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ショーン・ベイカー監督 ユニバーサルピクチャーズ 新宿ピカデリー
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 9/26
あまりに「ウィキッド」がダメだったのでこのまま帰れない感覚になり、観る事にしました。映画館のスケジュールでこの作品になったのですが、凄く面白くて考えさせられる作品でした。
NY?コニーアイランド?辺りの何というかセクシャルなサービス提供するお店で働くアニー(マイキー・マディソン)。客に対してある種忠実に、仕事として割り切って働くプロです。その日常はなかなかで・・・というのが冒頭です。
冒頭のお店の中、そして家への帰路くらいまで、ドキュメンタリー映画?と見間違うくらいにキャラクターとの距離が感じられます。あくまで覗き見しているかのような感覚です。あくまで主人公の置かれている設定、上手いです。
ここにロシアの大富豪の息子が現れて、で物語が動き始めます。
この動き始めてからが、この作品の凄い所で、いきなりアクセル全開です、いつ終わるのか?全く不明なドタバタ騒ぎになるのですが、観客の心を完全にグリップさせられている感覚、映画に飲み込まれた感覚になります。
主演の2名アニーを演じたマイキー・マディソン、ヴァーニャを演じたマーク・エイデルシュテインの魅力が素晴らしく、前半はこのキャラクターと演者の若さでぐいぐい引き込まれるのですが、これがセットアップな感じで、役者がそろってからの、展開のアクセル踏み込み度合い、ちょっと経験したことが無い映画の加速、凄いです。
マイキー・マディソンさん見た事が無い役者さんだと思ったら、タランティーノ監督作品「Once Upon a Time in Hollywood 」に出演していて、観ているはずなのに気づかなかった!大変魅力的な笑顔と、そこまで冷たい目出来ますか?という演技の幅が凄いです、ハンバーガー屋で一瞬河合優実かよ、と思わせる顔の表情と演技があって驚愕です。役者ってスゴイ。
マーク・エイデルシュテインさんの魅力も凄くて、基本この人のせいで全てが始まって終わるんですけれど、まぁ魅力的である事に変わりは無いですし、そう見せられるのも凄い。何というかよく言われる少年の心を持っている、と形容される魅力があるのです。ただし、それがどういうことなのか?を如実に描く映画でもあります。よくこの言葉を映画や小説の中で魅力として好意を寄せている人たちが、全く同じ少年の心の魅力以外の、何も無さで怒り始めるのを見ると、どうして欠如が魅力なのか、それを持ち続けているからこそ、能力が欠如している証明のようなものであるのに、と思う事があるのですが、分かっていても抗えない魅力がある、という事ですよね。
ここまでアクセル全開で加速する映画はそうはないと思いますし、劇場内も大爆笑が続いていて、私も笑いをこらえる事が出来なくなって、やたら椅子が揺れる4DXのような映画体験になりました。
それなのに、着地と言いますか、連れてこられたラストが物凄く特殊な場所、長回し、そして考えさせられる地点で、これもそうは無い体験。
これがアカデミー賞を取っていいのか?というか今までのアカデミー賞の中では特異な映画だと思います。ただし、私は個人的に、アカデミー賞って取らなかった作品が時代を反映していると思いますし、基本、お祭り騒ぎがしたい人向けで、興味は全くありません、どうでもいい。それと、映画の製作に関わっている人たちで、アカデミー賞を撮りたくて映画製作している人は少数派でしょうし、志が低い、と思ってます。賞絡みじゃなく、作りたい作品を作っているはずだし、アカデミー期間にはノミネート作品の宣伝が激しくなるそうで、凄くくだらないと思っていますし、下品。でも、今作が作品賞って、大丈夫なのか?とは思います。
最高に笑った映画でもあります。考えさせられる点についてはネタバレありで。
で、この映画139分もあるんですけれど、体感としては90分くらいですし、ウィキッドは160分なんですけれど、私には300時間くらいの体感でしたから、映画って不思議。
映画がエモーショナルに走り出す、という体験が好きな方にオススメします。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレあり、結末についても言及します、未見の方はご遠慮くださいませ。
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ネタバレありの感想ですと
まず、大変おかしく、たくさん笑ったわけですけれど、この映画、凄くリアルな着地をしているので、ん?と思いますけれど、まぁ若い女性が若さと身体で成功(つまり幸せとかなんだけれど、今作の場合特に 金 )を掴もうとするこれまでにとんでもなく多く作られ、なんなら金を持っている男は1mmも成長しないし結局金かよと批判されてきた女性の上昇婚を扱った作品でもあるんですよね・・・ここは外せない批判があってしかるべき。持っている男性が若くて容姿端麗な女性を娶る話しとも言えるのですが、捻りも効いていて、その男は実はなんも出来ない、金を稼ぐ事すらしていない、ただの金持ちの息子でボンボンだったわけです。完全なる両親の庇護下に置かれ管理されている。だからこそ逃れる為にアメリカに来ている。
アニーは確かに何度もヴァーニャに確かめているし、本気なのか?と聞いていますけれど、まぁそんなはずあるわけないんですよね・・・だってこのヴァーニャ、致す際に後ろでんぐり返りするんですよ・・・ガキなんですよね・・・しかも、話し合いとか全く成立していないし、確かめてはいるかもだけれど、アニーも、金に目がくらんでいる。何しろプロのはずなのに、お金が無い人たちを割合最初の頃にキモチワルイと言ってたわけです。
ちょっとだけ脱線するけど、アニーもプロだったら分かりそうな、と言いたくなるんだけれど、セクシャルな傾向とか癖って私も驚くほどに細分化されているので仕方ないのかも。誰だって夢は見たい。
最初から完全に決まっている役割分担というか現代にもある階級社会の壁がある。ただ、結局のところ高度資本主義経済が成り立ってから、いや成り立つ前からなんだとも思うけれど、金との交換で成り立ってるはずで、対等のはずなんだけれど、金を持っている方が主導権がある、権力の勾配があるのも事実。
なんなら登場人物のトロスも(宗教的にも年長者としても)嘆いていたけれど、そして宗教や年長だけのベクトルでは私は同意出来ないけれど、それでもいくら何でもでも、とは思う、世界の幼稚性の高まりに嘆きはします、私も。
金と等価交換のはずの関係での権力勾配を忘れ、確認したと言いつつ、全然出来ていないのは誰の目にも明らかなのに、そこに夢というか愛を見ようと思えば確かにありそうにも見えるけれど、2週間くらいで、その人がどのような人物なのか?分かるわけないし、恋愛ってそういう頭に虫が沸いている状態なんで、まぁそれ以外の時もクスリをキメているわけで正常な判断が出来る状況じゃない。アニーだって浮かれていたわけで、凄く既視感ある設定。
そして、恋愛、クスリ、以外にも豪遊という、高度資本主義社会の麻薬もあるわけです。この豪遊も総統に脳に蟲が湧くと思います、私はただの底辺生活者なんで経験ないけど。
なんだけれど、崩壊するタイミングと、その加速度と、ヴァーニャのクズっぷりの良さと、ここに加わってくるガルニク、イゴール、トロスというヴァーニャのお目付け役たちとの抗争、この抗争の著しさと唐突さが物凄いエネルギーで、暴走する車に乗ってしまう感覚です。
あまりの暴力性と畳みかける展開、どうしようもなさ、それに抗う気力だけのアニー。もちろんアニーの暴力性も凄いんですけれど。もっと狡猾で残忍な両親が到着してからの、完全に両親の庇護下に置かれ、1mmもそこから出られない、クズの上の概念が必要なくらいのクズで金持ちの息子なだけのヴァーニャに対しても、そういう境遇であり、努力はしたのか?不明ではあるけれど、成長できない哀しみみたいなモノも感じさせるの凄い事だと思います。それはヴァーニャの屈託のない、それこそ少年の心を保っているからこその笑顔とか後ろでんぐり返しなんだろうし。まぁヒドいクズの上の概念の男なんだけれど。
そしてこの映画の中の笑いはトロスとスピーカーで電話を繋いだ辺りから始まるんですけれど、本当に、ヒドイ!と思う出来事が、アニーにも、そしてガルニクの可哀想滑稽、イゴールの話しの通じなさ語学力のなさ(とは言え私はもっと無いのですが)からくるどうしようもなさに加えて上司の命令に従わなければならない混乱の中噛まれる悲しさ、トロスのその地区の恐らくロシア正教徒の司教で洗礼の儀式の最中に緊急事態で、と言って主役が抜け出すまぬけさの上に、トロス自身さえ支配下に置かれている成金オリガルヒ両親から叱責、しかもこの後必死になればなるほど追い込まれる滑稽さがたまらなく悲しいです。トロス、同情します・・・レッカー移動の係り員の人も、ただ仕事をしていただけなのに・・・ああ!とか、翌朝まで裁判所の真ん前で夜を明かし、凄んでまで呼びつけた弁護士、そして裁判中に吐瀉物の心配までしなければならなくなる裁判官含めすべてが徒労に終わるあたり、本当に劇場が爆笑の渦の中にあって、得難い体験でした。
そこからはオリガルヒ成金両親の凄み、という現実社会の高度資本主義社会の現実にすりつぶされるアニーに同情しない人は少数派だと思いますし、よく考えるとイーゴリはガルニクの為に祖母の家に寄って鎮痛剤を取ってくる優しさも見せていたし、イイ奴である事を、オリガルヒ両親にまで進言して謝罪要求もあり、なかなか芯の通った男に見えます。
ラストカットの長回し、イゴールがトロスから盗んだ結婚指輪、普通の友情というか、ナイスな行為に対して、アニーは恐らく対価として支払いの為だと思いました。そしてそれは大変に悲しい現実に磨り潰された若い人の、哀しみとも言えますし、イゴールはそんな対価を要求すらしないナイスガイで、そんな人間を今まで見た事が無かったアニーの感情が決壊した、だけとも言えます。でも普通にこういう解釈じゃないのかな。違う解釈があれば知りたい。
このラストカット丸ごとカットしても成立するんだけれど、イゴールの凄くまともな面を強調する為の時間でもあって、あった方が良かった。
これがアカデミー賞って、なんか悪い意味で変わり過ぎなのでは?と思いますけれど、笑える映画だし、確かに短く感じた、特にウィキッドの後すぐの鑑賞だと、恐ろしく良く見えてしまう。
早くサブスクに降りてきて、4人組のドタバタを見たいです。
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