれど、全然気づけていなかった事実です。
客観性と再現性のないモノは科学ではない、測定は誤差から逃れられない、有意差を用いる事しか出来ない、等本当に、確かに!という話しばかりで凄く納得しましたし、考え方がとても理路整然としていて分かりやすいです。
長谷川先生のような方と話が出来たら、凄く面白いと思いますし今後も著作は追いかけていきたいです。
科学やテクノロジーの恩恵に預かっている人に、オススメ致します。
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