アナ・ケンドリック監督 Netflix
2024年公開映画/2024年に観た映画 目標 36/100です。 現在は39/111
1977年ワイオミング。かなり人里離れた景観の良い荒野の夕刻。被写体となった女性にカメラを向ける男が・・・というのが冒頭です。
タイトルの意味、どうなんでしょう?原題は「Woman of the Hour」ちょっと理解出来なかったし、何かテレビ用語の慣用句なんでしょうか?
私はシリアルキラーが何故この世にいるのか?どうしてシリアルキラーになってしまったのか?その後天的な理由が気になります。欲望のコントロールに対して働く理性が何故働かないのか?どのような境遇が引き起こしているのか?に興味があります。
誰しも欲望はある。そしてホモサピエンスは動物的な側面を持っているし、仏教用語の業もある事は理解していますが、ホモサピエンスの社会性があるからこそ、ホモサピエンスとして育てられていれば、普通には行えない事があると思います。しかし普通の感覚では出来ない事が、出来てしまう中でもかなりの禁忌であるシリアルキラーに興味があります、もちろん恐ろしいからですし、自分にもその萌芽があるかも知れないという恐ろしさもあるからです。
その上、男性というだけで社会的に下駄を履かされている事に自覚が無い人ほど、享受している状況を変えたくないという事は理解出来ても、自分だけが何時までも優遇された存在である事の不公平感に耐えられないのが普通ではないか?考えれば当たり前の事なのではないか?と思っているのに、それでも自分にとって都合の良い事象やタイミングや無自覚な時に、アンフェアな行動を起こしている事がある事を恥じているからです。
フェアな事を希求する事は、完全な平等が存在する事を証明しているわけではありません。完全な平等は無いにしても、平等を目指し変革する事で、今は違うけれど、未来では違うようになって欲しいからです。自分が被害を被り、不利益が存在する事が無いようになって欲しいからです。今優遇されてるとしても。その優遇が、過去そうだった普遍的な文化だったとしても、その事により不便や不利益が生じているという立場の人がいるなら、改善を目指すべきだと思うからです。
2024年の11月のうちの国だと、非公認の候補者に2000万円振り込まれるのであれば、それは不公平だと感じるからです。裏金で起訴されないのであれば不公平だと思うからです。衆議院なり参議院の議員に特権が付与され、脱税行為については問われないと明文化されているなら話は別ですが、一般人が行えば脱税で罪に問われ、追徴課税されるはずです。法治国家の中で法の下の平等が侵犯されているのであれば、是正されて欲しいからです。
それでも、ホモサピエンスの歴史で考えると、女性に人権が認められるようになったのは、恐らくつい最近の事ですし、それは文化的な、そういう事になっている、が普通で利益を享受してきた人にとっては耳が痛く、今までもそうだから、これからもそうであって欲しいと願うのは、傲慢と言うモノではないか?と思うからです。いつ弱者になるかワカラナイという部分もあると思いますし誰でも老人という弱者になります。その時に都合よく、老人という弱者だから敬え、というのは傲慢と言うモノです。
1970年代のアメリカでも、この映画の通りか?は不明ですけれど、今観るとなかなか恐ろしい習慣や事象に溢れている感覚を映画から感じますけれど、2024年現在のうちの国もなかなかなディストピアですし、ただ生きてるだけでも大変。
アナ・ケンドリックの監督デビュー作品。なかなか構造として新しく感じました。もう既に誰かが行った見せ方かも知れませんが、私には初めての初回性として認識されました。
今を生きている人にオススメします。
人権の概念はうちの国では憲法に明記されていても、生きてる国籍を持ったホモサピエンスの大部分(私含む)はまだ、良く分かってないのかも。浸透するのには時間がかかるんでしょうね。
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