ヨルゴス・ランティモス監督 サーチライトピクチャーズ オデヲン吉祥寺
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は35/106
まさか同じ年に2作目を観る事になろうとは!という「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督作品です。原題は「Kinds of Kindness」普通Google翻訳で訳すと、優しさの種類とか親切心の種類とかですけれど、観終わった後だと、親切と思われる行動の表出の結果、くらいな感じに感じました。
観たままを感じると、本当にヘンテコな映画を作る人だなぁ、と思いましたし、音楽も凄く変で、前作の「哀れなるものたち」よりももっと前の「籠の中の乙女」を思い出しますね。
観終わった直後に思ったのは、ヨルゴス監督に気に入られた役者のキャリアの心配、をするようになってしまいましたよ・・・デフォーも大丈夫か心配になるし、エマ・ストーンも心配。映画としてはかなり面白く観れましたは観れたのですが(笑)
今回は3章に分かれていて、しかも演者は共有しているけれど、話しは基本的に繋がっていない、と思っても良い、もしかすると繋がってるかも、くらいの感覚です。
第1章R.M.Fの死 という字幕と共に現代(2020年代?)と思われる都市部の路地裏で車のハンドルを握り何かを待つ男ロバート(ジェシー・プレモンス)は・・・というのが冒頭です。
すっごく褒めてますけど、狂ってる!
誰が思いついたのか?と言えば脚本家のエフティミス・フィリップさんなんですけれど、この方は「籠の中の乙女」と「ロブスター」と「聖なる鹿殺し」の脚本でして、もちろんどの作品も監督であるヨルゴス・ランティモスさんも脚本にクレジットされてるから、共同脚本なんでしょうけれど、この人も物凄くオリジナリティがあり、かなり狂ってる(褒めてます)とも思います。ただ、今作は、やや幻想小説風と、言えなくもないです。
あ、後声を大にして言いたいのが、ジェシー・プレモンスは最初、私絶対マトデさんだと思ってました、めっちゃ似てる!そして顔は全然好みじゃないんですけれど、先に「シビル・ウォー」の赤メガネを見ているので、大丈夫でした、良かった。マトデは性格の悪さが顔に出てると思うし感じるんですけれど、似ているのですが、そこまでのイヤさじゃなかった。
そして、マトデに似てる人とホン・チャウが同じ画角の中に出てくると、どうしても「ダウンサイズ」のアメリカ人の8つのアレが頭をよぎる!もうやめて!と思ってもよぎってしまう!!
R.M.Fが何者なのか、なんなのか?については多分監督もそこまで詰めてないと思いますが、何となく、同じ人物が演じているので、物語の軸ではなく『のりしろ』見たいなもので連続性を持たせているだけだと思います。
父性を必ずウィリアム・デフォーが演じてて、それも面白味を感じますし、なんなら第1章のデフォーは間違いなく、監督の暗喩だと思います。すげぇ事考えますよねぇ・・・
個人的には第2章は凄く村上春樹短編臭がしました、撃ち間違えてないです、臭、です。指の話しとかは「風の歌を聞け」の女の子の事思い出します。あと何気に似てるし翻訳も出してるから当たり前だけどレイモンド・カーヴァ―っぽさもある。あとはラテンアメリカのマジックリアリズムみたい。
個人的には第3章がキモ面白さではトップでした。
しかし本当に変わった事を考えて、それを現実に撮ってしまうこの監督、それだけのキャリアを積みつつ、こういう人だから、で押しきれているのが強い。今後も変な映画を撮り続けて欲しいです。
エマ・ストーン目当ての方でも、初期ヨルゴス・ランティモス作品が好きな方にも、マーガレット・クアリー好きな方にも、オススメです。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。
未見の方はご遠慮くださいませ。
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ネタバレありですと、今作はマジック・リアリズム感が凄くありますね。現実の事なんだけれど、現実味が薄くなったり、夢とか隔離された平行世界との行き来とか、見ようと思えばそれなりの書籍関連は探れそうですけれど、それよりも美術含めて奇怪、というレベルで統一される面白さを満喫しました。
何か変、どこか変だけれど、それを指させない時のおかしさ、みたいな感覚があります。
エマ・ストーンもですけれど、マーガレット・クアリーも、それを全力で演じているというよりも、自然とこっちの方が本物の私感を出してくるのがこわ面白いです。役者さんってスゴイけれど恐ろしいですね・・・
第1章は明らかに監督的な物の見方をする人物と、それに従属させらえていた人物が、苦難を乗り越えて、自らの意志で従属を肯定する、なんというかカルト組織とその関係みたいで、そう言う意味で3章と繋がってる・・・
それと、鍵を盗んで侵入するシーンがすっごくコーエン兄弟監督味がありました。そう言えば大仰しくしないのがコーエン兄弟作品で、どこまでもいっちゃう感じなのがヨルゴスって分け方も出来そう。
2章は異世界感ったぷり。で、キャストが変わらないだけで、凄くヘンテコ感がでますね・・・演劇を2本続けて見せられてる感覚。
倦怠カップル味もありますけれど、じゃあの偽物はなんだったん?となるんですけれど、エマ・ストーンの演技的説得力でOKな感じがしてしまうの不思議。それに、落ち込んだジェシー・プレモンスが食事時に観たくなるビデオの中身がヤバすぎて、こっちの方が狂ってる!って思いやすくなってるのも怖面白い。普通に考えてどっちも狂ってる感覚になるし、信用できないんですけれど、ね。
どこで飛んでるのか?考えてみると、なんかヘリコプター操縦している人として出てるので、実際に富んでる場面は映されてないのも、なんか担がれてる感覚になります。絶対普通に想像したところから斜め上に行く。そう言う意味でヨルゴス・ランティモス監督に近いの案外ドグラ星の王子なのかも。
3章はもっと特異な存在で、水に関してのカルト集団。アメリカにもいろいろ居そうですけど、なんかハワイっぽさを感じました。海がハワイを連想させるこの私の、器が小さくミソジニー要素を併せ持つ50過ぎの前期高齢者としては、発想自体が貧困でどうにもならないのですが、連想してしまいました。
あと、性交渉とかそこへの導入含む行為の描き方・・・なんでカルトの世界はそっちに行きやすくなるんでしょうね・・・まぁカルトじゃなくとも根源的動物的欲求なんだとは思うけれど。
あと、あの紫の車は凄く気になるのですが、めちゃくちゃな運転も気になるし、何となくアメ車的なパワフルさが重要なんだと思います。
ホン・チャウ、なんか本当に舐めてそう・・・「絶対本当に舐めてね」というヨルゴス監督が指示してる場面を1章の後に観る事で、想像する事が辞められない・・・
それと元夫のヤバさがカルトを越えて感じられる・・・普通の人に見える方がカルトよりも狂ってる感覚に持って行かれそうで怖いです。
あと、あの踊りは「やったぜ」を表しているんだろうけれど、誰が振付したのか?気になる。踊りってある種の表現じゃないですか・・・それがダサいの、センス無いの、ダンスに対してのリテラシーが低くとも分かるの、凄い事だと思います。
サンドイッチを食べる、じゃなく、普通にホットドックな気はしました。
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