東浩紀著 講談社文庫
コテンラジオ、というポッドキャスト番組を聞いています。世界の歴史キュレーションプログラム、と謳っていますけれど、本当に楽しく、歴史を学べます。
今までに、様々な観点から(それが人物だったり、宗教だったり、革命という出来事だったり、戦争も、老いとか死という概念も扱われています)歴史的に俯瞰して、どのような変化が起こったのか?を学べますし、だからこそ、今何が必要なのか?などを深堀り出来ます。自分の認知が歪む、揺れる事がとても面白く興味深いです。
そこで、民主主義の歴史、という大変難しいテーマを扱った事がありました。
その中で凄く印象に残ったのが、一般意思と2600年前のダレイオスらが話した記録とされる優れた政体について、です。一般意思についてはこの本の感想でまとめるとして、そのあまりに面白かった部分を、文章に起こしてみました、少し長いですけれど・・・
2600年前のペルシア帝国(あの、アレクサンドロスⅢ世にその後滅ぼされる・・・)でダレイオスⅠ世が3つの政体について議論している記録があるのですが、その3つが、民主制、寡頭制、独裁制です。
オクタネスは、我らのうちの1人だけが独裁者となる事は、好ましい事でもなく、良い事でもない。のであるからそのような事はあってはならない。諸氏は、カンビュセス王(先代の王)がいかに暴虐の限りを尽くしたかをご存知であり、また反乱勢力の暴虐ぶりは身をもって知られた通りである。何らかの責任を負う事無く、思いのままに振る舞う事の出来る独裁制が、どうして秩序ある国政たりうるであろうか?このような政体にあっては、この世で最も優れた人物であっても一端君主の地位に就けば、かつての心情を忘れてしまうだろう。現在の栄耀栄華によって傲慢の心が生ずるであろう。さらには人間の生まれ持っての嫉妬心と言うモノがあり、この2つの弱点(傲慢と嫉妬)があるから独裁者はあらゆる悪徳を身に備えてしまう。
これに対して大衆による統治というのはまず第一に万民同権という麗しい名目を備えており、第二には独裁者が行うような事は行われないという事がある。職務の管掌は抽選で選ばれ、責任をもって職務に当たって貰うのが良い。あらゆる国論は公論によって決せられる。とすれば、私としては独裁制を断念して、大衆の私権を確立すべきという意見を提出する。
続けてメガビュゾスは、オクタネスが独裁制を廃すると言ったのは私もまったく同意見であるが、主権を民衆に委ねよ、というのは最善の見解とは申せまい。何の用にも立たぬ大衆ほど愚劣で横着なものは無い。したがって、独裁者の悪逆をまぬがれんとして、凶暴な民衆の暴戻の手に陥るがごときは断じて偲びうるものでは無い。一方は事を行うが場合に自らを知って行うのであるが他方に至ってはその自覚すらないのだ。もともと何が正当であるかを教えられもせず、自ら悟る能力もない者がそのような自覚を用いるわけがないでは無いか。さながら奔流する川にも似て、ただがむしゃらに国事を推し進めていくばかりである。それゆえにペルシア(この議論を行っているオクタネス、メガビュゾス、ダレイオスが所属している国家)に害心を持つ者は民主制を取るがいい。
我らは最も優れた人材の一群を選抜しこれに主権を付与した方が良い。もとより我ら自身もその数に入るべきであり、最も優れた政策が最も優れた人材によってなされるのは当然の理なのだ。
最後にダレイオスは、私はメガビュゾスが大衆について述べた事はもっともだと思うが、寡頭制に対しての発言は正しくない。すなわち、ここに定義されら3つの政体がそれぞれに最善の姿にある、と仮定した場合私は最後の独裁制が他の政体よりも断然に優れていると断言する。最も優れたただ一人の人物による統治よりも優れた体制が出現するとは考えられない。そのような人物ならばその卓抜した指揮権を発揮して民衆を見事にまとめあげるだろうし、また敵に対する謀略に対しても最も良く保持されるであろう。
しかし寡頭制にあっては公益の為に功績を争う幾人もの人間の間に、ともすれば個人的な激しい敵対関係生じやすい。各人はいずれも自分が主導者となり、自分の意見を通そうとする結果互いに激しくいがみ合う事になり、そこから内紛が生じ、内紛は流血を経て独裁制に帰着する。
一方民主制については悪のはびこる悪人たちの間に敵対関係ではなく強固な友愛が生じる。それもそのはず、国家に対して悪事を働こうとする者は結託してこれを行うからだ。結局はこのような事が起こり、何者かが先頭に立って死命を制する事になる。その結果、この男が国民の賛美の的となり、独裁制に収斂する。
これが2600年前の議論ですよ・・・今の2024年のネットでも散々言われている話しよりも、精度が高く語られていると思います。凄く分かりやすいし、反論が無いわけでもないですが、理解出来ます。しかし人類の歴史が進歩して、古代ギリシアの民主主義、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、そしてジャン=ジャック・ルソーの出現とフランス革命による多大な犠牲により、もっと進化しているのが今の民主主義で、その根幹に関わるのが、ルソーの社会契約論、中でも難しいと感じたのが一般意思です。
その一般意思についてもう少し学びたいと思って、ずいぶん前に購入して挫折していた本書をもう1度挑戦してみようと思いました。
ルソーの言う一般意思は、確かにこれを目指そうとしない限り、各人の自由が担保出来ません。ホッブスやロックはまだ分かりやすかったのですが、ルソーの一般意思が、仮にあるとして行動しない限り自由を担保出来ない事は理解出来たけれど、それを民衆全てが理解出来ているのか?またその事を本当に、希求した事があるのか?という疑問もありますけれど、本書の東さんは概念であった一般意思を示す事が出来るシステムを人類は手にし始めている、と解釈しています。
それが、ネットで行われているSNS含む各人のログを集積してビッグデータにする事で可視化する事が出来るし、意識ではなく、それが無意識の集積である事から、一般意思になりうる、という解釈をしています。
これはかなり面白い思考実験だと感じました。
ルソーの言っている事は、あくまで理想であり、目指すべきポイントに名前を付けた、とも言えると思いますが、可視化出来るのであれば、もう少し理解は深まるとも思います。
ただ、無条件に一般意思という概念というか目指すポイントがある、と言い切ってしまうのも恐ろしい気がしました。あくまで方便として、ルソーは「一般意思は間違わない」と言っているだけで、検証も、実験もしていないと思います。最初にやるなら、小さなコミュニティで実験すべきな気がします。せめて規模は小さくとも、可能性があるのか?を試してみる価値はあると思いますが、どうなるのか?は不明です。
それに、政体を変える、って古代から続く国家とか帝国の統治でも、都市国家でも構わないのですが、政体を変えられた事って、それも非常に大胆に、存在しなかった政体に変えるって人類の歴史であったのでしょうか?革命、敗戦以外の統治政体の変化ってあり得たのか?疑問があります。
普通に思い出されるのは、共和制ローマから、帝政ローマへの移行だと思いますが、これって世界史上で最もうまく行った(それでも暗殺や内紛がある・・・)継承で、カエサルという天才がオクタヴィアヌスという秀才を見つけて指名しているという、非常に稀な出来事だと思います。平和裏に継承が行われ、政体の変更があった事ってあるのでしょうか?
ロールズの無知のヴェールでさえ、思考実験として理解は出来ますけれど、だからと言って現在の富を子供に託すことを止められる人、継承を止め、相続税を100%にする事ってなかなか出来ないと思います。ブレグジットでさえ、議論の余地はあるし、人間は感情を理性でコントロールすべきだし、それが大人だとも思いますが、出来ないのもホモサピエンスの特徴とも言える人間の獣性だとも言えると思います。
東さんも結局のところ、民主党政権のあまりのあまりさ、それに加えて東日本大震災を経て、現在はこの考え方を変えているようですけれど、それでも、この著作を文庫化して(私が読んだのは文庫版)いるのは、様々な批判があった上でも、残しているのは善き事だと思います。
なんだかんだ言っても、結局のところ、日本社会に民主主義は根ずく途中なのだと思いますし、もっと言えば、与党というか政権担当能力が1つしかない状況に問題があるのだと思います。これがポテンシャルなわけで、それこそ古代からずっと輪を持って尊ぶべし的に、この状態が続いていますし、これがこの国の文化なのだとも言えると思います。普通は政権交代が起こせるほどに人材が育たなければ、例え後退しても悪くなるだけですし・・・
思考実験として、大変面白かったですけれど、ホモサピエンスの限界もあるような気がしますし、個人の存在しないところに個人主義も存在しないという話しとも言えます。
それでも、生きているだけで大変な世界なわけで、生活に追われて考えたり学ぶ機会が少ない事を考えると、とても難しい、長い時間のかかる事なのかも知れません。生きている人間の時間軸の中では、大変難しい事なのかも。
思考実験が好きな方に、オススメ致します。
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