井の頭歯科

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア序章」を読みました

2011年10月28日 (金) 08:46

J・D・サリンジャー著     野崎 孝、井上 謙治訳    新潮文庫

やはりグラース家の物語の続きです。一応大手の出版社から出ている作品としてはここまでですが、続きとして翻訳されている作品はあと一つ「ハプワース16 1924年」がありますけれど、結局グラース家の物語は完結しなかったわけですし、その後も発表可能である年齢であったにもかかわらず、ということを考えると、とりあえず私が追いかけるグラース家の話しとしてはここまで、という気分になりました。もう少し時間が経過して読みたくなるときがくるかも知れませんけれど。

2つの短編「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」と「シーモア序章」から成り立っているのですが、どちらも書き手としてグラース家の次兄であり大学教授兼小説家であるバディが語る物語、という構造になっています。ということはこの段階で既に小説内小説、入れ子構造になっている訳です。つまり書籍としてJ・D・サリンジャー名義になっているのであっても、手記としてバディ・グラースが書いたもの(しかも大学教授でありながらも隠遁生活を送るバディ・グラースの!)として書かれているわけです。隠遁生活というだけでなく、何かしらJ・D・サリンジャー本人を思わせるバディを通しての、シーモアへ迫る構造になっています。

最初の短編である「大工~」はまさに主人公バディなのですが、それでも真の目的はシーモアの姿を追うことであって、そういう意味でも入れ子構造です。

シーモアが結婚式を行うことを妹であるブーブーから知ったバディ。その時は軍隊に所属しており、なかなか外出許可が出なかったのですが、何とか許可をとり赴任していたジョージアからニューヨークに戻ってきます。思慮深く、その人間の本当のところ何を考えていたのか簡単には他人に理解されにくい男であり、早熟な天才兄弟たちの中でも1番影響を与え続けた、グラース家の中心人物であるシーモアの内面を探る事になる、シーモアの結婚式の物語です。

そしてもうひとつの短編「シーモア序章」はやはり次男のバディが、シーモアについてもっと深く語ろう、迫ろう、グラース家の人間であればその全ての人がシーモアを神聖視しているのに対して、それ以外の人から(結婚したミュリエルでさえも無条件にシーモアを受け入れていたのではない)全然理解されなかった、シーモアの真意を誰しもに理解できる形にしよう、とするバディの物語です。

「大工~」では、シーモアの結婚式に向かうバディの目線を通して語られる物語でありますし、バディという人物そのものの考え(あるいはバディを通しての著者本人であるJ・D・サリンジャー本人)にも迫れ、しかも物語としても面白く、流石、という出来栄えの短編小説だと思いますし、単体での読感ももちろん素晴らしいと言えます。が、それに対して「シーモア序章」の方については、もちろん個人的には面白く読めたんですが、これを単体の短編小説のひとつとして楽しめるか?と言われると難しいのではないか?と感じました。どうしてもある程度グラース家についての予備知識が(受けて側に)必要な部分が大きいと思います。なにしろ「ナイン・ストーリーズ」の最後の一遍である「テディ」は(グラース家次男の)バディが出版したという態を取ったまま話しが進みますし。その他にも、訳者が代わっているというのも関係しているのでしょうし、心境の変化もあったとは思われます。もっと深く自身の小説の中にダイヴしているように感じました。だからこそ、多少の分かり易さを犠牲にしても得られる『何か』があると感じます。しかし、たしかに短編小説のひとつとして扱われたら、バランスの悪さを感じずにはいられないでしょう。

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」はとても緻密な仕掛けと、はっとさせられる表現、そして見事な描写や、何より単純に「言葉」について強く意識させられる完成度高い短編小説でありますし、タイトルも素晴らしいと思います。

そして逆に「シーモア序章」は未完成の、実験的要素を含むものが持つパワフルな、付いて来られるものなら付いてきてみろ、と言うかのような魅力をもった短編小説であると感じました。

果たして、J・D・サリンジャーと、シーモアの関係とはどのようなモノであったのか?という疑問が頭をもたげてくる、そんな読後感でした。

やはり、グラース家の兄弟に、シーモアに興味のある方にオススメ致します。

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