井の頭歯科

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観ました

2024年11月12日 (火) 09:19

トッド・フィリップス監督     ワーナーブラザーズ     トーホー新宿
2024年公開映画/2024年に観た映画  目標 36/100です。 現在は37/108
無事に今年も目標達成できてよかった。一カ月の間に3本は新作が観たいし、年間100本くらいが仕事をしつつ見れる私の限界なのでこの目標なんですけれど、終われて良かった。
ただ、今年は小粒な作品が多かった気がしてます。拾い物も少なかったような・・・普通は10月末までに、今年を代表する作品に出合えていたし、なんなら年末の大作に期待出来る何かが存在していた気がしますけれど、今年はあまりないですね・・・何か驚くべき作品に出合いたい。
まだ終わってないから期待してます。
ジョーカーの続編、と言っても、前作が、ジョーカーになる、アーサーの話しだったのですが。続編というか、アーサーの裁判を、ミュージカル形式で、描かれています。
で、レディー・ガガさんが出演されているんですけれど、私は全然詳しくないのですが、普通に歌上手いですし、演技で気になる点は無いんだけれど、化粧とかいろいろ気になりました・・・ネタバレなしで言える事が少ないので、これはまた改めて。
ホアキン・フェニックス、物凄く絞っています、身体。危険なくらいの痩せ方、るい瘦に見えなくもないし、年齢49歳だったと思うけれど、凄く老けて見えます・・・演技も凄いんですけれど、今回は歌も頑張ってて、エンドロールの曲、素直にかっこよかったよい曲。
色彩的にも面白かったですし、いい所のある作品だとも思うんですけれど、アメリカでも全然ヒットしてないみたいですし、そこ何となく私も分かる気がしました。
でもそれこそ前作がまさにそうなんですよね・・・前作は、アーサー・フレックなる人物が、ジョーカーになる、話し。
今作は、そのアーサー・フレックがジョーカーになった契機の事件に対する裁判を描く映画なので、前作をどう見るか?によってとらえ方が違う気もします。
それとエンターテイナーとしてのジョーカーを受け入れられるか?もある気がします。
色彩もデザインも悪くないし、何なら好きなんですけれど、ラストも、ラストに至る経過含めて疑問がありますが、ネタバレなしで言及出来るのはここまでな感じです。
それと、体感として長かった・・・
エンターテイナーのジョーカーが観たい人、それと前作のジョーカーが好きな人にオススメします。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想なので。未見の方はご遠慮くださいませ。
今までに何度も映画化されてきたジョーカーは、バットマンの敵役。なんならその存在理由やバットマンに挑む姿勢含めて、バットマンのコインの裏表の存在、として認識させてしまったジョーカーの最高到達点を、ヒース・レジャーが命を賭して(という表現が正しいか?は置いても伝説的には見えてしまう)たたき出してしまった事を見ているので、本当はアメリカンコミックでは、こう描かれている、となったとて、ジョーカーを描くのであれば、そのジョーカーは、ヒース・レジャーのジョーカーと比較して、としか見れない感覚がそもそもあります。
だから、ジョーカーという存在理由でさえ理解出来ないヴィラン、悪役の誕生が、あまりに納得しかねると、評価されにくいだろうな、とも思います。バットマンと対峙しないジョーカーを描くなら、その誕生を描くのは正しい選択だとしても。
なので、前作のジョーカーは、私にはアーサーが突然ジョーカーになってしまったように感じましたし、1つでも神がかり的なマジックが起こる瞬間があれば、もう少し評価は変わったと思いますけれど、もうひとつ、と言う感じになってしまいました。
そのジョーカーが誕生した契機、犯罪についての裁判なわけで、言い方に気をつけていますけれど端的に、ジョーカーに見えないジョーカーの裁判やその後が、どう描かれているのかが凄く気になる!という人は少なかったんじゃないでしょうか。私もその1人です。
でも、ホアキン・フェニックスは気になるし、まぁ見て見ようかな、くらいの感覚です。
で、ミュージカルな部分をどう捉えるのか?なんですけれど・・・・
ミュージカル映画なんだから、歌って踊っては普通というかそういう様式なわけです。で、そこにジョーカーがどのように入れるのか?その心情を表すのに、何故ミュージカルなのか?に対する答えは、エンターテイナーとしてのジョーカーだから、です。
今作は、エンターテイナーとしてのジョーカー、を飲み込めた人なら、偏見なく、この映画のジョーカーに肯定的なら、問題ないと思います。が、多くの方は、やはりヒース・レジャーのジョーカーを観て、経験し、なんなら神々しく見てしまっているので、貧困層から生まれエンターテイナーとしてのジョーカーに乗れなかったんじゃないかな?と思います。
ジョーカーの本質は、この映画ではエンターテイナーですけれど、今までのジョーカー関連作品を観てきてしまっている観客(の中の1人である私も)にとってはアジテーターで、理解不能で、本質的な混沌を突きつける人物と捉えてしまっています。
今作のエンターテイナーを志向する新しいジョーカーになじめなかった、ジョーカーのジョーカーらしさ、にエンターテイナーは副次的で、弱弱しいジョーカーを観たくなかった、というのが私の感想です。
もともとそんなに強くないアーサー・フレックが、ジョーカーとして成り立たせるのは孤独を募らせたからで、もちろんコメディアンになりたいという夢と現実の乖離もある、とは思いますけれど、孤独に苛まれるジョーカーを観たいと思わなかったという感覚が常にありました。
だから、囚人として何なら模範的な存在だったアーサーが、リーという女性に導かれ、より虚勢を張る、というなんだか人間っぽいジョーカー像になじめなかったんじゃないかな。
そもそも、リーなる人物像も凄く古いし、ファムファタルという理想化して描きすぎ。そして、衣装とか化粧とかで、ハーレイ・クインに寄せていますし、なんならジョーカーの共犯者ですし、有名ですから、どうしてもそうみえちゃうけれど、そもそも今作の中でハーレイ・クインという単語すら出て来てないと思います。
リーはハーレイ・クインじゃないし、なんなら今作のジョーカーよりももっとカオスな存在。もっとヤバい人。
なので観終わった後に感じるのは、人間アーサーがジョーカーっぽくないエンターテイナーを目指して犯罪を起こし、その裁判経過でもっとヤバいリーという人物との関係性で虚勢を張り、ジョーカーっぽくなくリーへの主従関係、それも今まで知っていた主従関係が逆転したわけで、そりゃ乗れない人にはとことん乗れないとは思います。どんなにホアキンの演技が凄くても・・・だってジョーカーに見えないんだもの。
それでも、この映画がなんとかジョーカーを描こうとしているのは、新しいヒース・レジャーを生まない為にも必要な気がします。あれを超えるのは無理なんだから、こういうジョーカーの形もあり、としていかないと危険。
ただ凄く乗りにくかったけどね。
それと、この作品のラストだと、もうジョーカーですんらない。だって刑務所にいて、普通に亡くなってしまうのであれば、バットマンとすら対峙しなかったわけで、それはもう概念としてもジョーカーとして受け入れがたい。ピエロとかクラウン風味のジョーカーとは似て非なるモノな感覚があります。
同じように、リーを演じたレディ・ガガも、ハーレイ・クインじゃなくて、新しいモンスターなヴィランなんでしょうね。でも、何も知らないで劇場ポスターを見たら、普通に、ジョーカーとハーレイ・クインが出てくるんだ!と思わせるだろうし、だとしたら、違和感しか持たなかった結果になるのも良く分かる。
まず、そもそも、前作が続編を作るほどに、良作だったのか?というのが1番の疑問なんですよね・・・そこに乗れなかった人が、続編を、仮にレディ・ガガが出演すると言っても観たくなるか?というと、恐らく全然、だったんでしょうね。
それと、ジョーカーの登場とジョン・ウェイン・ゲーシーはどちらが先なのか調べてみると、ジョーカーの誕生は1940年、ゲイシーの事件発覚逮捕の日は1978年12月なんで、ジョーカーが先でした。
あ、べったべただけれど、Close to youは凄くいい曲だねぇ。
なんでこんなジョーカーにしようとしたのかねぇ・・・それがワカラナイ。

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