井の頭歯科

「ゴジラー1.0」を観ました

2023年11月21日 (火) 09:42

山崎貴監督     東宝     吉祥寺オデヲン
2023年公開映画の35本目/今年84本目  36/100 を目指しています。
2023年公開映画を少しでも消化して置こうと思い、足を運びましたが、客層からして個人的には合わないのであろうな、というのが分かります。
基本的にヒットしている作品だから評価が高い、という事にはならないと思いますし、好みの問題もあると思います。
それにゴジラ映画作品で、正直に言えば、初代のゴジラ、シン・ゴジラ以外はまぁお子様向けコンテンツとなっていたと思います、観てない作品もたくさんありますけれど。
今回初代ゴジラよりも前にゴジラが現れる、という点が、新しいわけです。
山崎監督作品、私は観た事が無いです。と思ったら、スタンドバイミードラえもんは観てました・・・この作品からすると、お涙頂戴なウェットな作品なのかな?という印象です。
先の大戦末期、特攻の一員である敷島(神木隆之介)が大戸島に飛行機の故障を理由に着陸して・・・というのが冒頭です。
結論からすると、全然肌に合わなかったです・・・
この作品は、強いてあげれば、シン・ゴジラと対をなすように、意識して作られているようにも感じます。けれど、あまりに主人公敷島にすべてが収斂している、敷島にとって、都合が良い展開しか起こらない、というのが個人的に肌に合わないんだと思います。
物凄く強引にまとめると、シン・ゴジラは虚構対現実を描いた作品であるのに対して、1個人にすべてを集約させる為の飛躍、ご都合、お涙頂戴、が多すぎて、引きました・・・
それと、ノスタルジー、昭和の初期にノスタルジーを感じられるのって、今の世代で言うとかなりの高齢者(ちなみに、2023年に80歳の人でも先の大戦末期は2歳・・・)でないと難しいと思うのですが、でも、まぁ、浸れる人には心地よい、というか敷島に自分を重ねられる人は、心地よい作りになっていると思います。そう言う意味で古い作りの作品とも言える。主人公に感情移入出来る人には大変心地よく、そうでない場合は、非常に飲み込みにくい作品、というのは基本的に成熟した作品とは言えないのではないか?と思うのです。
出来れば個人的には、作品を観る前には戻れないくらいの衝撃があって欲しい。それはアートな作品、という事になるのかも知れませんけれど・・・
CGは綺麗ですし、ゴジラのギミックは面白かったです。それと異常にゴジラに近づけるのも、特徴です。
終戦じゃなく敗戦だと思うのですが、それを置いても、サンフランシスコ講和条約に署名している事を認識したくない人に、心地よいんだと思います。
敷島を演じた神木隆之介さんの演技は、大変頑張っているし、この方の年齢(現在30歳)であればオカシクナイ配役なんですけれど、凄く幼くも、見えます。でも、頑張ってる。
その敷島を立てる役(というか敷島以外は全員敷島を立てる役・・・ゴジラでさえ・・・)の佐々木龍之介さんや吉岡秀隆さんの演技が、敷島を立てる為だけに調整されているので、結構コミカルというか現実離れしているのですが、これも敷島を立てる為なので、監督の意向だと思いますし、この演技をOKしているのは監督なので、ヒロイックに敷島を見せる為、だけの映画になっているわけです。脇のキャラクターの存在感が薄いんです・・・
あ、それと、SW episodeⅨ を彷彿とするとあるシーンがあるのですが、現実にあんなことしたら大変だと思います・・・
そう言う意味で言うと、女子にハーレクインロマンスが必要なように、男子にハードボイルドが必要、というロジックで作り上げられているので、そういうのが心地よい人にはヒットすると思います。
個人的にはシン・ゴジラの方が面白いのは間違いない。特に人間パート。今作はとにかく言葉で全部説明してくれます、所謂橋田寿賀子メソッドです、そう朝ドラです。
ゴジラの造形ですが、凄く、キングコングみたい・・・筋肉質でなんかもりもりです。それに、ゴジラザウルスって呼びたくなる、ある種のオマージュって言うかパクリっていうか・・・
で、伊福部さんの音楽の強さと言いますか、いい所は伊福部さんが全部持ってった感じです。
ヒロイックな映画が好みの方で、お涙頂戴に違和感のない人に、オススメ致します。
あ、あと、ー1.0って事は、多分、ー100とかやろうと思えばやれるんでしょうね。
アテンション・プリーズ!
ネタバレありの感想です、未見の方はご注意下さい、本作が好きな方には、ただの難癖の可能性が高いです、そういう方もご遠慮くださいませ。
ネタバレありとして、まぁ仕方ない現実なんですけれど、敗戦国である、という事実と向き合いたくない、受け入れがたい、出来れば愛する祖国が立派であって欲しい、とする人に向けて作られている作品である、と言えると思います。
先の大戦に負けた、それもかなりコテンパンに負けた、自国兵に特攻という命を犠牲にした上に負けた、というトラウマに対して、自国民が自らどういう事だったのか?というコンセンサスが無いからなのかも知れません。その上に、原子爆弾や一般市民を巻き込んだ空爆を受けた事で、自国民を戦争の被害者、というこれまた責任逃れの言い訳で納得してきたからかも知れません。
または、自国をあまりに尊重する為に、他国というか比較対象を貶める事でしか、心の安定を保てなくなったのかも知れません。
いい部分ももちろんあるけれど、戦争には負けているし、ダメな部分もたくさんあるけれど、それでもその責任の一端は自国民にあるし、その上でより良い社会や国家を運営していく、という考えが無いのだとすれば、難しいかも知れないです。
で、敷島が置かれた状況がちょうど、そんな感じで、非常に重いわけです。
特攻から逃げた→逃げた大戸島でゴジラに遭遇するも戦闘から逃げた→という心にトラウマを抱えている訳ですが、いくら何でも作為的過ぎる気がします、終わりを知っていると。
この後
機雷除去作業の仕事に就く→ゴジラと再遭遇→危機一髪で(いやちょっと凄いタイミング)大型船の砲撃に助けられる→自分は助かるが大型船は大破→ゴジラ東京上陸→銀座破壊→奥さんを救いに行くも自分だけ助かる→機雷除去作業の仲間が対ゴジラ対策の作戦立案者→自分も作戦に加入→大戸島の整備兵の人に許されパラシュート装備→敷島がゴジラを倒す→奥さん生きてる→エンド
ええっと、いくら何でも敷島に収斂し過ぎ。都合良過ぎ。伏線回収も、凄く下手・・・というか、あまり気にしていないんだと思います。それくらい、主人公に同調させようとしている。んだけれど、同調させるのも、あまり上手くないんです・・・
それと、多分今の流行りなんで、疑似家族の話しを入れた、と思われます。だって、じゃなんでこの人たちが疑似家族になったのか?の説明が弱い上に、別に伏線があるわけでもないんです・・・なので、個人的には多分流行りで入れたんだと思います・・・
・アメリカ軍が何もしてくれない理由は?
いくら何でもロシアを刺激するかも知れませんけれど、そのロシアにゴジラが向かわない保証もないし、なんならアメリカ本土やハワイの危険性を考慮しないのでしょうか・・・
・民間主体って・・・
GHQが統治しているんじゃなかったでしたっけ?(GHQの統治機関にはいろいろ考え方はあると思いますけれど一応昭和27年までは統治。映画内のゴジラ東京進出時は昭和22年・・・)進駐軍、じゃなく普通に占領軍ですよね?その占領された土地の被害を完全に民間に降ろすのは、ちょっとやり過ぎなんじゃ・・・とは思うのですが、これも民間じゃないと敷島が参加出来ないからなんですよね・・・
・なんでゴジラは東京を目指すのか?
少なくともシン・ゴジラにはそれなりの理由を感じさせる部分があった・・・ゴジラが何の象徴なのか?も分からなかったですね。
・大戸島の整備兵が敷島を許す理由は?
ココは非常に重要な部分なんですけれど、ハッキリした理由がないと思います・・・
・いくら船を引っ張る事があるにしても、その方法じゃ危険すぎないか?
船のへさきにそんなにたくさんのロープで引っ張る事ってありますかね?なんか私も協力した、みんなの努力の結晶、にしようとし過ぎ・・・ロープで固定するにしても、いくらなんでもやり過ぎでしょう?わだつみ作戦というネーミングセンスも、ちょっとどうかと思う・・・
・ゴジラが秘匿されている事に怒って、東京から逃がそうという話しがまるっとなくなるのはなんで?
敷島は、ゴジラが来る事を秘匿している事に、これだけ怒ってたのに、なんで何もしない上に、奥さん(じゃないんだけれど、もう奥さんでいいじゃん)銀座に行くの止めないんでしょうね・・・マジで、ゴジラの前で座りつくすちょうど良いタイミングで出てくるのも、なんだかなぁ・・・
それと、わざわざ銀座を壊してくれるんですけれど、なんか、もっといろいろ壊してもらいたいですよね、なんかたいした事ない感じなんですよ。もっといろいろ壊せるんじゃないか、と・・・少なくともシン・ゴジラの東京破壊は、それこそ、完膚なきまでに、完全に破壊される描写があって、被害甚大なんですけれど、本作は爆風で表現は原子爆弾の比喩ナノは理解するけれど、ちょっともう少し壊して欲しいですよね、GHQもかなりの被害あっただろうに・・・
基本女の人は昭和の理想でしかないので、かなり平面的なキャラクター造形になってます、けど、安藤サクラさんは傷跡残してる、流石。
つまり全体的に、酔える人にとっては、しか考えてなくて、その為に最終場面からご都合よく作り上げた、という雑さを感じるんですよね・・・志の低さ、と言ってもいいと思います。
確かにシン・ゴジラのカウンターで、庶民の話しにしたいんだろうと思うんだけれど、それにしちゃ、所謂政治的決定を下す人が、誰も出てこない、のに、国とか民の責任を負う、というのは法治国家で許されるのか?しかも破壊兵器を民間に託す政府って???となり、違和感がありまくりなんですよね・・・
ま、所詮、私のような一個人が気に入らなくとも、この程度の作り込みの映画がヒットする、というのが、今のうちの国の映画を観に行く人の状況なんで、ま、仕方ないですし、私も「2023年公開映画を1本でも多く観ておかないと」というさもしい気持ちで観に行ってるので、まぁ当たり屋に当たられたくらいの感じですよね。
確かに、このレベルじゃないと理解出来ない、という人も居ると思いますが、それでもまだ、シン・ゴジラには志を感じられました・・・
という感じで、主人公敷島は苦しんではいるのですが、大戸島の整備兵の無念は恐らく変わらないですし、ゴジラを討伐した後も続くと思われますが、仇を取った、で精神的安定も手に入れてそうですね、最後に奥さん(じゃないんだけれど)に「あなたの戦争は終わったの?」と綺麗に全部まとめて許してくれる美人の奥さんになる人がいて幸せですね~
それと、やっぱり1番気に障るのが、ラストのラスト。スタッフロールの最期、監督・脚本・VFX 山崎貴 で、スタッフロールが止まるんですけれど、私の今まで見てきた数少ない映画作品の中で、自分の名前でスタッフロールを止めた作品は基本個人的には合わなかったのですが、今作もその特徴にあってた・・・

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