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クリストファー・ボルグリ監督 A24 Amazonprime
2025年公開映画/2025年に観た映画 目標52/120 10/28
映画ライター村山章さんの2024年度ベスト1、今おじさんと呼ばれる我々みんなで会ってこの映画を観て、感想をシンポジウムしたい!とまでおっしゃってて、なるほど、それならば私もおじさんとして、観なければ、という事で観ました。
観終わりましたが、これはキツい。恐らく、もうだめだ。万策尽きた感覚にしかならないですね・・・
娘が庭で休んで、父(ニコラス・ケイジ)はほうきで落ち葉を掃除していると・・・というのが冒頭です。
結構な悪夢・・・あ、全おじさんにとって、です。そして特に私のようなブサイク村出身で、頭が悪い場合、どうしようもなくね、という感覚に陥りました・・・
これはネタバレを避けて言える事が無いですし、村山章さんもおっしゃっていますが、これ若い男性とかだと、こういう風にはならないし、もし年齢若くても老いを感じていても女性なら、全然普通の映画になると思います・・・
なんなら未解明SFとしてきっちり別の意味でちゃんと作れるし、自己の概念の話まで行ける。若い男、もしくは女性(幼少でも老齢でも)で、そこに美醜の差があったとて、おそらくかなり深い話し、自己尊厳までいけるし、なんなら自己なんて無という所まで行ける可能性があるのに、主人公をおじさんにしただけで、もう全方位にダメを感じる。詰んだ!と叫びたい衝動を抑えるだけで精いっぱいです・・・
そしておじさんだけが、このカテゴリーから外れて、どうしようもなくダメな存在みたいに感じてきました・・・村山さんがおっしゃっている意味、多分分かると思います・・・
ニコラス・ケイジ、体張ってるというよりも、存在を張っているの、まぁいつものニコラス・ケイジなんですけれど、今までの存在を張っているの中でも最大級のリスクを負ってますね・・・
予告編でも謳われていますし、ネタバレにはならないと思うので少しだけ設定を話すと、何でか知らないけれど、ニコラス・ケイジ扮するポール・マシューズ教授が、周囲の人の夢に出てくるようになる話です。
夢、あの寝ている時に見るとりとめのない断片のような、辻褄がどうなっているのか分からないのに納得出来てしまう感覚とかがないまぜになりつつ、超常現象も起こる可能性があるのに、明晰夢はなかなか見れない、あのみんな大好きな夢の話しです。
この映画の中のニコラス・ケイジの髪型は、多分よく考えた末に、この髪型にしていると思います。だから非常に重要な情報だと思います。それに頭髪の話しって凄くナイーブなんだけれど、恐らくこれも尊厳まで行ける可能性のある話し。それに遺伝で決まってしまうので、自分ではどうしようもないのに、蔑まれたりするの理不尽。
そしておじさんという年を経れば男性ならだれでもなる存在なのにそれだけでダメなのも理不尽。そうこれは理不尽の映画。バズるとかSNSとか承認欲求とかキャンセルカルチャーのような現代的な事象を扱っているけれど、夢というSFチックな包みを被せているけれども、これは理不尽を扱った映画。
ああ、私もドリームシナリオのシンポジウムに参加したい・・・
分かりやすく説明すると、チャーリー・カウフマン的映画。
全おじさんに捧げる映画です、オススメはそんなにしません、何故なら結構キツいから・・・
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想になりますので、映画の決定的なネタバレを含みます。
ですので未見の方はご遠慮くださいませ。
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正直、他者の夢に、ただ出てくるだけ、でもかなり怖い話しとも言えますし、恐らく作り手の方々も、SNS的な承認欲求と絡めて、この脚本を考え付いたのでは?とも思うんです。そして、そういう見方も出来るのは当然ラストにむっちゃ大きな設定をブッコんで、ノリオというまぁ夢介入装置がある世界になるんですけれど、まぁ飲み込みにくいし、なんだかなぁ~という気になる。
もちろん、このノリオという夢介入装置の開発とかに絡めてこの映画を考察する事も出来そうですし、やりたくなるのはアリ・アスターさんが脚本とプロデューサーで入ってるからで、理解はするけれど、そんな事は些末な事に感じさせるくらいに、おじさんがただ存在しているだけで他者を不安にさせ不快にさせる可能性のある事を示す映画・・・
おじさん という存在、ただそれだけで、もうだめだ、というくらいにネガティヴで存在が許されてないの、キツいっす。
傍観者として他者の夢に現れる事、だけでも結構怖がる人いると思います。これだけ科学が進んでも、まだ脳という機能とか、意識とか、全然わからない事多いし、なんなら、他者と全能力を使っても、本当に理解し得たのか?がワカラナイ状況なんですよね。哲学的な意味でも、です。結局他者になる事は出来ないし、経験を追認しているだけで同じかどうかなんて誰にも分らない。
つまるところ、夢がなんなのか?何のために起こっているのか?どういう理屈なのか?が不明である怖さもある。
そこにおじさんが現れて、ただの傍観者としている。
しかも、ニコラス・ケイジの顔、で、なんです・・・おじさんだけど、俳優、それもハリウッドの一時期を代表するスターでもあった人なんだけれど、そういうスター性とか完全に隠して、その上、なアレで、もうおじさん中のおじさんみたいな存在になってる。
比較的物静かで、なんならかなり若いうちから終身教授になってて、それなりに優秀。妻も居て妻帯者、娘からも慕われている訳では無いでしょうけれど、まぁ相手にはされている。目立つタイプじゃないし、物静かに人生を送るタイプ。
でもそれこそ、普通のおじさん、と思われている何かしら、どこかしらに親和性なり、親近感があるおじさん成分をニコラス・ケイジが表現しているからだと思うのです。
それなのに、このおじさんが、他者の夢に出てくる、それも見た事も聞いたこともない知らない誰か、それも世界規模で、夢に、傍観者として、出てくる。
おじさんが浮かれないはずない。違う扉を開けたくなりもするでしょう、論文のアイディアを横取りされようとしてたのに、その事に批判も反論も録音も謝罪を引き出す事も出来ない人畜無害なおじさんだったとして、浮かれないはずがない。もちろん浮かれないおじさんも中に入るけれど、ココに最強の刺客が来るわけで、これをヘテロのおじさんで逃げられる人いますか?と思うのです。
だって居ても居なくても同じおじさんで、もはや風景でもおかしくないくらい存在の軽い、誰からも顧みられない(この段階では まだ 妻と子供くらいは除いて)おじさんが有名になって浮足立たないおじさんは少数派でしょうし、軽く扱われてきてそれを自己承認していたんで、そのギャップを嬉しく感じない人は少数派でしょう。
そこに、おじさん代表の私が言い切っちゃうけれど、リビドーだって誰にでもあるでしょうし、それはおじさんにもある。哀しい現実だけれど、無くなってくれない。もはやそんなのは重荷でしかないのに無くならない。
女性の言う、男はいくつになっても子供が作れる、という言動は、羨ましいとか、いいわね、くらいの感覚で言われていると思いますが、全然ですよ・・・地獄ですよ、ある意味。普通のおじさんなら。まず第一に、そんなおじさんやおじいさんでもリビドーがあり、第二に、そのリビドーが叶えられる成就する確立はまずゼロです。そうでない場合は、恐らくそこには対価が支払われるのが普通でしょう。その対価を払えるのがおじさんじゃないか、という反論には、払えるおじさんばかりじゃないし、払う事に躊躇するように教育されているわけで、それなりにキツい。まず無理なのにリビドーだけあっても仕方ないでしょうに・・・
逆に考えたらどうですかね。いつまでも出産可能で、しかもリスク(出産時の命のリスク、その後の子育てのリスク、人口爆発における食糧問題等のリスク全て)が無いとして、もちろんリビドーは存在する。逆に男は何歳かで生殖機能が失われる世界で、リビドーがあっても無くても良いけれど、それ苦しくないですか?という事です。無い事に出来る方がイイのは、それこそ女性誌なんかでいつまでも美しく、とか言われている事に対して女性の人がいつまで頑張らねばならないのか?とか問題提起しているのと構造は一緒だと思いますけど。
逆の世界で、この世界での年齢格差、男性がおじさんで女性が少女が普通世界で忌避していたのであれば、当然年上の女性が若い男性との年齢格差にも忌避が発生すると思うんですけれど、果たしてどうなんでしょうね?自分が搾取する側になったら、なんだかんだ理由をつけて享受する人もそれなりに居るんじゃないかな。
こういう思考実験とかこれまでの言動や行動について省みたり、考察したり、しないで、その時の気分、周囲の人との共感を軸にしている人を見ていると、あの時はこういう行動をしていたけれど、今はこうで整合性が取れないのでは?という事が多くなることに、違和感とか嫌悪感はないのでしょうか?でもそれが生存戦略として、本能的なるものとして刷り込まれている可能性は否定できないけれど、その場合性別が違えば別の生存戦略をとる事も可能性としてあるし、本能と証明する事が出来るのか問題とか、本能よりも規範とかルール、モラル、法、を守るように出来るのがホモサピエンスだし、学習だし、大人なのでは無いか問題とかも絡まってくるので、非常に難しい。私の悪い頭ではずっと考えても思考が堂々巡りを始めてしまいます・・・
ここで、最強の刺客の登場です。その人の夢の中でポール教授は傍観者じゃなかった、という告白をしてくる美人アシスタントです。
あ、このアシスタントの雇用主がグレッグ・モットーラ監督作品「Superbad」のエヴァン!!ここはアツかった。
この刺客の選択肢に、おじさんであるポールはすべてを間違う選択をして、且つ、みじめなんです・・・そうおじさんはみじめな存在である事をいやという程見せつけられる・・・誰がこんな映画の脚本考えて映画化したんだよ、と思ったら、プロデューサーにアリ・アスターの文字が・・・この人、またか!笑
この後、ついに夢の中で傍観者である事を止めるポール。悪事を他者の夢の中で重ねて悪夢に変わっていく。ですけれど、夢の事は誰にも分らないのに、ポールが責められるんです・・・理不尽・・・
その人の夢の責任を、出てきただけで背負わされるポール・・・惨めですし、自分の夢にも自分が出てきて襲ってくる事で、ついに、配信動画で世間に謝罪を始めるポール・・・
どうすればよかったのか?全然ワカラナイし、妻にも捨てられ、というかこの妻はかなり早い段階で既に他者に心が動いてる感覚あるなぁ・・・
つまり全方位的に、どうしようもないくらいに理不尽な理由で存在すら許してくれない状況に置かれるポール。
それでも、ラスト、元妻か別居中妻の夢の中に入り込もうとするポール。彼女のかつての希望を叶えようとするポール・・・もちろんただの夢なんですけれど。でもこれ、ある種の美しさがあると思いました、全然解決はしないけれど。
おじさんという存在が、ニコケイのようなミームになり、現実的におじさんの代表みたいな感じで負の要素を積み重ねられて背負い、だからこそ我々おじさんの存在だけでも怖がられ、不安にさせ、忌み嫌われる存在である可能性高いよ!と示唆してくれる。誰でも経年劣化が体にも心にも変化をもたらしているにも拘らず、おじさんが忌避されるの、まぁ仕方ないのかもと思いつつ、いつか開かれるドリーム・シナリオ・シンポジウムに参加したい。
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